令和2年7月31日
かすりの着物に帯をしめた幼女が、信州の山道を犬といっしょに駆け上がります。そして夕焼けに染まった丘の上で、右手の野菊を頬に寄せ、「おかあさ~ん!」と、大きな声で叫びます。そのお母さんから、暖かい味噌汁をよそってもらう幼女のうれしそうな姿が障子の影絵となって映し出され、日本中の人々がそれをうっとりと見ていました。
記憶にある方もいらっしゃるでしょう。昭和43年、ハナマルキ味噌はこのテレビCMで一世を風靡し、たちまちに全国ブランドとなりました。私は今では、ほとんどテレビを見ることもありませんが、実は放映されるCMには関心が高いのです。そして、戦後の限りない放映の中でも、ハナマルキ味噌『おかあさん』は傑作の一つだと思っています。
このCMの初代タレントを田中奈津子ちゃんといい、当時はわずか三歳でした。CMの監督はこの奈津子ちゃんを、たそがれ時の丘の上に連れて行きました。そして、実際のお母さんを木陰に隠しておいて、「お母さんを探してごらん」と言いました。そして、奈津子ちゃんが大きな声で叫ぶシーンを大アップで撮影しました。あの臨場感は、実際のお母さんがそこにいなければ出せません。茶の間の視線をくぎ付けにした秘密は、そこにあるのです。
このCMが大当たりした勢いなのか、今度は「おとうさ~ん!」バージョンも作ろうという企画があると聞き、私は「これはダメだな」と思いました。暖かい味噌汁は、お母さんが作るから心をゆさぶるのです。お父さんが作って、どうするのですか。テレビ放映を見た記憶がありませんから、NGになったことは疑いありません。また、このCMにあやかり、うどんメーカーなどが同様の演出で制作を試みましたが、ことごとくボツになりました。
そもそも、ハナマルキ味噌『おかあさん』は〝お母さん〟だから受けるのです。ハナマルキ味噌『おとうさん』でサマになりますか。そして、味噌汁だから〝お母さん〟なのです。「おふくろの味」の代表が味噌汁なのです。うどんは誰が作ってもいいのです。たしか、「オヤジのうどん」というお店がありましたが、倅でも娘でもいいのです。
しかし、味噌汁だけはお母さんでなければいけません。味噌は単なる調味料ではなく、はかり知れない慈愛と底力があるのです。日本のお母さんも、味噌のような慈愛と底力があるのです。そして「お母さん」という呼び名には、それだけの重みがあるのです。日本人は男も女も、老いも若きも、お母さんの味噌汁で育ったことを生涯忘れてはなりません。
なお、上記のテレビCMは、現在でもネットの動画で見ることができます。今日の私のブログを読んでなつかしくなった方は、ぜひご覧ください。「ハナマルキ味噌おかあさん」で検索を。