もう一つの真理

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人生

令和元年10月30日

 

何年前でしたか、渡辺和子シスターの『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)という本がベストセラーになりました。表題に引かれた私もさっそく購入して一読し、シスターらしいその敬虔けいけんな文章に感動しました。さらに、職場の対人関係で悩んでいる何人かの方にも、この本をプレゼントしました。

シスターの文章は、「人はどんな場所でも幸せを見つけることができる」という書き出しで始まっています。そして、最初の職場となった岡山・ノートルダム清心女子大学での体験として、「あいさつしてくれない」「ねぎらってくれない」「わかってくれない」の〝くれない族〟から、いかにして決別し得たかの体験が書かれていました。「置かれた場所」には、つらい立場、理不尽、不条理な仕打ち、憎しみの的など、およそ人が同じ職場で働く以上、必ず生じるはずの苦悩がつづられていました。

さらに、その心構えとして、「不平をいう前に自分から動く」、「苦しいからこそ、自分から動く」、「迷うことができるのも、一つの恵み」といった宝石のような教訓にふれ、多くの読者を魅了みりょうしました。特にクリスチャンの方には『聖書』の現代版として、大きな希望をほどこしたことと思います。

ところが最近、脳科学者の中野信子さんが『引き寄せる脳 遠ざける脳』(セブンプラス新書)の中で、シスターの考えに対してまったく対立する異論を発表しました。すなわち、「わたしたちは植物ではありません。置かれた場所でないところで咲いたっていいのではないでしょうか。わたしたちは自分の足でどこへでも歩いていけるのですから」と力説しています。つまり、逃げることもまた勇気であり、違うかたちの戦いだというのです。さすが、頭脳派らしい意見だと思いました。

今日のブログは、どちらが正しいというお話ではありません。人生にも、そして物ごとにも、必ず二面性があるということなのです。この道理をわきまえているか否かは、生きていくうえでの大きな課題です。正しいとか、正しくないとかの間に、もう一つの真理があることを知らねばなりません。

山路天酬密教私塾

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