山路天酬法話ブログ

続・開運星祭りのおすすめ

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あさか大師

令和5年2月8日

 

〈開運星祭り〉では九種類の当年星とうねんじょう(今年に回座かいざした星)を表記した星祭り札が祈願されます。あさか大師では皆様が携帯できるよう、カード式のお札にしています(写真)。なぜなら、現代の住宅事情はお札をまつるスペースが少なく、初詣のお札といっしょに並べられない方が多いからです。カード式なら財布やカバンに入れて、常に持ち歩けます。

一般の星祭り札は金紙製の大きなものですが、私はかなり以前からカード式に切り替えました。また、全国各地で星祭りの伝授をしましたが、このカード式をご披露ひろうすると、受者である僧侶の方々がいっせいにスマホを向けて撮影をしたものでした。それだけに、私は自信をもっておすすめできるのです。

住宅事情といえば、もう一つ問題があります。それは現代の建て売り住宅やマンションに、理想の家相など求めようがないということです。特に玄間やトイレが鬼門(家相でよくない方位)に配置されている家など、ざらにあります。こうした場合は、八方除札(写真)を祀るようおすすめしています。昔は「家の中心の柱に」などといいましたが、現代はそんな柱もありません。場所はあまり気にせずとも、「力強い風水ふうすいになりますよ」とお話をしています。

また同じように、不浄除札・盗難除札・虫封札(写真)もいっしょにご祈願をしています。ことに不浄除札は〈トイレの神さま〉に喜ばれます。トイレは居住する中で最も不浄とされるだけに、気配りが必要です。だから、トイレに気配りをしてよくお掃除そうじをする方は、必ず開運します。

ちなみに、〈リーブ21〉の岡村勝正かつまさ社長は毎朝40分、一人でトイレ掃除を実行しています。私は大変に敬服し、自分でも掃除はもちろん、お香を献じてトイレの神さまに感謝をしています。皆様も不浄除札をお祀りして、しっかりとトイレ掃除をしていただきたいと思います。盗難除札・虫封札については、特に説明の必要はないと思います。

上記のお札(それぞれ一体1000円)をご希望の方は、あさか大師ホームページ〈お問い合わせ〉よりご連絡ください。〈開運星祭り〉は今月12日(日)午後1時からですが、当日以後でもお申込を受付けています。

開運星祭りのおすすめ

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あさか大師

令和5年2月7日

 

私は昨日より、今月12日(日)午後1時から挙行される〈開運星祭り〉の前行ぜんぎょうに入りました。7日間にわたって修しますが、その7日目が結願けちがんの大護摩供となります。

星祭りは〈星供ほしく〉ともいいますが、要するに皆様それぞれの当年星とうねんじょう(今年に回座した星)を供養して、善星ぜんせいの人はさらに開運を、悪星あくせいの人は厄難が除かれるよう祈願するものです。つまり、厄除は厄年に該当するする方だけが祈願をすればよいのですが、星祭りはご家族全員で祈願してほしいということです。大変にユニークな作法をしますし、善星悪星という占いの要素もあるため、たくさんの方々が興味をいだき、またお問い合わせの多い行事でもあります。

星祭りは星供曼荼羅ほしくまんだら(写真上)を本尊となし、星供壇ほしくだん(写真下)を荘厳しょうごんします。この星供曼荼羅は京都の仏画師・兼島聖司かねしませいじ先生に依頼した肉質原画です。写真での複製品が出版社から販売されていますが、この原画を見たいという僧侶の方が多いのは当然でしょう。

星供壇の荘厳でユニークなお供えの一つに、ナツメがあります。私は日頃からおやつとして食べていますが、中医学で「毎日食すれば老いない」といわれるだけに、健胃・強壮・造血・鎮静等に効能があります。仙菓せんか(神仙界のお菓子)とも呼ばれ、まさに不老長寿の妙薬であり、特に貧血の女性にとっては救世主となりましょう。

また、抹茶まっちゃもしくは茶葉のまま湯を注いだお茶を供えます。おわかりでしょうが、それだけカテキンの多い状態で供えるということです。最近はお湯を注ぐだけの茶葉サプリメントがいろいろ販売されていますが、星祭りの神さまが好む供物として昔から伝承されて来ました。神さまが好む以上、人間の健康にもよいことは納得ができます。

