屈辱をバネに

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仏教

令和2年1月30日

 

一昨日の塙保己一はなわほきのいちのお話には、さらに続きがあります。

ある雪の日、彼は平河天満宮ひらかわてんまんぐう(現・東京都千代田区)へ参詣しました。ところが参詣を終えての帰りぎわ、あいにくの雪のためか下駄げた鼻緒はなおが切れてしまいました。

境内に前川まえかわという版木商はんぎしょう(今の出版業社)があり、人声を感じた保己一は「ヒモをいただけませんか」と頼みました。盲目の彼を見て、からかってやりたかったのでしょう。店の者が無言でヒモを放り投げたのです。彼は手さぐりでそのヒモを探しあて、鼻緒を仕立てようとしました。もちろん盲目の彼が、うまく仕立てられるはずがありません。店の者たちは手をたたいて笑いました。彼はその屈辱くつじょくに耐えきれず、素足で店を飛び出しました。

ところが後年、幕府の推挙を得て『群書類聚ぐんしょるいじゅう』がいよいよ出版されるに及び、保己一は何とその前川を版元に選びました。何も知らない前川の主人がお礼を述べると、保己一は「私が今日あるは、数年前の雪の日に受けた屈辱のおかげです。むしろ私の方こそお礼を言いたいのです」と語りました。

天才とは、なるべくして天才になるのでしょう。屈辱の恨みを超えて相手を許し、むしろその屈辱を努力のバネにしたのです。誰しも、忘れがたい屈辱はあるものです。しかし、その恨みを報いるのに恨みをもってするなら、その恨みはいつになっても消えません。今度は相手が、さらなる恨みをいだくからです。保己一は仏典の教えを、深く体得たいとくしていたのです。

山路天酬密教私塾

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