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理性と感情の谷間

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令和2年8月5日

 

古い記憶ですが、私が親しくしていた、ある親と娘さんのお話です。まだ携帯電話など、普及する以前のことです。

その娘さんは大学生でした。家を出る時、母親には夜の8時までには帰ると言い残し、どこへ行くとも言わずに出かけました。ところが、11時になっても、12時になっても帰って来ません。親は当然、事故にあったか、何か悪い誘いにでも乗ってしまったのではないかと心配になりました。不安はつのるばかりです。父親も落ち着きません。玄関をのぞき、門の外まで出向き、とうとう駅の改札口まで行ってみましたが、娘さんの姿はありませんでした。

実はその日、娘さんは音楽仲間の誕生パーティーに呼ばれていたのでした。親がまだ知らない人だったのです。連絡の取りようがありません。しかし、こんな時の親の気持は想像するに余りあります。今か今かと電話の着信音を待つ中で、救急車のサイレンでも聞いただけで「ドキー!」とした経験は、私にも身に覚えがあります。

結局、その娘さんは深夜2時頃になって、何もなかったかのような顔で帰って来ました。出迎えた母親はホッとすると同時に怒りが爆発し、「何やってたの、こんな時間まで!」と怒鳴どなってしまいました。娘さんは「そんなに怒鳴るんなら、もう帰ってこないから」と言って、そのまま飛び出してしまいました。電車もない時間なのにどうするのかと、またまた心配しましたが、仲のよい友人のアパートに泊めてもらったことが後になってわかりました。そして、その日の夜が遅くなったのは、誕生パーティーに出席した別の友人と帰る途中、その友人が車に接触してケガをしたためでした。救急車で病院まで同行し、診断の結果を聞いてから帰宅したために遅くなったこともわかりました。

さて、このお話は親と娘さんのどこに問題があったのでしょうか。今なら携帯電話ひとつで済むことでしょうが、それでも起こり得る可能性はあります。私たちもその立場になったなら、同じように怒鳴ってしまう可能性も十分にあります。決して人ごとではありません。理性はあっても、感情が先行するのは人の常です。

まず、娘さんの方ですが、行き先はきちんと伝えておくべきでしょう。それに、病院に行ったなら公衆電話があったはずです。親への連絡はいくらでもできたはずです。そして、この時間まで帰らなければ、親がどんなに心配しているかも大学生ならわかるはずです。まずは、これらに原因があったことは言うまでもありません。

しかし、私がここで気になるのは、むしろ親の方なのです。帰って来た娘さんを見たなら、安心と共に不安や恐れも消えたはずです。母親がその時、「ああ、よかった。心配してたのよ」と言ってあげれば、結果はまったく違ったはずです。娘さんもその言葉を期待していたはずです。そして「ごめんなさい」と言って、事情を説明したはずです。

皆様はいかがでしょうか。こんな時、どんな言葉をかけられますか。まさに、親としての正念場です。理性と感情の谷間にあって、親のうつわが問われるからです。

続・「お母さん」という呼び名

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令和2年7月31日

 

かすりの着物に帯をしめた幼女が、信州の山道を犬といっしょにけ上がります。そして夕焼けに染まった丘の上で、右手の野菊ほおに寄せ、「おかあさ~ん!」と、大きな声で叫びます。そのお母さんから、暖かい味噌汁をよそってもらう幼女のうれしそうな姿が障子しょうじの影絵となって映し出され、日本中の人々がそれをうっとりと見ていました。

記憶にある方もいらっしゃるでしょう。昭和43年、ハナマルキ味噌はこのテレビCMで一世を風靡ふうびし、たちまちに全国ブランドとなりました。私は今では、ほとんどテレビを見ることもありませんが、実は放映されるCMには関心が高いのです。そして、戦後の限りない放映の中でも、ハナマルキ味噌『おかあさん』は傑作けっさくの一つだと思っています。

このCMの初代タレントを田中奈津子ちゃんといい、当時はわずか三歳でした。CMの監督はこの奈津子ちゃんを、たそがれ時の丘の上に連れて行きました。そして、実際のお母さんを木陰こかげに隠しておいて、「お母さんを探してごらん」と言いました。そして、奈津子ちゃんが大きな声で叫ぶシーンを大アップで撮影しました。あのりん場感じょうかんは、実際のお母さんがそこにいなければ出せません。茶の間の視線をくぎ付けにした秘密は、そこにあるのです。

このCMが大当たりした勢いなのか、今度は「おとうさ~ん!」バージョンも作ろうという企画があると聞き、私は「これはダメだな」と思いました。暖かい味噌汁は、お母さんが作るから心をゆさぶるのです。お父さんが作って、どうするのですか。テレビ放映を見た記憶がありませんから、NGになったことは疑いありません。また、このCMにあやかり、うどんメーカーなどが同様の演出で制作を試みましたが、ことごとくボツになりました。