私が『当年星供秘要とうねんじょうくひよう』(青山社)というお次第(聖教)を刊行して以来、星祭りをするお寺が増えて来たことは喜ばしいかぎりです。あさか大師はいうなれば、そのご本家ともなりますので、しっかり修さねばなりません。皆様のお申込をお待ちしています。なお、お申込書をご希望の方は、ホームページの〈お問い合わせ〉にてご連絡ください。

先祖供養は何を伝えるのか

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あさか大師

令和5年2月6日

 

昨日と一昨日は、先祖供養の総回向法要がありました。あさか大師ではお導師である私はもちろん、僧侶の方もご信徒も、いっしょになって読経をします(写真)。それは先祖供養は僧侶だけが一方的に読経をすればよいというものではなく、供養の力は僧侶とご信徒の力を融合させなければ成就しないからです。

もちろん、皆様の中には「供養料をお支払いをしますから、お寺で拝んでおいてください」とおっしゃる方もいます。しかし、これをたとえればコンビニやスーパーでお弁当を買い、それをお供えするようなものです。やはり、皆様が自ら手作りで食事を作り、それをお供えしたほうがはるかに喜ばれることは間違いありません。想いの入れようが違うからです。いっしょに読経をするとは、このことなのです。

あの世の人にはどのような供物であれ、どのような読経であれ、結局は想いを伝えるものであることをきもに銘じましょう。そして、想いとは具体的な行為が伴って伝わることも、忘れてはなりません。時間を作ってお寺に足を運び、自らも読経に参加することは、このような意味があるのです。忙しいことは誰しも同じです。その貴重な時間を捻出ねんしゅつして、お寺に参拝することも、また想いのひとつです。

親しい人が亡くなる前に夢枕に立ったり、亡くなった人の気配を感じるのは、想いが伝わるからです。それに答えるためにも、私たちはこの世のルールで示さねばなりません。この世のルールとは具体的な言葉であり、また行為です。つまり、胸に想っていることは言葉に出し、行為に示さねば伝わりません。先祖供養はそのルールを示す絶好の機会ではないでしょうか。

積徳開運法

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九星気学

令和5年2月3日

 

私は昨年11月に、『九星気学立命法きゅうせいきがくりつめいほう』(青山社)という著書を刊行しました(写真)。

これは方位の活用を主とする九星気学を、推命法すいめいほうとして応用したものです。本人の本命ほんめい(生まれ年の九星)と月命げつめい(生まれ月の九星)に吉神・凶神(36パターン)を配置して、先天運を鑑定するものです。占術としては簡単な方ですが、本命(9)×月命(9)×吉神・凶神(36)=2916の先天運を鑑定することができます。

もちろん、日命にちめい時命じめいを用いませんので、四柱推命などに比べれば網の目があらいことは否定できません。しかし、占術は細かいからよいとは断言できません。九星気学は活用範囲が広く、短時間での鑑定にも便利であることなどをかんがみみると、私などには最も活用しやすい占術であるからです。

また、昨日と一昨日はこのDVD版を出版するため、二日間にわたって撮影をしました(写真)。来月には発売されると思いますが、はじめて九星気学を勉強する方のために初歩から解説しましたので、ぜひご覧いただきたいと思います。

しかし、私が本書において主張したいことは、占術よりもむしろ〈立命法りつめいほう〉にあります。立命とは徳によって命を立てる、つまり積徳による開運法をいいます。明治時代まではさかんに力説されましたが、しだいに忘れられてしまいました。しかし、近年また復活し、心ある方によって提唱されています。他界された京セラの稲盛和夫さんも、立命の信奉者でした。

積徳とは、つまり世の中に対するほどこしです。施しとはお金ではありません(もちろん、お金も含まれはしますが)。誠実であること、親切であること、思いやりがあること、そして人のために役立つ生き方をすることです。施しが多いほど人にも好かれます。プラスのパワーに包まれます。このプラスのパワーが多い人ほど、それがオーラとなって開運するのです。

私たちは天才でもなければ、英雄でもありません。しかし、日常のささいな行いから、徳を積むことはできます。小さな施しも少しずつ積めば、大きな徳となりましょう。好感をもつ人が、感謝をする人が、つまり自分にプラスのパワーを送る人が世の中に多いほど、その方は開運するのです。私は毎日の予定表にいいことをしたなら〇印をつけ、少しでも増やせるように努力をしています。

