山路天酬法話ブログ

弘法にも筆の誤り

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文化

令和2年7月9日

 

中国書道史における最高傑作に、東晋とうしん時代の王羲之おうぎしによる『蘭亭序らんていのじょ』があります。これは永和九年の暮春、文人墨客ぼっかく四十一人が会稽山陰かいけいさんいんの蘭亭に集まり、みそぎをして「曲水きょくすいえん」をもよおした時の序文です。「曲水の宴」とは庭園の曲がりくねった流水のそばに座り、浮かべた酒杯が自分の前に流れ着くまでに詩を詠むという行事です。もちろん王羲之もこれに参加し、かなりのお酒も飲んでいたようです。

時に宴たけなわの頃、王羲之はネズミ毛の筆をもってこれを書きました。この時は草稿(下書き)として書いたわけですから、いずれは清書をしようと思っていたのでしょう。しかし後日、彼は十数回にわたって清書を試みましたが、ついにその草稿に及ぶものは書けませんでした。脱字は横に追記し(写真)、誤字は上からなぞってはいますが、その二十八行、三百二十四文字こそは深奥の妙を極め、「神品」とされています。しかも、同じ文字であっても字形を違え、特に文中には〈之〉の字が二十字もありながら、そのすべてに変化を尽くし、後代の書家は王羲之をして「書聖しょせい」と仰ぎました。

ただし残念なことに、唐の太宗たいそう皇帝が王羲之を熱愛するあまり、蒐集しゅうしゅうした彼の筆跡をことごとく自分の王陵おうりょう(墓所)に埋葬させたため、真蹟しんせきは何ひとつ残っていません。現代に伝わる『蘭亭序』はすべて臨書りんしょ(書き写し)されたものです。

では、日本書道史における最高傑作は何であるかとすれば、それはお大師さまの『風信帖ふうしんじょう』以外にはあり得ません。これは平安時代の弘仁こうにん二年(あるいは三年)、お大師さまが狸毛たたげの筆をもって書かれた伝教大師(最澄さま)あての書翰しょかん(手紙)で、現在は京都の東寺とうじに保管されています。

私は十六歳の高校一年生の時、書道教科書でこの『風信帖』に触れ、まるで稲妻に打たれたような衝撃しょうげきを受けました。そして、自分もこんな書を残したい、こんな方の弟子になれるなら僧侶になってもよいとまで思いつめるようになりました。さらに、教科書の写真を切り取ってはいつも持ち歩き、何度これを臨書したかもわかりません。全部で三通ありますが、第一通などは全文を暗記していたほどです。

ところが、お大師さまも一ヶ所だけ文字の前後を書き違えていらっしゃるので、これが「弘法にも筆の誤り」の語源かも知れません。「仏法の大事因縁を商量しょうりょうし(共に考えること)」の〈商量〉を〈量商〉と書かれ、間にレ点をつけておられます(写真)。しかし、私も今はお大師さまご入定にゅうじょうより高齢となりましたが、その技量も力量も、とてもとても及ぶところではありません。雲の上の存在とさえ思えます。その品格、その筆力、まさに日本の「神品」です。

天使の贈り物

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人生

令和2年7月8日

 

アメリカにミルトン・エリクソンという著名な心理学者がいました。おもに二十世紀の後半、特に催眠さいみん療法や心理療法の分野で活躍した先生で、日本でも多くの著作が刊行されています。

ある日、大変に裕福な老婦人が先生を訪ねました。

「先生、私はお金に不自由することはなく、大邸宅に住んでいます。いつも立派な家具に囲まれ、やといのコックがすばらしい料理を作ってくれ、家事はすべてメイドがやってくれています。私はスミレを育てることだけは得意ですが、それでもさびしくてたまりません。私ほど不幸な人はいないと思います」

「では、家に帰ったら教会に来る人のリストをもらって、誕生日の順に並べてください。誕生日が来たら、あなたの育てたスミレにカードを添えてその方の家に置いて来きてください。ただし、誰から届けられたかわからないようにしなければなりません。あなたがこの世で一番幸せになることを保証しますよ」

その老婦人は、さっそくこれを試しました。先生から言われたとおり誕生日のリストを作り、スミレの鉢植えに誕生カードを添え、朝の三時に起きて、誰にも見つからないようにして、誕生日の人の家にこっそりと届けました。