そもそも、ハナマルキ味噌『おかあさん』は〝お母さん〟だから受けるのです。ハナマルキ味噌『おとうさん』でサマになりますか。そして、味噌汁だから〝お母さん〟なのです。「おふくろの味」の代表が味噌汁なのです。うどんは誰が作ってもいいのです。たしか、「オヤジのうどん」というお店がありましたが、せがれでも娘でもいいのです。

しかし、味噌汁だけはお母さんでなければいけません。味噌は単なる調味料ではなく、はかり知れない慈愛じあい底力そこぢからがあるのです。日本のお母さんも、味噌のような慈愛と底力があるのです。そして「お母さん」という呼び名には、それだけの重みがあるのです。日本人は男も女も、老いも若きも、お母さんの味噌汁で育ったことを生涯忘れてはなりません。

なお、上記のテレビCMは、現在でもネットの動画で見ることができます。今日の私のブログを読んでなつかしくなった方は、ぜひご覧ください。「ハナマルキ味噌おかあさん」で検索を。

「お母さん」という呼び名

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令和2年7月30日

 

女性が自分の配偶者を第三者に語る場合、ほとんど「おっと」か「主人」と呼びます。これには何の抵抗もなく、自然に聞くことができます。まれに「亭主」となどと呼ぶ方もいますが、数の上では少ない方でしょう。

ところが、男性が自分の配偶者を語る場合、これがどうもスッキリしません。私の意識が過剰なのでしょうか。まず「妻」と呼ぶと、何か改まった固ぐるしさを感じます。浄瑠璃じょうるり壺阪霊験記つぼさかれいけんき』の「妻は夫をいたわりつ」ではありませんが、影でずっと苦労しているような、そんな響きさえあります。結婚しても苦労するのは当然でしょうが、どこか悲しいニュアンスさえ漂います。唄の文句で「愛しても愛しても人の妻」などと聴くと、もう返す言葉もありません。

同様に「女房」は、ちょっと卑下ひげした感があります。男性が「女房のヤツ」と言った場合、照れもありましょうが、「オレが食べさせてやっている」という慢心が浮上します。もともとは宮中の女性使用人の部屋を「女房」と言い、やがてその女性たちをも「女房」と呼んだのですが、現代は好まれません。

では、グッとさばけて「かみさん」はどうでしょう。吹き替え版『刑事コロンボ』の「ウチのかみさんがねえ」のあのかみさんです。かみさんは「かみさん」で、「上様うえさま」の変化です。尊敬を込めていますが、逆に目上の人には使えません。女主人の「おかみさん」なら自然ですが、これも配偶者には使えません。

こうなると、「家内」が最も無難な気がしますが、今度は古い呼び方に聞こえます。ウカンムリ(家)の中に〈女〉がいれば〝安心〟ですし、また〝安らぎ〟ます。だから「家内」と言いますが、結婚したての若い男性には向きません。子供が授かれば「ママ」でいいでしょうが、第三者にはどうしましょうか。私がこだわるのは、こんな理由からなのです。

さて、「お母さん」を乱暴にして「かあちゃん」や「かかあ」などと呼ぶ男性もいます。子供なら「かかさま」です。しかし、ここに象徴的な日本文化があると言ったら驚くでしょうか。実は「かあちゃん」は「かあかあ」、「かかあ」は「かっか」なのです。何のことかわかりますよね。そうです、太陽が燃えている様相を表わした言葉です。つまり、日本人はお母さんこそは太陽であると考えて来たのです。いつも暖かく、にこやかで、生命をはぐくむ太陽こそ、お母さんなのです。だから子供が授かった後は、「お母さん」と呼んでほしいと私は願っています。

ちなみに「お父さん」は、「とうとい」という意味です。お父さんは懸命に働いていつも尊い、また尊くありたいからです。お母さんを太陽と、お父さんを尊いと、それぞれに美しいに日本語です。

子どもが育つ魔法の言葉

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令和2年7月10日

 

ドロシー・ロー・ノルト博士の「子どもが育つ魔法の言葉」は、世界数十ヶ国で翻訳され、大ベストセラーとなりました。「魔法の言葉」は二十項目ほどもありますが、特に重要と思われる五項目は、各国のホテルや空港などに、次のようなカードになって置かれています。

①子どもは親のしんぼう強さを見て育つと、耐えることを学ぶ。

②子どもは親の公平さと正直さを見て育つと、真実と正義を身につける。

③子どもは親に励まされて育つと、自分に自信を持つようになる。

⓸子どもは親にほめられて育つと、感謝ができるようになる。

⑤子どもは親に認められて育つと、自分が好きになる。

はじめに、「耐えることを学ぶ」とあります。「耐える」というと、私たちは苦しみや悲しみに耐えることばかりを連想しますが、楽しみや喜びを得るためには、耐えねばならぬことがあることを知らねばなりません。そのためにも、子どもの時から、親はしんぼう強さを教えることが必要だということです。