もちろん、方位を活用したり、家相や墓相を活用することも大切です。しかし、現代の生活はなかなか活用しがたい時代であることも事実です。私は積徳による開運法が、日本の新しい道徳力となって広まることを念じてやみません。

続・お葬式は無用なのか

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令和5年1月31日

 

私がお葬式を勤めた場合、故人に対して二つのプレゼントを渡してお見送りをしています(写真)。

その一つは、正しい作法でお葬式を受けた証明として「印可いんか血脈けちみゃく」を渡します。これは引導のお作法ですでにお授けをしてはいますが、いわばあの世へ旅立つ〈道中手形〉です。お大師さまから脈々と伝わった秘印明ひいんみょうとお祖師さまの流れが書かれています。そして「エンマさまに対面したら、これを見せなさい」と、説き聞かせながらお授けをしています。またご遺族には、「エンマさまはたぶん、ああ、山路和尚の印可か。よしよしと、ニッコリしてくれますよ」と、半ば冗談じょうだんに(いや、もちろんマジメに!)お話をしています。

これは渡す私にも、実は重大な責任が伴います。私が僧侶として、またお導師としてどれだけの人徳があるかが問われるところで、それだけの確信がなければ、とてもこんなお話はできません。この「印可・血脈」を授けるにふさわしい人徳があるか否かを、私は自分に問い続けています。

もう一つお授けしているのは、「光明真言破地獄曼荼羅はじごくまんだら」で、これはいわば〈道中御守〉です。〝破地獄〟という名のとおり、地獄に向わぬようお守りいただくもので、戒名のまわりを光明真言で囲んでいます。もちろん、故人にとっては心強い支えになることでしょう。

法話の最後にこの二つのプレゼントの説明をすると、ご遺族の方がとても喜びます。そして、「お葬式をしてよかった」というお気持ちになります。前回のお話をくり返しますが、お葬式はこの世に残った人たちのためにするのではありません。あくまで、あの世に旅立つ故人のためのものであることを知ってほしいと思います。

お葬式は無用なのか

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令和5年1月29日

 

昨日、久しぶりにお葬式を依頼されました。私はお葬式を勤めることは少ないのですが、時には求めに応じて出仕しています。それは、私が出版した『真言宗・独行葬儀次第』でお導師を勤める僧侶の方が多いので、現代のお葬式事情を勉強するという目的もあるからです。

私は通夜やお葬式の後、必ず法話をします。たいていは、「お葬式は大切ですよ」いうことを力説することにしています。ご承知のように、近年はお葬式をしない方が急増しました。その理由のほとんどは費用がかかり過ぎるからというものです。これはお寺や葬儀社にも責任がありますし、世間体せけんていを気にする日本人の風習にも問題がありました。また〈葬式無用論〉が、さも文化的であるかのような主張にも問題があります。

ただ、「戒名はいらない」「葬式はいらない」といった意見は、あくまでこの世に残っている自分たちの事情であって、故人の〝あの世〟の事情については何も考えていないことを知ってほしいのです。もちろん、あの世などあるはずがないというならそれ以上は問いませんが、人は儀式を通じて自覚が伴っていくことを忘れてはなりません。入学式があるからその学校に入ったことを自覚するのです。成人式があるから大人になったことを自覚するのです。結婚式があるから夫婦となったことを自覚するのです。そして、お葬式で引導いんどうを受け、子や孫から見送られてこそ、人は安心してあの世に旅立てるのではないでしょうか。

もし、誰からも見送られず、だたのお骨となって荷物のように扱われたなら、その故人は自分の一生が何だあったかと悲しむはずです。お葬式の費用は工夫をすれば、何とかなるものです。また、あの世への旅立ちは、お葬式の費用で成否が決まるわけではありません。事実、昨日の祭壇はとても簡素なものでした(写真)。子を持てば、親の苦労はわかるはずです。自分が社会に出るまで、親がどれほどの苦労を背負ったかがわかるはずです。その親のお葬式だけは、何があっても行ってほしいと私はお話しています。