そのうち、このことが町で評判になりました。ここはすばらしい町で、誕生日が来ると天使がスミレの鉢植えを届けてくれるといううわさが立ちました。誰が届けてくれたのかがわからないので、人々は「天使の贈り物」と親切な噂を流したのです。

こうして半年が過ぎ、老婦人はエリクソン先生に電話をしました。

「教えていただいたとおり、誰にもわからないようにしてスミレの鉢植えを届けています。天使が届けてくれたという噂がたっています。とてもうれしいことです」

「そうですか。ところであなたはまだ不幸ですか。半年前はたしか、私ほど不幸な人はいないとおっしゃっていましたよ」

「とんでもない。私ほど幸せな人はいません。私が不幸だなんて、もう、すっかり忘れていました」

この老婦人のような幸せは、私たちの足元にいくらでもあるのです。小さな親切が巡り巡って周囲をうるおし、それを喜んだ人が今度は自分に親切をしてくれるのです。この老婦人のように、皆様も親切を与えれば必ず幸せになれます。そして、人生の最後に残るのは、与えたものです。

産婦人科の「慈心妙手」

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仏教

令和2年7月6日

 

東京慈恵医科大学の産婦人科は創立110年を超える伝統がありますが、その初代教授が樋口繁次ひぐちしげじ博士です。博士は子宮筋腫等の婦人病に対する「樋口式横切開法」を確立しましたが、一方では熱心な仏教の信仰者でもありました。あまり知られてはいませんが、私は博士の仏教観が医学界に普及されことを念じている一人です。ちなみに、博士のことを手元の『新潮日本人名辞典』で検索しましたが、残念ながら記載されてはいませんでした。大変に惜しいことです。

一般に科学者は分析や統計に傾倒し、精神的な、また宗教的な人生観を持つ方は少ないように思います。ところが樋口博士の病院では、玄間・控室・院長室・薬局・手術室・看護婦室、いずれにも「慈心妙手じしんみょうしゅ」の額縁がかけられていました。しかも、それらは当時の、名だたる高僧の揮毫きごうによるものばかりでした。「慈心妙手」とは観世音菩薩の慈悲をもって医術に精進するという意味です。つまり、観音さまのような心で患者さんに接するべきであるという教えを示したものでありましょう。これは博士が、その生涯にわたって貫かれた医術の信念でありました。

博士が執刀する患者さんの手術を、学生に見学させる時のこと。患者さんがいよいよ手術台に横たわり、準備がすべて整うや、厳粛げんしゅくな中で博士も助手も看護婦も瞑目めいもくして合掌します。沈黙の時間が続く中、その高貴清雅な姿に、若い学生さんたちもまたいっしょに合掌するのでした。まさに「慈心妙手」の実践を見せられた思いであったことでしょう。

このような手術を受けたならば、本人はもちろん、その家族も見学した学生も、その縁に深い感動の念をいだいたことでありましょう。担当した助手も看護婦も、職務に対する新たな喜びと希望を体得したに違いありません。「医は仁術」とも言いますが、これが本来の医術ではないかと私は思います。

およそ合掌ほどすがしく、美しい姿はありません。合掌する本人はもちろんのこと、それを見る者もまた、大きな霊的世界に引入されるからです。さらに私の見解を申し上げるなら、本人の父母や祖父母、叔父や叔母までも見えない姿で合掌していると感じられるからです。つまり、いろいろな人の力が結集して、私たちは合掌する姿を顕現けんげんしているに違いありません。たとえその場は限られた室内であったとしても、そこに込められた祈りは想像も及ばぬ範囲に関与しているに違いありません。人は日常の何気ない生活の中にも、多くの世界と関わりながら〝自分〟という人生を過ごしているのではないでしょうか。

医術の成果も、信仰の裏づけがあればこそ、大きく花開くことを信じてやみません。そして、その花を開くのが合掌の姿なのです。南無観世音菩薩。

盂蘭盆会法要

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あさか大師

令和2年7月5日

 

あさか大師では昨日と本日、午前11時半にいつものお護摩を、午後1時には早くも盂蘭盆うらぼん法要を修しました。新型コロナウイルスの感染者数が再び上昇し、参詣を断念した方々もいらっしゃいますが、まずは集まった皆様と共に精霊回向の法要を修しました。そして、お施餓鬼せがきの説明をして(写真)、全員でその作法も修しました。

