何とかなるのです

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人間

令和2年3月23日

 

もう一つ、『論語』のお話を紹介しましょう。

孔子がちんの国を訪れた時、戦乱のために食料が絶えてしまいました。お供の弟子たちも疲れ果て、また病んで立ち上がれない者まで続出しました。その時、子路しろ憤然ふんぜんとして孔子に言い放ちました。

「いったい、君子でもこのように困りきることがあるのですか?」

さて、それに対する孔子の答えがいいのです。

「君子でもむろん困りきることはあるさ。でも、小人は困りきるとヤケをおこすではないか」

小人とは君子に対する〈凡人〉ほどの意味です。君子でも困りきることはある。しかし、小人のようにヤケをおこすことはない言っています。事実、陳の同盟国であった昭王しょうおうが援軍を出して孔子を迎え、やっと生命をまっとうしたのでした。

私は人としてのうつわの大きさを考える時、いつもこの一説を思い出しています。平常の時は、誰でも冷静を保てましょう。しかし、この時の孔子のように窮地きゅうちおちいった場合、たいていの人は冷静さを失います。その時に器が問われるのです。

私はどんな時でも「お大師さまが助けてくださる」という信念を、どこまで貫けるかはわかりません。でも「何とかなる」ぐらいの考えは持ち続けています。そして、本当に何とかなると思っている人は、本当に〝何とかなる〟のです。これは祈りのルールを知っている人には、容易に理解できるはずです。

しかし、ほとんどの人は不安や疑いによって、祈りのパワーが弱まってしまうことも事実です。要は体験を重ねて自分の考えとなり、さらに信念となり、祈りとなれば、何とかなるぐらいのことは十分に可能です。つまり、思考は現実化するということです。

そして、最後に申し上げましょう。今日のブログを読んでいただいた方は、きっと何とかなります。そうでなければ、私とのごえんもなかったはずです。このブログを読み、私とご縁のあった皆様は、私と同じように何とかなるのです。そうでなければ、このブログを読むことも、私とのご縁もなかったはずなのです。そうではありませんか、皆様。

山路天酬密教私塾

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