山路天酬法話ブログ

考えることの大切さ

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思考

令和2年9月8日

 

私の知人では少なくとも三名、自宅にテレビを置かない方がいます。私自身もテレビはほとんど見ません。ニュースや天気予報をチェックしたり、よほど気になる番組を見ることはありますが、あとはまれにスイッチを入れる程度なのです。ただ、気に入ったDVD(映画・テレビドラマ)は何回でも、くり返し見ています。

どうしてテレビを見ないかと言いますと、考える時間をうばわれるからです。もちろん、テレビを見ながらでも考える、また考えさせられる番組はあります。しかし、ほとんど思い出すことがありません。どんな本を読んできたかは記憶に残りますが、どんなテレビを見てきたかは、子供の頃の人気番組のほかは記憶に残りません。つまり、テレビ番組はおもしろく笑い、時間を忘れて過ごす手立てにはなりますが、本当に有益であるかどうかはわからないということです。多くは目的がないから、さびしいからテレビをつけているに過ぎません。家族の団らんすら、テレビに支配されています。

人間は独りになって考える時間が必要なことは以前にも書きました。そのための多くの時間が、テレビによって奪われているはずです。それは、電話についても同じことが言えましょう。振り込め詐欺さぎなどは論外としても、セールス電話などはまったく一方的な都合で時間を奪われます。スマホやパソコンになると、さらにメールが加わります。もちろん、現代人の生活はインターネットを含めて、スマホやパソコンなくしてはあり得ません。私自身もその恩恵おんけいに浴しています。また、スマホやパソコンの能力が、ビジネスの能力であることも確かです。

しかし、受け取ったメールは本当に必要な情報でしょうか。他人の悪口や愚痴を読んでいるだけでも、私たちの神経は激しく乱れ、いつの間にか感化されていきます。返信をすれば、さらにその返信が気になり、本来は備えているはずの待つことや耐えることの能力を失っていきます。問題はほとんどの現代人が、それに気づかないでいることなのです。

また、若い方々は書くという習慣が極端に減りました。ボールペンすら正しく持てません。スマホがメモ帳であり、予定表であり、記録(写真)であるからです。もちろん、こうしたスマホの機能は大いに活用すべきです。ただ、人間は指先で書くことにより脳とのフィードバックがはたらき、思考が深まり、整理されていくのです。私も仕事中や入浴中に浮かんだ〝ひらめき〟は書き残し、さらに〝発酵〟させて熟慮するようにしています。このブログはもちろん、伝道掲示、寺だより、そして著書にいたるすべては、こうした習慣から生まれました。

皆様はいかがでしょう。気まぐれに行動し、後で考えますか。それとも、よく考えて、それから行動しますか。しかし、そんなことを聞いている間にも、便利さとスピードが考える時間を奪っていきます。

月始めの総回向

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あさか大師

令和2年9月6日

 

昨日と今日、月始めの総回向・光明真言土砂加持法要こうみょうしんごんどしゃかじほうようを挙行しました。昨日は炎天下でありましたが、ご参詣の皆様も多く、元気に読経をしました。回向えこう殿でんが少し手狭てぜまに感じるほどです(写真)。今日は台風10号の影響なのか、少ない参詣でしたが昨日と同じ法要をして、両日とも「疫病退散写経」の御礼を兼ねての法話もしました。

また総回向終了後は、四度加行しどけぎょう(真言密教入門の行法ぎょうぼう修行)に励んでいるお弟子さん9名に不動護摩の伝授をしました。先日お伝えしたご寄進護摩壇を用いての、二度目の伝授です。お弟子さんたちはとても熱心で、私も力が入りました。いずれ成満じょうまんして、立派な真言宗教師となることを楽しみにしています。

なお、沖縄・九州の皆様には台風10号による災害からご加護をいただき、付近の避難所にあってもご無事に過ごされますことを念じてやみません。遠方よりご祈願をいたします。合掌

沈黙は〈金〉か〈銀〉か

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社会

令和2年9月3日

 

たとえば、誰かがある名言を『聖書』の言葉だと力説したとします。それに対して別の人が、「それは間違っている。シェークスピアの言葉だ」と反論したとします。さあ、皆様はこれを聞いて、何を思うでしょうか。