得度とくどをなさった僧侶の方々も声明に慣れ、お稽古の成果がよく出ていました。努力が実ってすばらしいと思い、よかったと思いました。ただ、私の法要に対する考えは、参詣者の方々との一体感を重んじることです。立派な声明や『理趣経りしゅきょう』の読誦どくじゅも大切ですが、「在家勤行式ざいけごんぎょうしき」を活用して、僧侶と参詣者が共に読経することが肝要ではないでしょうか。参詣者の方々は、皆様とても熱心なので、太鼓の響きに合わせて光明真言が堂内に遍満します。その唱和は「おみごと」としか言いようがありません。

今月はまた三名の方が得度を受けますので、法衣の着用を指導したり、その打合せをしました。また、加行けぎょう(教師になるための修行)の伝授もしました。すべてが終わった後は、さすがに疲れました。今日はこれで失礼させていただきましょう。

「霊障」とは何か

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仏教

令和2年7月2日

 

先の大戦では、多くの青年が「特攻隊」として飛行場や空母から離陸し、その若い命を散らしました。

では、その特攻の青年たちは何と叫んで敵艦に突撃とつげきしたのでしょう。「天皇陛下万歳!」と叫んだでしょうか。多くの皆様が、そのように思っていらっしゃるはずです。しかし、実際は違うのです。では何と叫んで、人生の最後を遂げたのでしょうか。私はよく父から聞かされました。「お母さーん!」と叫んだはずだ、と。そして、その胸のポケットには、多分に母親の写真を忍ばせていたはずだ、と。

私の兄は二十七歳の短命に終わりました。亡くなった後にその遺品を整理していましたら、財布の中に、何と母親の小さな遺影が入っていました。私たち兄弟の母もまた三十三歳と短命でした(私が僧侶になろうと決心した理由の一つです)。生前は母の仏壇に線香ひとつお供えしたことのない兄でしたが、私はこの事実に驚きを禁じ得ませんでした。

つまり男性というものは、常に母親を思うということです。母親を思い、母親から愛情を受けたいと、そう思って生きているのです。母親の乳を吸い、母親の「おふくろの味」で育ち、母親からやさしい言葉をかけてもらえることに無上の喜びを感じるからです。だから、母親との関係を悪くして育った場合、その男性には必ず問題が生じます。

これはなぜかというと、男性というものが多くは母方の血を引くからです。陰陽の牽引けんいん関係から、そうなるからです。私は長年にわたって人の相談に応じていますが、このことには確信があります。その男性の母方の、祖父母のいずれかに似るからです。だから、男性に何かの問題がある場合、「母系供養」が絶対に必要だということです。これは霊が〝たたる〟などという意味ではありません。いつもお話していますが、この世とあの世は同じものです。一対の鏡が写し合うように、一対の音叉が共鳴し合うように、同時にあるからです。つまり、私たちはこの世とあの世を共に生きているということです。「霊障れいしょう」という言葉がありますが、あの世の苦しみがこの世の苦しみとなって、共に現れるということです。〝たたる〟のではなく、同じ苦しみを背負い、同じ苦しみを分かち合っているということです。

もう、余白がなくなりました。女性はもちろん、父親を思い、父方の血を引きます。特に父親との関係が結婚運に大きく関わることは、以前にも書きました。だから、女性は特に「父系供養」が大切だということです。おわかりですね。

母系供養の大切さ

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仏教

令和2年7月1日

 

今日から七月に入り、東京近郊では早くもおぼんです。スーパーでもお盆用品が並んでいます。お寺でも施餓鬼せがき法要の準備に取りかかっています。近頃は主婦でもパートなどで留守が多く、いわゆる棚経たなぎょう(檀家の精霊棚で読経するおつとめ)もめっきり減って来ました。それでもお盆ともなれば、墓参をして先祖供養を心がける方は多いはずです。

ところで、私は毎日のお護摩でご祈祷もしますが、実は先祖供養にも力を入れています。朝一番にお大師さまの前で勤行をした後、必ず光明真言こうみょうしんごん土砂加持どしゃかじ(砂粒を如意宝珠として供養する行法)を修しています。土砂加持を修することにより、ご祈祷の威力いりきが一段と高まることを確信しているからです。

その先祖供養のことですが、一般にはどうしてもご自分の家だけに片寄りがちです。というより、ほとんどの方がそれを当然のごとくに考えています。男性はたいていは父方の姓を名乗っています。女性は結婚すれば、実家のことなど口出しすることもありません。そして出生のルーツなど問うこともありません。しかし、これはおかしなことです。私たちは父母両家から生まれて来たのです。戸籍上の問題ではありません。それが血の流れというものです。父方はもちろんですが、母方の供養をおろそかにしてはなりません。私はこれを称して「母系供養」と呼んでいます。

