暦と九星気学
令和元年11月2日
本日は月始めの〈総回向〉で、大勢の皆様がお参りされました。また、沖縄から僧侶の方がわざわざお見えになり、いっしょに読経をしてくださいました。
皆様には来年の暦をお配りし、簡単な説明をいたしました(写真)。わかりにくいかも知れませんが、中央でパネルを持ってお話しているのが私です。
私は『九星気学と加持祈祷』(青山社)という著作を刊行しましたが、その目的は特にお寺のご住職に、暦のこと(特に九星気学)を勉強してほしいからでした。
なぜなら、今日では一般の方でも、暗剣殺・五黄殺・表鬼門・裏鬼門・歳徳神といった言葉をよく知っています。また、厄年への関心から、自分の九星がどんな運勢にあるかもよく知っています。ところが、檀家の方がそのお話をしても、肝心のご住職が何のことだかわからないという現実ががよくあるのです。かといって、檀家の方に質問するわけにもいきません。
また、真言宗のお寺で〈星祭り〉の行事をしていても、その年の〈当年星〉がどうしてその配当になるのか、まったくわかっていません。せっかくの年中行事が、これでは片手落ちというものです。
僧侶は占い師ではありませんから、専門の易占学校に通わずとも、私の著作に書かれているほどの知識があれば充分です。ぜひ暦に関心を持ち、初歩的な九星気学を勉強していただきたいと思います。
私はこれまで、京都の仁和寺をはじめ、いくつかのお寺で九星気学の講習会をしました。ほとんど一日の日程でしたが、お聞きいただいた僧侶の方々が熱心に受講され、星祭りについても納得してしただけたことは、とてもうれしいことでした。今、九星気学の続編を執筆していますが、さらに幅広く学んでいただけることを望んでやみません。
相性の秘伝
令和元年10月1日
さらに、占いのお話です。
よく「相性をみてください」と依頼されるのですが、ここにもまた落とし穴があります。つまり、相性がいいことが必ずしも吉とはならず、相性が悪いことが必ずしも凶とはならないからです。これは九星気学でも秘伝なのですが、今日はちょっとだけお教えします。
単に相性がいい、相性が悪いだけではなく、〈父母・子孫・官鬼・妻財〉という四つの関係があります。父母とは自分を生かしてくれもの、子孫は自分が生かすもので、共に相生(相性がいい)の関係です。これはわかりますね。官鬼とは自分が剋される(努力を強いられる)関係です。男にとっては職場、女にとっては一般には夫のことで、努力を強いられますが自分に名誉をもたらしてくれるものです。また妻財とは、自分が尅す(努力を強いる) 関係です。実は、男にとって妻と財は同じものなのです。どういうことか、わかりますでしょうか。男がお金を稼ぐためには、必死になって働かねばなりません。当然ながら家庭を犠牲にしたり、妻には負担を強いねばなりません。この意味が妻財です。
つまり、官鬼と妻財は相尅(相性が悪い)の関係であることを申し上げたいのです。誰もが求める名誉もお金も、相尅の関係から生まれるのです。いつもお話していることですが、名誉もお金も、子供が親からお小遣いをもらうようには手に入りません。
代表的な例として、社長と従業員との相性があります。会社の経営とは、社会に働きかける(尅す る)ことです。社長は従業員に努力を強いねばなりません。楽しく笑顔で仕事をしていても、社長と従業員はナアナアの関係であってはなりません。つまり、社長にとって従業員は妻財なのです。相性が悪いことによってうまくいくのです。「社長はいい人だけど、イヤなところもあるな」ぐらいに思われることです。
昨日は占いを少し悪く言いましたが、こうして考えるとなかなかのものです。東洋哲学の奥義にふれた思いです。
吉凶と幸不幸
令和元年9月30日
また、占いのお話です。
占いでは〈吉凶〉は出せますが、それが〈幸〉か〈不幸〉かは出せません。幸不幸はあくまで、本人の心しだいであるからです。だから、吉が必ずしも幸せであるとはいえず、凶が必ずしも不幸であるとはいえないのです。
たとえば、生まれつきの身障者を占いで鑑定すれば、凶となって出ます。だからといって、それが不幸であるとは一概にはいえません。普通の人のように体を動かせなくても、芸術的な感性があれば絵や音楽で活躍することができます。またスポーツが好きであれば、パラリンピックを目ざすことだってできるのです。だから占いで凶と出ても、幸せな人生を歩むことは充分に可能です。
そして、さらに申し上げれば、身障者として生まれたことが、かえって幸せへの条件であったともいえるのです。つまり、身障者という条件こそが人生の天命なのであり、それによって幸せを得るチャンスを授かったということなのです。これは占いではわからないことです。
このことは厄年についても、まったく同じです。厄年は占いでは凶であっても、むしろ開運へのチャンスなのです。厄年の時にしっかりと計画を立て、準備をなし、身辺の整理をして実力を養えば、盛運に入って一気に進めるのです。これを盛運に入ってから始めても、もう間に合いません。だから、私は厄年は〈役年〉であるといっています。厄年こそ〝役立つ年〟なのです。
占いは人生の指針にはなりますが、人生そのものを決めることはできません。幸せも不幸も、すべてはそれを想う心が決めるのです。
黒のタイトル
令和元年8月10日
松本清張の小説は、若い頃にほとんどを読みました。
実は、彼の小説には『黒の様式』『黒の本流』『黒皮の手帳』『黒地の絵』『黒い画集』『黒い福音』など、〈黒〉のつくタイトルが多いのです。また、小説以外でも『日本の黒い霧』があり、まるで黒の呪縛にかかったような印象すら受けます。このことを、皆様はどのように思いますでしょうか?