もし、これが二人だけの対話であったなら、もう簡単です。結果ははっきりしているのですから、よく調べて正しい答えを出せばよいでしょう。しかし、これが大勢の前、たとえば結婚披露宴でのスピーチであったなら、どうでしょうか。せっかくお祝いの席に呼ばれながら、宴席の雰囲気ふんいきをこわすことになってしまいます。反論された本人も、決していい気持ちにはなれません。反論した方も、相手から好意を持たれることはありません

しかし、人はこうしたあやまちをおこすことが意外に多いのです。いくら正しい見識を持っていても、時と場所簡ぶ必要があるということです。人間関係のバイブルとされるD・カーネギーの『人を動かす』にも、たしか「議論に勝つ唯一の方法は、議論をしないことである」といった意味の言葉があったように思います。議論に勝ったからといって、相手の自尊心を傷つけるばかりで、あと味が悪いことはいなめません。

しかし、議論をすることが必要な場合もあります。前にもお話をしましたが、日本人ほど自己主張の下手へたな国民はいません。微妙で繊細なすぐれた感性を持ちながら、これが裏目に出ると、もう外国人とはつき合えなくなります。曖昧にすることを美徳とするようでは、逆に嫌われてしまいます。特に政治などは雄弁であることが絶対条件で、雄弁の能力がなければ政治家にはなれません。日本の政治家は、どう思われているのでしょうか。

「雄弁は銀、沈黙は金」という格言は、ただ黙っていればよいという意味ではないのです。黙って耐えることが最良の策という場合もありますが、正すべき時に正すことは間違いではないのです。腹を立てて反論するのではなく、意見として主張すべきだということです。いずれが正しいかは、その場の空気から判断すべきことで、一概には決められません。

それに、もう一つ。いったいこの金と銀とは、どちらが上位なのでしょうか。オリンピックのメダルはもちろんのこと、一般には金を上位としますが、長い歴史の間には銀をもって上位とした時代もありました。〈砂金〉という採取法はあっても、〈砂銀〉という方法がないことでもわかりましょう。採取法が限られている以上、銀山には莫大な資金と労働力が必要となります。それだけに、入手が困難であったのです。

そうすると、この格言の本当の意味は逆転するのでしょうか。また、私は派手な金光きんびかりより、渋い銀光ぎんびかりの方が沈黙にはふさわしいようにも思っています。どっちがどっちなのか、わからなくなって来ますが、いずれに片寄ってもいけないとするのが仏教の戒めだとしておきましょう。

続・マンダラの料理

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食事

令和2年9月1日

 

昨日、日本のカレーは「インドカレー」ではないと言いました。しかし、日本のカレーにはまた別のよさがあることは、私も十分に承知しています。それというのも、あまりにも気安くインドカレーと名乗る商品が多いので、ちょっとケチをつけたくなったのです。既製のルーやレトルトを試食しても、この考えは変りません。

そこで、日本のカレーです。私は世のお母さん方は、何をおいてもおいしいカレーが作れるよう工夫すべきだと思っています。なぜなら、昭和の時代から現代にいたるまで、日本の子供さんたちが最も好きな料理はカレーだからです。調べてみてください。そして、考えてみてください。お母さんの料理、つまり〝おふくろの味〟を知ってこそ、子供さんは身も心も健康に育つのです。スーパーの揚げ物だけでしつけをしても、お母さんが思うようには育ちません。たとえパートで忙しくても、一品だけは手作りの料理を出してほしいのです。

そして、手作りの料理で最も喜ぶのがカレーなのです。既製のルーであっても、かくし味などネットで調べればいくらでも出ています。各メーカーもスパイスの研究には余念がありません。おいしい商品がたくさん出ています。得意の味を一つでも持っていれば、それだけで子供さんは手をたたいて喜びます。野菜がごろごろ入ったカレーを何杯もお代わりすれば、子供さんの躾けは必ずうまくいきます。だから、お母さん方はぜひ独自のカレーを作り出してほしいのです。