私はホームページでも説明(信仰と供養のイメージ図参照)しているとおり、人の生命を一本の樹木にたとえています。父母両家の根があって、私たちは生かされています。成長すれば枝が伸びて葉もつきます。根が強くて十分な水分や栄養があれば、つまり父母両家の供養が十分であれば、立派な実がなるのです。風通しをよくするために枝おろしをしたり、虫がつかぬよう薬剤を用いることも必要でしょうが、根本は地中の根(まさに根本!)にあるのです。

この樹木の図を示して説明すると、多くの方が共鳴して納得し、私の土砂加持に参加してくれます。ところが、肝心な僧侶の方は、こうしたお話にあまり興味を示しません。もちろん先代住職の回忌ともなれば、法要をいたしましょう。またお寺の庫裡くり(住居)には仏壇がありましょう。そして、仏飯や茶を供えましょう。しかし、どうでしょうか。奥様の実家やその母方のことなど、ほとんど関心を持ちません。「母系供養」の大切さを忘れています。

私は一般の方はもちろんですが、僧侶の方にこそ「母系供養」の大切さを理解していただきたいと願っています。そして、それが血の流れに根ざした本来の先祖供養であることを理解していただきたいと、切に願っています。

肝のすわった僧侶

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人物

令和2年6月30日

 

宮城県の松島は「日本三景」の一つに数えられる、天下の名勝です。そして、松島の古刹こさつといえば瑞巌寺ずいがんじです。伊達政宗ゆかりの寺としても有名ですが、幾多の変遷へんせんを経て、江戸時代に雲居うんご禅師によって興隆しました。この雲居禅師、松島の中の〈雄島おじま〉と呼ばれる小島の岩窟がんくつがよほど気に入ったのか、毎日ここで座禅をして、深夜に寺に帰るのが日課になっていました。瑞巌寺からさほどに遠い距離ではありませんでしたが、老杉や古松がうっそうとして昼でも薄暗い道です。村の人々は気味悪がって、めったに通ることもありませんでした。

さて、村の若い者が集まれば、いたずら心と遊び心は常のこと。いったい、この禅師がどのくらい度胸がすわっているのか、試そうじゃないかということになりました。つまり、何とかして驚かせてやろうということになったのです。

禅師が雄島から帰る時刻はわかっていましたから、おのおの、それぞれの部処について待ち受けることとなりました。墓場の影に隠れる者、木に登ってうかがう者、うずくまって待ち受ける者、それぞれです。それぞれの所で、禅師が近づいたら、仰天させてやろうと若者たちは得意げでした。

夜はしんしんと更けわたり、一面は妖気ようきにつつまれる頃となりました。そろそろ、禅師が帰る時刻です。すると、かなたよりゲタの音を運ばせながら、禅師が静かに近づいて来ました。若者たちは息をのんで、これを待ち構えました。

ある松の下に差しかかったその時、樹の上から禅師の頭をグッとつかんだ〝もの〟がありました。禅師は身じろぎもせず、ただ立ち止まって動きません。つかんだ方も、息を殺して動きません。ウンともスンとも言わず、静寂の時間が続きました。つかんだ方は決まりが悪くなりました。気がぬけてしまったのです。仕方なしに、つかんでいたその手をそっと離しました。手が離れると、禅師は何ごともなかったかのように、また歩き出して寺に帰りました。

その翌日、若者たちは何くわぬ顔つきで禅師のもとを訪ねました。そして談たけなわの頃、あの森では妖怪ようかいが出るなどと、知らんふりをして話題に出しました。そこで禅師は、こう語りました。

「うん、昨夜は松の木の下で頭をつかまれたよ。じっと立っていたら、だんだん五本の指先が暖かくなってな。妖怪ではないとわかった。人間のにおいじゃったよ。そういえば、お前さんたちのこの臭いと同じじゃったなあ」

若者たちはほうほうのていで逃げ去りました。きものすわった僧侶とは、こういう方のことなのでしょう。さすがですね。

三遊亭圓朝の誕生秘話

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人物

令和2年6月29日

 

