令和2年5月30日
お釈迦さまの十大弟子の一人に、阿難尊者(アーナンダ)という方がおられます。お釈迦さまの侍者として最も身近に使え、従って最も多くその教えも聞いたので「多聞第一」とまで呼ばれています。また、阿難は大変な美男であったことでも知られ、多くの女性からも憧れの的であったようです。
ある日、阿難は朝の托鉢を済ませ、祇園精舎へ帰る途中でのどの渇きを覚えました。どこかで水を飲もうと思っていた時、清らかな池のほとりに出ました。そして、そこには近所の摩登伽(マータンガ)という娘がちょうど水を汲みに来ていたのでした。阿難は静かに娘に近づき、ていねいに「水を一杯いただけませんか」と所望しました。摩登伽は「かしこまりました。いま汲んで差し上げましょう」と言って、阿難の食器に水を注ぎました。阿難はうやうやしく押し頂き、静かにその水を飲んだのでした。
ところが、その気高く美しい阿難の姿を見て、摩登伽はすっかり心をうばわれてしまいました。もの静かな気品に打ち震え、胸の高鳴りを押さえることができませんでした。この摩登伽という娘は、もともと多情多感であった旨を表記をした経典もあります。礼を言って立ち去る阿難の姿を追いながら、ものに憑かれたように、ぼんやりとたたずんでいたのでした。
そして家に帰ると、一目ぼれしたやるせない気持ちを母親に訴えました。「女として生まれて夫を持つなら、あの阿難さまのような方と結ばれたいのです。どうか私の心を察して、阿難さまにお願いしてください」と懇願したのです。もちろん阿難は仏弟子(出家者)ですから、結婚などできるはずがありません。母親は「それは無理というものだ。阿難さまはお釈迦さまの大事なお弟子なのだよ。こればかりは諦めなさい」と言いましたが、娘はなおも「この願いが叶わぬなら死んだほうがましです。生きていく意味がありません」とまで訴え続けました。
母親はやむなく、このことを阿難に告げましたが、阿難もまた解決する手立てもなく悩んでしまいました。こうなると、もうお釈迦さまの指示を仰ぐほかに道はありません。お釈迦さまは慈愛に満ちた表情で摩登伽の訴えを聞き、「そなたの気持はよくわかった。しかし、阿難と結ばれるためには、阿難と同じ境界に到達しなければ、夫婦となっても破綻してしまうのだよ。毎日ここに通って私の説法を聞き、修行をすることができるかな」と諭されました。
摩登伽はもちろん承諾し、尼僧となって世俗の煩悩を超え、一心に修行の道に励みました。そして、やがて大きな悟りに到達し、阿難とは世俗の夫婦としてではなく、法友として共に歩むことに喜びと生きがいを感じるようになったのです。お釈迦さまも阿難も、そして摩登伽自身も、すべてが丸くおさまったのでした。
なお、日本の僧侶は結婚している方が多いのですが、それはこの国独特の仏教として異質な発展を遂げたからです。「堕落した仏教」などと一概に考えてはなりません。念のためです。