次に「親の公平さと正直さ」とあります。黙っていればわからないことでも正直に話せば、人はその人に一目いちもくを置くのです。子どもはこれを見て、その勇気から真実や正義を身につけるのです。

次に「自信を持つようになる」には、何が必要でしょう。それは「大丈夫だよ!」「きっとできるよ!」といった励ましの言葉です。こうした前向きの言葉を親から聞かされないと、子どもは自信を失います。「ダメな子だね!」「どうしてできないの!」といった反対の言葉を考えれば、誰にでもわかることです。

次の「ほめられて育つと」も同じです。子どもはほめられることがなければ、自信が持てず、したがって感謝もできません。たった一度の〝ほめ言葉〟が子どもの才能を伸ばし、人生を変えることもあるのです。

最後の「認められて育つと」こそは、子どもがいだく最も大きな希望です。なぜなら、子どもは認められることを何よりも望むからです。たとえ失敗しても、その努力が認められることによって、子どもは努力した自分を好きになるからです。

そして大切なことは、これらの名言がそのまま大人にも当てはまるということでしょう。大人が読んでも、そのとおりと思うはずです。真理は大人にも子どもにも区別がありません。

男子厨房に入るべし

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令和2年4月28日

 

若い男性が結婚を望んでいる場合、私は「料理の上手な女性を選ぶことです」とお話をしています。その前提として、食べ物の好みが合うという条件も必要でしょうが、一生向い合って食事をするのです。料理の下手な女性(失礼!)と結婚したら、もはや生涯の不覚とあきらめねばなりません。そして料理の上手な女性なら、家事も子育ても上手であることは間違いありません。このことは、私が保証いたします。

また、もう少し年長の男性には、スポーツやカラオケもいいけれども、「料理を習うことです」とお話をしています。中年の方や定年以後の方であっても、それは同じです。その理由は、いわゆる〈老老介護ろうろうかいご〉がますます増加するからです。つまり、65歳以上の夫婦がいずれかを介護する場合、65歳以上の子供が親を介護する場合、介護する側が男性であった場合に食事の問題が必ず出ます。その食事をいったい、誰が作るのでしょうか。

毎日、コンビニの弁当というわけにもいきません。宅配の低カロリー惣菜そうざいでも飽きるでしょう。その時、目玉焼きひとつ作れないようでは困るのです。ところが驚くなかれ、世の男性にはリンゴの皮をむいたこともなければ、インスタントラーメンすら作ったことがないという奇妙な人種(!)がいます。妻が夫を介護する場合や、娘が親を介護する場合はまだよいのです。食事のすべてを妻に任せてきた夫には、この自覚がありません。

簡単な料理なら、ネットを開けばいくらでも出ています。書籍もたくさんあります。まず、ご飯の炊き方と味噌汁の作り方から始めて、ゆで方や焼き方も覚えましょう。介護にはおかゆの作り方も大切です。興味があるなら、料理教室へ通うのもよいでしょう。時代はまさに、「男子厨房ちゅうぼうに入るべし」と緊急事態宣言を発しているのです。

私はいま、外食はほとんどせず、料理はすべて自分で作っています。これが実におもしろく、また脳トレにもなるのですから、一石二鳥、いや一石三鳥です。買い物をしながら、本日の食材選定、作り方の手順、余った場合の保存、明日の料理との関連、調味料の在庫、食器やお酒との相性、食事中に聴く音楽など、脳は一気にフル回転です。

毎日、読経や真言を唱えて声を出し、印を結んで指先を刺激し、諸仏を観じて瞑想めいそうを楽しみ、こういて心をいやし、花をしてこれをで、読書も怠らず、原稿を推敲すいこうし、加えて料理を作っているのですから、ボケるひまなどありません。いかが?

手塩にかける

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令和元年5月28日

 

今や、〝おにぎり〟といえば、コンビニの商品が主流になりました。よく工夫され、それぞれにおいしく作られていると思います。

でも、やはり、どこかが違います。「おにぎり」といい、「おむすび」というのです。〝にぎる〟とか〝むすぶ〟という表現には、力学的なものに加えた何かがあるはずです。それは手作りのものと比べれば、よくわかるはずです。

私などは子供の頃から手作りのおにぎりをいただいてきたので、そのことがよくわかります。やはりお母さんがですね、こうれた手に塩をふりかけてですね、そうですよ、これが「手塩にかける」の語源なんですよ。いいお話でしょう。私はこのことを、何度も何度も法話で伝えてきました。
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