また若い男女も、カレーがあればうまくいくこと、間違いはありません。仕事を終えた頃、「今夜はカレー!」とメールをすれば、足をかせて帰って来るからです。そして家にたどり着くや、外にまで漂うそのにおいにつられて、夢見る思いで玄間のドアを開けるでしょう。

荻窪おぎくぼ二丁目裏通り

どこかの窓から幸せそうな

カレーライスの匂いがいつか

僕の心を急かせてる(南こうせつ・「荻窪二丁目」)

このカレーはもちろん、インドカレーではありません。ありふれた日本のカレーです。でも、あたたかく、心がなごみます。そして、日本人の心をとらえて離さないカレーこそは、みんなが喜ぶ「マンダラの料理」です。

マンダラの料理

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食事

令和2年8月31日

 

皆様は信じないと思いますが、実は私はインドカレーの名手(!)で、かなりの研究をして来ました。もし僧侶をやめたら(もちろん、やめませんが)、インドカレーの専門店をやっていく自信さえあるのです。このことは味にうるさい友人やご信徒の皆様が太鼓判たいこばんを押すところで、決して誇張ではありません。

もちろん、ここでいうインドカレーは、インスタントルーをポチャと落とす日本のカレーではありません。日本のカレーは小麦粉でとろみを出すのりのような舌ざわりで、お世辞にも「インドカレー」とはいえません(失礼!)。インドカレーは野菜やヨーグルトによってとろみを出すので、サラッとしてしかもコクがあり、夢幻ともいえる香りに特徴があるのです。

講釈をしましょう。そもそもインド人は、過酷な熱帯気候に耐えるため、体温を下げる食事が必要でした。そこでスパイスを豊富に使い、発汗させて涼しくなるカレー料理が伝統食となったのです。したがって、インドには〝カレー粉〟という食材はありません。その家のスパイスはその家の好みによって、石臼でくだきながら調合するからです。

十八世紀の昔、インドを植民地支配していたイギリスがこれを本国に持ち帰りました。そしてインド人とはまったく発想を変えて、西洋料理の手法から小麦粉でとろみを出したのです。日本には明治時代にそのイギリスから伝わりましたが、今日のような「カレーライス(あるいはライスカレー)」として普及しはじめたのは大正時代からでした。

本場の国々を除けば、日本人ほどカレーの好きな国民はいません。私も子供の頃から何とかおいしいカレーを作ろうと、とぼしい食材で工夫をしました。しかし、どのような工夫を重ねようと、本場の味を知らなければ作りようがありません。上京しておいしいカレーには出会いましたが、まだインドカレーまではたどり着きませんでした。

ところが十代の終わりにアジアの各地を訪れ、はじめて本場のカレーに出会いました。そして、私のカレーに対する概念が一変しました。カレーとはまさに香りであることを知りました。一にスパイス、二にスパイスで、辛みはどうにでもなるのです。だから、辛みがなくてもカレーの香りがすることも知りました。

やがて私は真言密教の僧侶となりましたが、ますますカレーにはこだわるようになりました。なぜなら、カレーこそはマンダラの教えそのものだからです。酸味・苦味・甘味・辛味・塩味の五味が融合ゆうごうするカレーは、諸仏諸尊が融合するマンダラにも等しいからです。つまり、五味が融合して香りが加わると、カレーという「マンダラの料理」になるということです。香りはすなわち、マンダラへの入壇にゅうだんのようなものでしょう。

もう余白がありません。私が作ったインドカレーをお見せしましょう(写真)。先日、炎天下で土木工事を手伝ってくださったお弟子さんに出したものです。カレーソースだけを盛って、具は好みでトッピングします。サラッとした舌ざわりで、サラッと汗が引きました。食欲をそそるこの香り、伝わりますか?