初代・三遊亭圓朝さんゆうていえんちょうは、幕末から明治にかけて活躍した落語家です。落語中興の祖と呼ばれ、歴代名人の筆頭ともされています。特にお笑いの滑稽噺こっけいばなしより人情噺にんじょうばなしの評価においては、古今独歩の地位にあるといえましょう。

もちろん、名人として世に知られるまでには、並々ならぬ辛苦しんくがあったことは申すまでもありません。まだ小圓太こえんたと名乗っていた修行時代、師匠ししょう圓正えんしょうの家では、お使いや掃除そうじばかりさせられていました。師匠が寄席に向かう場合も、当然おともとしてついて歩かねばなりません。電車もバスもありませんから、遠い道のりでも師匠の荷物を持って歩けば、疲れもするし、空腹にもなります。

ある冬の夜、師匠がめずらしく「蕎麦そばでも食っていくか」と言って、暖簾のれんをくぐりました。小圓太は自分も一杯食べさせてもらえれば、冷え切った体も温まるだろうと喜びました。ところが席に着いたのは師匠だけで、しかも天ぷら蕎麦とお酒を一人前しか注文しません。そして、お酒を飲みながら天ぷら蕎麦をうまそうに食べてしまうと、さっさとお代を払って出て行きました。そして、後ろをふり向くと、「蕎麦が食いたかったら、早く真打しんうち(高座で一番の出演者)になれよ」と、それだけでした。

弟子入りして二年余りになっても、一度としてはなし稽古けいこをつけてくれません。とうとう我慢がまんできずに、そのことを師匠に願い出ました。すると師匠は、「では寒いだろうが、明日は夜明けまでに来い」と言います。翌日、小圓太は眠気ねむけも寒さも忘れて、師匠の家にけつけました。ところが、言いつけられたのは庭掃除です。小圓太が池のところをほうきではいていると、師匠がいきなり氷の池に突き飛ばしました。氷をくだいて全身ずぶぬれです.それでも、こごえる体で着がえを済ませて庭に出ると、師匠がスズメに米粒をいていました。一羽のスズメが食べ終わると、樹の枝にとまりました。また別の一羽が食べ終わると、一段上の枝にとまりました。師匠はそれを、ジーッと見つめています。そして、「もう、稽古は済んだぞ」と言うのです。小圓太は何のことやらわかりません。そして、師匠が言いました。

「高座で空腹のはなしをする時は、あの蕎麦そばのことを思い出せ。眠い時や体がこごえた時の話をする時は、さっきのことを思い出せ。そうすれば、はなしが真にせまる。このスズメを見ろ。下のスズメと上のスズメを見る時は、目線を移さねばならん。わしはそれを教えたんじゃ。だから稽古は済んだと言ったんじゃよ」

小圓太は初めて、師匠の厚い情けを知りました。こうまでして、弟子である自分を仕込んでくれている師匠の慈悲を知りました。名人・三遊亭圓朝の誕生秘話です。

続続・腎臓が寿命を決める

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健康

令和2年6月27日

 

何度もお話していますが、私たちは健康のために「これがいい、あれがいい」と言っては、いいものを取り入れることばかりに専念します。しかし、いいものを取り入れるためには、まず悪いものを取り除かねばなりません。悪いものを取り除いて、次にいいものを取り入れる、この順序が大切です。

では、悪いものを取り除くとは、何なのでしょうか。答えは明白です。つまり、よい排泄はいせつをするということなのです。いいお通じをして、いいおしっこをすることです。この単純な真理こそ、実は健康の秘訣だといえるのです。

よいお通じは、腸内環境で決まります。つまり、「腸内フローラ」と呼ばれる〝お花畑〟のように善玉菌・悪玉菌・日和見菌ひよりみきんのバランスを整えれば、お通じはスムーズに排泄されるのです。スムーズに排泄されれば、栄養もスムーズに吸収されます。そして、おしっこは腎臓、広くは〈腎〉のはたらきで決まります。〈腎〉が弱ってはいいおしっこが作れません。特に腎臓は肝臓とのネットワークによって、悪いものを排泄してくれます。だから〈腎〉が弱っていては毒素がたまり、よい血液が作れず、体力が衰え、老化が進むのです。〈臍下丹田せいかたんでん〉という言葉がありますが、生命力はここに集中し、それをつかさどるのが〈腎〉なのです。「腎臓が寿命を決める」とは、このことを指しているのです。

