蔵書について

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仕事

令和元年10月31日

 

私は仕事上、かなりの蔵書を保管しています。仏教書はもちろん、専門の真言宗で著作活動をする事相書(真言密教の作法や秘儀の聖教)を始め、文学・哲学・歴史・美術・骨董・書道・占術・健康法から花や茶の湯にいたるまで、かなり広範こうはんです。小説やエッセーの類は寝室にあり、寝起きの折に読んでいます。ただ、政治経済や科学工学の分野には弱いので、ほとんどありません。

小説も一時はかなりの量になりましたので、大方は処分し、今は読みたいものを書店やネットで購入しています。最近は視力が衰えたせいか、昔の文庫本などは活字が小さすぎて困ります。ネットで古本を購入する時は、特に気をつけています。

私はほとんど図書館には行きません。返済期限があり、公共の本では、なぜか落ち着かないからです。また、愛書趣味はありませんので、赤線も自由に引けるからです。苦心して購入せずともよいものを、これは性分だからしかたがありません。

昨年の暮、あさか大師に移転してから決めていることが二つあります。これは、僧侶の方やご信徒さんにも宣言していることです。

一つは蔵書は絶対に貸し出ししないことです。差し上げることはあっても、貸し出しはおことわりしています。貸し出した蔵書は、なかなかもどらないからです。気前よく蔵書を貸して、どれほどほぞをかんだかわかりません。気安く借りる人ほど、その蔵書の価値も、購入する時の経済的負担もわからないのでしょう。

もう一つは、蔵書にはさわらぬよう伝言し、本棚にもそのことを書き出したことです。実は、ことわりもなく自分の蔵書に触れられることは、あまりいい気持ちではありません。このことは、苦心して蔵書を購入した方なら、誰にでもわかるはずです。

私はまず、一日に一度として本を読まぬ日はありません。どこに行くにも、文庫本や新書本は持ち歩いています。それだけに本とのつき合い方にはこだわりがありまず。自分の分身のように思っているからです。

山路天酬密教私塾

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