私の大切な宝もの

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真言密教

令和2年8月30日

 

今日は、私の大切な宝物をご披露ひろうしましょう。

とはいっても、豪邸や高級車ではなく、宝石や金塊でもありません。そのようなモノにはまるで縁がありませんし、何しろスーツひとつ所有しておりませんので、身を飾ることもありません。まるで隠遁者いんとんしゃそのものの生活なので、お大師さまに祈ることだけが私の財産です。それでも、この世に生きた痕跡こんせきとして、大切にしているモノがあることも事実です。

その一つが若い頃に使った護摩杓ごましゃく(お護摩の作法で油をそそぐ法具)で、三十代の折に明け暮れた八千枚護摩はっせんまいごま残骸ざんがいです(写真)。八千枚護摩とは真言密教の難行なんぎょうで、お不動さまの供養法を修して真言を十万遍お唱えし、その後に断食して八千本の護摩木を焼き尽くすという秘法です。一座に真言五千遍を唱えるだけでも五時間はかかります。護摩を加えて片づけをすると七時間近くかかりますから、一日三座では睡眠の時間もありません。私はこれを一回に七日間、一年に七回~十回を修して、五十回を成満しました。しかも、最初の三回までは七日間をすべて断食しましたから、真夏などは意識がもうろうとして護摩木を投ずることさえ困難でした。不思議な体験もしましたが、それ以上にお護摩に対する信念がつちかわれたことが最大の功徳となりました。

写真の撮り方が悪いのではありません。このとおり杓のが曲がっているのです。これはお護摩の高熱によって反ってしまったからです。私は先に二組の柄を燃やしてしまい、これが三組目で、かろうじて残りました。実はこの柄はかしの木で出来ています。想像はつくと思いますが、樫の木がこのように反るということは、並みの高熱ではあり得ません。いかに無謀むぼうな荒行に投じていたかが、わかりますでしょうか。おそらく真言密教の長い歴史の中でも、こんな痕跡こんせきを残した方はがさほどにいるとは思えません。この二本の杓こそは、私にとっては何よりの宝です。

それゆえ、私がこの世の人生を終えてひつぎに入る折には、この杓も一緒に入れていただこうと私案しています。そして、いざ火葬されるその時こそ、若い時のあの情熱をよみがえらせて、「六大無礙ろくだいむげ炬火こかを燃やして本来不生ほんらいふしょうたいを焼く」と観念をらし、もう一度この杓のお世話になろうと考えています。火葬の炎がお不動さまに変ずるよう、これからも大切に保管して磨きをかけておきましょう。

あれから、三十年近くがたちました。今の私は無謀な荒行より、お大師さまに楽しく接することに生きがいを感じています。何枚も皮がむけて、もともとの自分に帰ったような、そんな気持ちでいるのです。もちろん、人生に無駄なことなどありません。過ごした時間は、過ごしただけの価値があると、そう思っています。人はそのために生きているのです。たとえ、叶わぬことがあったとしてもです。皆様も同じですよ、きっと。

お護摩の伝授

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真言密教

令和2年8月27日

 

昨日と今日、お二人のお弟子さんに「不動護摩ふどうごま」の伝授をしました。

真言密教の僧侶は「四度加行しどけぎょう」という修行を経て伝法灌頂でんぼうかんじょう(正しい継承者となる儀式)に入壇にゅうだんし、一人前の教師となります。四度加行は文字どおり四種の修行をしますが、その最後が不動護摩なのです。不動護摩とはいわゆる不動明王(お不動さま)をお呼びし、さまざまな供養をなし、浄炎をもって祈願をする修行のことです。ほかのお弟子さんもこれから続きますが、今回のお二人にはトップを切って受法していただきました。

不動護摩は正式に修すると約二時間はかかります。印や真言、また観想など、覚えることがたくさんあって大変です。お二人とも二日間びっちりで、だいぶ疲れたようでした。私たちはお大師さまのような天才ではないので、そこは辛抱しんぼうと努力が必要です。しかし、それだけに今後の成長が楽しみです。

ところで、お護摩を修するには護摩壇が必要です。私が毎日修している護摩壇は特別なもので、加行中のお弟子さんにはとてもとてもあつかいきれません。そこで、どのように伝授をするか困っていましたら、あるお弟子さん夫婦が手作りの立派な護摩壇をご寄進してくださいました(写真)。私が望んでいたとおり、解体が可能なのでとても助かります。本当にありがたいことです。色を塗って仕上げをしようかとも考えています。