私は時々、境内の片隅に人の気配を感じることがあります。また深夜の2時・3時に、インターホンが鳴ったり、ドアをノックする音を聞くことがあります。たいていは、「ああ、お葬式をしてもらえなかった人だな」とわかります。本堂には入って来ません。というより、自分がみじめで入れないのでしょう。私たちは生まれた時、誰かの手を借りて産湯うぶゆにつかります。あの世への旅立ちも、誰かのサポートが必要なのです。お葬式はこの世の残った人のためのものではありません。あくまで、故人のためのものであることをわかってほしいのです。

一代で富豪になれるのか

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あさか大師

令和5年1月26日

 

世の中には一代で富豪になったとされる立志伝の人物がいます。しかし、私はその人物が〝一代〟で富豪になったとは、とうてい思えません。なぜなら、どのような分野であれ、偉大な業績は決してその人物一人の一代の力だけでは成し得ないからです。おそらくは何代かに渡って、世の中に積んだ先祖の徳があったゆえだと思うからです。たとえば、飢饉ききんや震災の折に多くの食をほどこしたといった徳が、親から子へ、子から孫へと引き継がれ、ついにある人物をして顕現けんげんするからです。

もっとも、そのような家に生まれたその人物もまた、同じような徳を持っていたには違いありません。私はこのことを、「タテには先祖から、ヨコには前世から」とお話をしています。80億もの人間が生息する中に、タテには家系の流れがあります。そして、ヨコには無限ともいえる魂の流れがあります。その最もふさわしい家系とふさわしい魂が交差し、タテとヨコの流れが一致して人が誕生するのではないかと私は思っています。

では、徳とは何でしょうか。それは、世の中に与えたもの、与えた力です。世の中の人が欲するもの、喜ぶものを与えたその業績をいうのです。物とも心とも問いません。その業績が徳となってその人物を包み、運を開き、望むものを手に入れ、富豪となり得たのです。時には財を、時には食を、また時にはやさしい言葉や真心を与えたに違いありません。それが何代かに渡らねば、一代の富豪など生れる道理がありません。人には能力に加えて、徳の力こそ大切であるからです。

では、私たちは富豪にならずとも何をすべきでありましょうか。あさか大師では「一食布施いちじきふせ」を皆様に呼びかけ、月に一度、一食分の食事代(三百円~千円程度)を恵まれない方々に布施する運動を行っています。皆様、ちょっとした小銭があると、募金箱(写真)に入れてくださいます。昨年は「ウクライナ緊急募金」として、ユニセフに寄進しました。

このささやかな布施が実って、やがては次の世で、あるいは次の次の世で、皆様に偉大な徳をもたらすことを願ってやみません。ご希望の方には、専用の振込用紙をお送りいたします。どうぞ、お知らせください。たとえ功徳は小さくとも、その積み重ねこそ大切ではないでしょうか。

最高の声出し健康法

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健康

令和5年1月22日

 

私たちは産声うぶごえをあげてこの世に誕生します。つまり、この世に生れた最初の行動は、声を出すことでした。また、泣き声の大きい赤ちゃんは元気だともいわれます。これも、声の大きさが生命力の如何いかんを証明する事実ともいえましょう。

逆にいえば、意識的に腹式呼吸(生命力の宿る丹田たんでんからの呼吸)をしつつ、大きな声を出せば健康法としての効果が期待できるのです。たとえば、カラオケです。カラオケで一曲を歌うと、100メートルを全速力で走った時と同等の有酸素運動になることがわかっています。全力疾走は心臓の悪い人には勧められませんが、カラオケなら何の問題もありません。楽しく歌いながら自律神経を整え、ストレスを解消し、血管をしなやかにし、血圧も下がります。さらに、動脈硬化を引きおこす中性脂肪まで減少することが判明しています。

これは私が知っている実話ですが、ある70代の女性が肺がんを患い、主治医から余命2年以内と宣告を受けました。彼女は人生の最後をどのように過ごすかを思案しましたが、カラオケで青春時代の思い出の曲を歌ってみたいと決心するにいたりました。ところが、自分でも驚くほどにハマってしまったのです。彼女は毎日毎日、カラオケに夢中になりました。どうしてもっと早くカラオケに出会えなかったのかと、やんだくらいでした。

半年ほど過ぎた頃、また主治医のもとを訪れ、再検査をしました。するとどうでしょうか。あの肺がんがスッカリ消えていました。有酸素運動によって自然治癒力が高まり、健康な肺に戻っていたのです。私はこのお話を聞くや、いわゆる〈声出し健康法〉に対して大きな自信を得ました。しかし考えれみれば、カラオケをせずとも、声出し健康法なら私は一日として休むことなく実践しています。皆様、おわかりですよね。

