続・蛇体の威神力

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令和2年8月24日

 

実は、高野山にも蛇体に関する伝承が残っています。かつて、奥の院の一の橋から御廟ごびょうに向かう途中を右に少し入ると、「蛇柳じゃやなぎ」と呼ばれる柳の大木がありました。荒れ果てたさびしい湿地に、柳の枝がいくつにも分かれて伸びている様子は、まるで大蛇が地をう姿そのものだとされていました。近づくとまさに妖気ようきが漂い、背筋が寒くなったと語る人もいたそうです。現在では新しい墓地になっていますが、さて、その伝承です。

お大師さまが高野山を開創され、諸堂建設の指揮をされていた頃、東北の地(もちろん、当時はまだ奥の院という地名はありません)にとてつもない大蛇がいて、人々をおびやかしていることを耳にされました。お大師さまはこの大蛇は封じ込めないと高野山に差し障りがあると判断をされ、竹箒たけぼうきを持って現場に向かわれました。到着すると、なるほど今にも人をみ込まんとするほどの勢いで、見るも恐ろしい大蛇が地をっていたのです。お大師さまは持ち前の法力で、たちまちにその大蛇を竹箒に封じ込め、大蛇は柳の大木へと変じました。

竹箒を用いられたのは、たぶん大蛇のような、また龍のような形を想起されたからでありましょう。以来、高野山にはマムシ等の毒蛇がいなくなったことが、「高野七不思議」の一つとして数えられ、現在に至っています。それにしても、後世まで「蛇柳」として残るとは、並みのパワーではありません。

別のお話が、常喜院じょうきいんから根本大塔へ向かう「蛇腹道じゃばらみち」にも伝わっています。蛇腹道は今ではモミジの名所として知られる美しい小径こみちですが、たしかに蛇体のような曲線をなしています。お大師さまご在世の頃は、頭西腹北と頭東腹南の二龍がせった不思議な地形でした。この二龍の腹と腹の間を通ったことが、その名の由来です。近くの蓮池には龍王社が祀られていますので、お大師さまは高野山を風水ふうすいでの「龍臥りゅうがほら」と考えられ、ここでも法力を示されました。つまり、威神力をもって高野山を守護する龍王としてお迎えされたのです。

明治時代まで、高野山では「三つまた熊手くまで、および竹箒たけぼうきを禁ず」という規則がありました。封じ込めた大蛇を恐れたからでありましょう。竹の植栽さえ禁じました。そのため、コウヤボウキという低木の枝を束ね、これを箒として使いました。もっとも、これには別の理由もあって、人は竹を見るとかござるを作って商いをするからだと私は思っています。

蛇体には霊的なパワーがあるのです。仏教の強大な守護神ともなれば、悪蛇悪龍ともなるのです。たとえミミズといえども、粗末に扱ってはなりません。私も肝に銘じ、自戒をしています。

山路天酬密教私塾

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