私が望んだわけではないのに、このようにことが運ぶのは、やはりお大師さまのご加護だと思っています。それだけお大師さまは、私やお寺のことを考えてくださっていることに間違いはないと確信しています。それは、私がいつもお大師さまを思い、おそば近くで仕えているからです。何ごとでも同じです。思わなければ思われませんし、近づかなければ縁は結ばれません。縁が結ばれねば何の変化もありません。簡単な道理です。

そして、このようなご縁をくださったお弟子さん夫婦に、深く感謝しています。私はお弟子さんに教えを説き、法を伝えますが、私もまたお弟子さんに多くを教えられ、多くを与えられているのです。これが師弟の関係であって、師が高いところからものを言うだけでは、本来の修行にはなりません。世の〝高僧〟ほど、自戒をすべきです。いや、これはちょっと、よけいなお話になりそうです。このへんで。

続・蛇体の威神力

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令和2年8月24日

 

実は、高野山にも蛇体に関する伝承が残っています。かつて、奥の院の一の橋から御廟ごびょうに向かう途中を右に少し入ると、「蛇柳じゃやなぎ」と呼ばれる柳の大木がありました。荒れ果てたさびしい湿地に、柳の枝がいくつにも分かれて伸びている様子は、まるで大蛇が地をう姿そのものだとされていました。近づくとまさに妖気ようきが漂い、背筋が寒くなったと語る人もいたそうです。現在では新しい墓地になっていますが、さて、その伝承です。

お大師さまが高野山を開創され、諸堂建設の指揮をされていた頃、東北の地(もちろん、当時はまだ奥の院という地名はありません)にとてつもない大蛇がいて、人々をおびやかしていることを耳にされました。お大師さまはこの大蛇は封じ込めないと高野山に差し障りがあると判断をされ、竹箒たけぼうきを持って現場に向かわれました。到着すると、なるほど今にも人をみ込まんとするほどの勢いで、見るも恐ろしい大蛇が地をっていたのです。お大師さまは持ち前の法力で、たちまちにその大蛇を竹箒に封じ込め、大蛇は柳の大木へと変じました。

竹箒を用いられたのは、たぶん大蛇のような、また龍のような形を想起されたからでありましょう。以来、高野山にはマムシ等の毒蛇がいなくなったことが、「高野七不思議」の一つとして数えられ、現在に至っています。それにしても、後世まで「蛇柳」として残るとは、並みのパワーではありません。

別のお話が、常喜院じょうきいんから根本大塔へ向かう「蛇腹道じゃばらみち」にも伝わっています。蛇腹道は今ではモミジの名所として知られる美しい小径こみちですが、たしかに蛇体のような曲線をなしています。お大師さまご在世の頃は、頭西腹北と頭東腹南の二龍がせった不思議な地形でした。この二龍の腹と腹の間を通ったことが、その名の由来です。近くの蓮池には龍王社が祀られていますので、お大師さまは高野山を風水ふうすいでの「龍臥りゅうがほら」と考えられ、ここでも法力を示されました。つまり、威神力をもって高野山を守護する龍王としてお迎えされたのです。

明治時代まで、高野山では「三つまた熊手くまで、および竹箒たけぼうきを禁ず」という規則がありました。封じ込めた大蛇を恐れたからでありましょう。竹の植栽さえ禁じました。そのため、コウヤボウキという低木の枝を束ね、これを箒として使いました。もっとも、これには別の理由もあって、人は竹を見るとかござるを作って商いをするからだと私は思っています。

蛇体には霊的なパワーがあるのです。仏教の強大な守護神ともなれば、悪蛇悪龍ともなるのです。たとえミミズといえども、粗末に扱ってはなりません。私も肝に銘じ、自戒をしています。

蛇体の威神力

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令和2年8月20日

 

私が子供の頃、農村の男の子はみな、川でりをしたものです。とはいっても、えさはミミズしかありません。ミミズばかりはいくらでもいたのです。また、男の子はどこにでも立小便をしたので、おしっこがミミズにかかることがよくありました。さあ、その時です。故意であろうが間違ってであろうが、そのおしっこがミミズにかかるや、男の子のアソコがれて痛み出すのです。私も何度か経験しましたので、よくわかります。これは確かなことです。