〈腎虚〉に対しては、根菜類を食べるとよいとお話をしました。実は根菜類は体を温めるはたらきがあります。一般に、太陽に向かって伸びる葉類の野菜は体を冷やし、逆に地面の中に伸びる根菜類は体を温めます。これも重要なことで、葉類のサラダを多食する人の体温が低いのはこのためです。〈腎〉は冷えに弱いことも知らねばなりません。下半身を温め、下半身の筋肉が強くなれば、〈腎〉の機能は格段に高まり、いろいろな症状が改善されるはずです。

最後に、私の大胆な仮説をお話しましょう。〈腎〉には「先天の精」が蓄えられ、これに「後天の精」が補充されます。「先天の精」とは父母から受け継いだ遺伝的な生命力です。では、父母から受け継いだとは、どういう意味でしょうか。私は〈腎〉は〝あの世〟とつながっていると考えています。私たちはもちろん〝この世〟に生きています。しかし、この世とあの世は同じものです。あの世は〝ここ〟にあるからです。あの世の〝うつし〟が現世うつつよ、つまりこの世です。いや、生も死もなく、私たちはこの世とあの世を共に生きているのです。『般若心経』が説く「不生不滅ふしょうふめつ」なのです。父母の父母、そのまた父母、つまり先祖の精を受けて生きているということです。先祖を大切にすることも〈腎〉の養生ようじょうであるという事実が、いずれ明かになる日が来ることを私は信じています。

続・腎臓が寿命を決める

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健康

令和2年6月27日

 

漢方には「相似そうじの理論」という考え方があります。つまり、同じ臓器や似たような形のものは、同じはたらきをするという意味です。そんなバカなと思うかも知れませんが、船は魚に似せて作り、飛行機は鳥に似せて作るではありませんか。だから、肝臓の悪い人はレバーを食べればいいし、目の悪い人は魚の目玉を食べればいいということになります。また、クルミは脳の形に似ていますから、頭の悪い人(失礼!)は少しずつ食べるとよいのです。

ところで、〈腎〉はみな下半身の位置にあることは言うまでもありません。樹木にたとえるなら、上半身は幹や枝にあたり、下半身は地中の根にあたります。だから、〈腎〉が弱った〈腎虚〉の症状には、地中の根のもの、つまりゴボウ・ニンジン・レンコン・ヤマイモ・ネギ・玉ネギなどの根菜類を多く食べることです。気づくと思いますが、みな強壮効果があるものばかりです。〈腎〉が精力であり、生命力なのです。

また、〈腎虚〉による老化現象の漢方薬として、よく「八味地黄丸はちみじおうがん」が用いられます。若返りの妙薬として知られていますが、その名のとおり八つの生薬で調合されています。ところが、その中の五つまでが、これまた植物の根なのです。すなわち、山薬さんやく(ヤマイモ)・地黄じおう(アカヤジオウの根)・沢瀉おもだか(サジオモダカの根)・牡丹皮ぼたんぴ(ボタンの根皮)・附子ぶし(トリカブトの根から毒性を除去したもの)と、いかに植物の根を重んじるかが理解されましょう。ただし漢方薬に関しては、専門の医師や薬剤師に相談してください。自己判断で服用してはいけません。

次に〈腎虚〉が進むと、必ず下半身の筋肉が衰えることも知らねばなりません。腹筋が弱くなり、お尻が下がり、太ももが細くなるはずです。したがって、〈腎虚〉に対しては、何をおいても下半身をきたえることが大切です。私は毎日、水平足踏あしぶみ(太ももを床から水平になるまで上げる足踏み)を朝晩それぞれ3分ずつ実行しています。おしゃれな砂時計を用いていますが、予定を考えながらやっている内にアッという間に終ります。その後、腹筋足上げと腕立て伏せを20回ずつ課していますが、これは無理には勧めません。水平足踏みかスクワットがいいでしょう。一生自分の足で歩けることを保証します。

それから下半身を温めることも大切です。シャワーで済ませず、お風呂に入って、特に下半身をよく温めることです。腹巻も「かっこ悪い!」などと思わず、多いに活用しましょう。腰の腎臓の要所を使い捨てのカイロで温めたり、こぶしでたたいたり、指圧することを勧める治療師もいます。

くり返しますが、〈腎〉こそは生命力の根本です。そして、特に「腎臓が寿命を決める」のです。自分でできることを、少しずつ実行しましょう。実行すれば、必ず効果が出ます。生命力の根本は、人生そのものの根本です。

山路天酬密教私塾

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