松本清張は明治42年(1909)12月21日、北九州市小倉の生まれで、本命は一白水星です。このことは、彼の人生や小説を理解するうえで、きわめて重要な意味があることをお話しましょう。
一白水星には思索・秘密・読書・執筆・色情・不倫・犯罪・暗黒・孤独などの意味がありますが、このような言葉の列記だけでも、あの分厚い眼鏡をかけてタバコをふかしている象徴的な写真が浮かぶようです。寛容な見方をしても、彼の小説は明るい家庭よりは夫婦の破綻、居酒屋での楽しい宴会よりは暗くて孤独なバーなのです。
ところで、一白水星には〈白〉と共に、反対の〈黒〉の象意があります。なぜかといいますと、〈水星〉の性を考えればすぐにわかります。水は高い所から低い所へと流れます。暗い穴の中へも自由に入れます。だから、穴の中の暗い黒の象意があるのです。
松本清張にとって、黒は人生のテーマといっても過言ではありません。そして、一白水星を代表する人物として、私はいつも彼を引き合いに出しています。久しぶりに『松本清張傑作短編集』でも読んでみましょうか。
父親と夫、母親と妻
令和元年7月26日
九星気学はいろいろな使い方ができますが、その一つに〈推命〉があります。
推命というと〈四柱推命〉で知られていますが、九星気学もまた推命で人の先天運を調べることができます。一番わかりやすいのは、その人が生まれた月の〈月盤〉から、生まれ年の本命の位置をみて、一生の運の強弱を調べることでしょう。そのほかにも職業運・金運財運・結婚運・家庭運・子供運・健康運などを調べることができます。結婚運は、男性なら妻を〈坤宮〉という所で調べ、女性なら夫を〈乾宮〉という所で調べます。また家庭運は、母親を〈坤宮〉で調べ、父親は〈乾宮〉で調べます。
そうすると、父親と夫は共に〈乾宮〉で、母親と妻は共に〈坤宮〉です。これはいったい、何を意味するのでしょうか?
実は九星気学では、父親と夫は同じもので、母親と妻は同じものなのです。つまり、女性がどのような男性を夫として選ぶかというと、幼児期からの父親との関係で決まるのです。また、男性がどのような女性を妻として選ぶかというと、幼児期からの母親との関係で決まるのです。女性は父親と似たような男性を夫に選び、男性は母親と似たような女性を妻に選びます。もちろん、これが100パーセントとまではいいませんが、この傾向が多分にあることは否定できません。
「そんなバカな!」「当てはまりません!」といった声が聞こえて来るようです。つまり、表向きの人柄や性格だけでは、見えてこないからです。本人が意識することもないからです。
好きとか嫌いとかの感情以上の力に、無意識のうちに〝引き寄せられる〟のだとでも説明しておきましょう。女性にとって父親は、唯一無二の男性として無条件で自分に愛情を注いでくれたはずです。男性にとって母親は、唯一無二の女性として無条件で自分に愛情を注いでくれたはずです。その関係に問題が生ずれば、結婚した相手とも問題が生ずるのは当然のことです。
今日のお話は、実際に鑑定をしてみると、よくわかるのです。これ以上は〝鑑定料〟を払ってお聞きください。よーく当たりますよ。
今日は何が起こるのか
令和元年7月12日
私が愛用する暦に〈四盤暦〉があり、ほぼ毎日使っています。朝のお供えとお勤めが終るとパソコンを立ち上げ、電話のそばで四盤歴を開きます。そして、その日の日盤(九星気学でその日の象意を示す盤)を確認し、その日の予測をしておきます。
たとえば、令和元年7月11日の今日は九紫の日です(写真・上段右)。そこで今日は何が起こるのか、どんな人から電話が入り、どんな人が訪ねて来るか、それを予測しておきます。九紫は宗教・法律・学問・芸術といった知的な文化を示し、一方では決別・離婚といった分離作用を示します。人物なら名誉職・会計士・デザイン関係などでしょう。
しばらくして、メールが入りました。これは電話の方が早いのではと思い、さっそくお話をしましたところ、大学進学のご相談でした。大学(学問)は九紫そのもので、今日という象意の一端を示しています。つまり、この日の象意が、この日に何が起こるのか、どんな人から電話が入り、どんな人が訪ねて来るかを示しているのです。
同じように三碧の日は騒がしい日になりやすく、若い人が訪ねて来るでしょう。五黄の日は前途の見えにくい厄介な問題、またお墓や霊的な問題が持ち込まれます。七赤の日に若い女性から電話があれば恋愛の相談であり、中小企業の社長さんが訪ねてくれば売上向上のご祈願となります。
だいたい六割程度は〝当たり〟ます。そんな程度かとお思いになりますでしょうが、皆様はそんな程度もわかりませんでしょう(失礼!)。
さきほど私は予測と表現しましたが、これを〝推理〟と表現すればイメージが変わります。シャーロック・ホームズやエルキゥール・ポアロのように、わずかのヒントから推理を重ねれば、この程度のことはわかるのです。気学は楽しいものです。ぜひ、学んでみてください。
【すみません、書いている内に日付が変わりました。以上は昨日のものです】