しかし、その理由がわかりません。いろいろ調べましたし、質問もしました。ある方はミミズが防御液を出すのではないかと言いましたが、たとえ子供でも、地面から男性器までの距離を考えれば納得はできません。ある方は不潔な手でおしっこをするからだと言いましたが、農村の子供はみな田畑を手伝って汚れていたのに、ミミズにおしっこをかけた時だけというのも納得できません。ある農学博士はこの質問に対して、「きわめてむすかしい」と答えています。

ミミズを干した生薬を漢方では「地龍じりゅう」といい、解熱剤として大変に薬効があります。高熱を発する疫病治療などにも、使われたかも知れません。たしか韓国の歴史ドラマ『王建(ワンゴン)』の中で、兵たちが疫病にかかって士気を失い、交戦もできない状況のシーンがありました。軍医も治療法が見つからず、悩むに悩みました。ところがある夜、夢の中にその先祖が現われ、ミミズを生薬と共にせんじて服用させれば快癒かいゆするとのお告げを受けました。事実、この処方で兵たちの命が助かりました。ドラマでのストーリーとはいえ、十分にあり得るお話だと思います。

また、近年は赤ミミズに含まれる〈ルンブルクスルベルス〉という酵素が血栓けっせんを溶かす効力があるとして、宮崎医科大学の美原恒みはらひさし博士らによって研究が進められています。脳梗塞のうこうそく心筋梗塞しんきんこうそくの救世主となり、栗本慎一郎氏がこの線溶酵素によって一命を取り留めたことでも話題になりました。これはまさに、驚異的な業績と言わざるを得ません。

それにしても、ミミズを「地龍」と呼ぶ薬名も気になります。〈龍〉は強大なパワーを持ち、権威や才能の象徴ともされます。皇帝の玉座ぎょくざを「龍座りゅうざ」とも言い、『三国志』では隠棲いんせい中の諸葛孔明しょかつこうめいを「臥龍がりゅう」と呼んでいます。かくれた天才という意味でしょう。また、いまだ天に昇らぬ龍を「蟠蛇はんじゃ」と言い、ヘビを龍の子供とするのです。龍は肉眼では確認できませんが、ヘビやミミズは地上の生物です。つまり、こうした蛇体には、何か霊的なパワーがあると考えられて来たのです。

農村のことばかりで恐縮ですが、ヘビをいじめたり、殺したりして高熱を出した子供がよくいました。釣りをして川魚を食べても、ネズミを退治しても何ともないのに、どうしてなのでしょう。弁財天の眷属けんぞくである白蛇はくじゃを「宇賀神うがじん」と呼ぶように、ヘビやミミズのような蛇体には、特殊な威神力いじんりきがあるとしか思えません。私が浄書する霊符れいふ(護符の一種)もまた、蛇体の形をしていますし、霊符行者はウナギ(蛇体)を禁食としています。今日のお話、いかがお思いでしょうか。

炎天下の布施行

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あさか大師

令和2年8月19日

 

いま、あさか大師の僧侶数名が土木作業の奉仕をしています。今日は生コン車が来て、打ち込みをしました(写真)。私も午前中はいっしょに手伝いましたが、この炎天下で両腕が真っ黒に日焼けしました。お護摩の時間にはお参りの方が見えましたので、私は本堂に戻りましたが、僧侶の皆様は大変でした。外気温は、当地でも36度を超えていました。お大師さまはこの布施行ふせぎょうをどのようにご覧になったでしょうか。

あくまで推測ですが、お大師さまが高野山を開かれた当時、お弟子さんたちの生活は似たようなものであったと思います。真言念誦ねんじゅや修禅瞑想の修行といえども、小屋のようなお堂から始まったはずです。山内の整備だけでも、並みの心労ではありません。ましてやお大師さまのご生前は、根本大唐も金堂も完成してはいませんでした。高野山の夏は涼しくとも、冬は酷寒のきびしさです。食料にさえ困窮していたに違いありません。

何ごとも同じですが、見た目の立派さは、目には見えない努力の積み重ねによって成し遂げられるのです。修行らしいことも大切ですが、このような影の支えがなければ、どんな誓願せいがんも達成できません。この功徳を大いに讃えたいと思います。

山路天酬密教私塾

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