そうです、読経こそは〈最高の声出し健康法〉なのです。しかも、単なる健康法にとどまらず、仏さまには法楽となり、ご先祖には供養となり、自分には功徳となるのです。さらに訳文を学べば教養となり、写経をすれば書道の稽古となり、携帯すれば御守となるのです。こんな健康法が、ほかにあるでしょうか。あさか大師では僧侶はもちろんですが、参詣者が一緒に読経ができるよう『あさか大師勤行式ごんぎょうしき』を販売(一冊千円)しています(写真)。

一般には、腹式呼吸は女性の方は苦手だとされますが、心配いりません。あさか大師で一緒に読経をすれば、自然にお腹から大きな声が出るようになります。まるで〝天上の声〟です。「お経は耳で読め」といいますが、お腹から声を出す僧侶の方と一緒に読経をすることが大切です。論より証拠です。皆様、〈最高の声出し健康法〉にどうぞお越しください。

人はなぜ仏像仏画に引かれるのか

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信仰

令和5年1月18日

 

弟子僧より、サントリー美術館(東京都港区)で開催されている「京都・智積院ちしゃくいんの名宝」図録をいただきました(写真)。智積院は東山七条にあり、真言宗智山派の総本山です。代表的な宝物としては長谷川とうはくの国宝・障壁画しょうへきががあげられます。今回はその障壁画をはじめ、仏像仏画や墨蹟などが一挙に公開され、衆目を集めました。

ところで、このような仏教美術展が開催されると、大勢の人々が集まります。国立博物館での開催ともなると、場合によっては2時間も並んで入場しなければならないこともあります。多忙な現代人が、なぜ遠くから交通費をかけ、入場費を払い、2時間も並び、高価な図録を買い求めるのでしょうか。奈良や京都の寺院、あるいは高野山などに、世界中の人々が集まるのも同じです。つまり、人はなぜ仏像や仏画に心を引かれるのでしょうか。皆様はこの事実を、どのように考えますでしょうか。

実は、その答えは簡単なことなのです。それは私たちの心の中にも仏さまがいらっしゃるからです。心の中の仏さまが、同じ仲間を求めるからです。「類は友を呼ぶ」というではありませんか。私たちの心の中に、同じ仏さまがいらっしゃらなければ、わざわざ時間とお金をかけて足を運ぶことなど、思いもよらぬことです。

私たちは心の中の仏さまなど、普段は意識することはありません。ところが、何かの機会に仏像や仏画にの縁に接すると、たちまちにその仏さまが顕現けんげんし、心を引かれます。だから、仏像や仏画も仏さまなのです。仏さまと仏さまが呼び合ってこそ、人は信仰に目覚めるのだと、私は思います。それだけに、仏像や仏画に接することはとても大切です。

どなたであったか、「芸術は宗教の母なり」といいました。また「信は荘厳しょうごんから」ともいいます。眼には見えずとも、仏さまは仏像や仏画で〝見る〟ことができるのです。

如意宝珠の金運パワー

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あさか大師

令和5年1月16日

 

あさか大師では昨日、年はじめの〈金運宝珠護摩〉を修しました(写真)。元日以来、ずっと晴天が続きましたが、久しぶりにどんよりとした曇り空で、いくらか雨も降りました。

この金運宝珠護摩の間、私がどんなことを意識しているかといいますと、まずお護摩の炎の中に如意宝珠にょいほうしゅをイメージします。そして、その如意宝珠から金運パワーがき出されるとイメージをするのです。したがって、このお護摩に同席している方々は、おのずからその金運パワーを浴びることになります。

如意宝珠から金運パワーが吐き出されるというイメージは、お大師さまが高野山に向う途中、奈良の天河辯才天てんかわべんざいてんにて授かったとされる秘法に由来しています。私はこの秘法を、心ある真言行者には授けて来ました。「必ずご加護がありますよ」と、私はお話をして来ました。そして、真剣に修した方は、私の言葉に間違いがなかったことを確認しています。

金運宝珠護摩は、毎月第三日曜日の午前11時半より修しています。私はほとんど宣伝をすることなく修していますが、「知る人ぞ知る」とうわさされています。当然のことですが。

山路天酬密教私塾

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