山路天酬法話ブログ

この世で所有するものは何もありません

カテゴリー
真言密教

令和5年2月22日

 

私達はこの世で所有するものは何もありません。この体も、お金も財産も、土地も家も、名誉も地位も、すべては天与のあずかりもの、いうなれば借りものです。このお話を、皆様は何と思うでしょうか。

私たちはこの体を、親から授かりました。現代人は驚くほど長命です。健康法にも熱心です。しかし、どんな人もいずれは病み、死を迎えます。つまり、お返しせねばなりません。そして、魂は本来のくらいに戻ります。戒名の後に、〈位〉とあるのがこの意味です。肉体はありませんが、別の体をまた授かります。

お金も財産も同じです。人は働き、世の中に何かを与え、それが認められた分の報酬を得ます。しかし、不正を働けばやがて失い、相続者に徳がなければ消えていきます。真言密教ではこれを、〈虚空蔵こくうぞう〉という宇宙の蔵、宇宙銀行にお返したためと教えています。

長いローンを組んで手に入れた土地も家も同じです。二代・三代と過ぎれば、まったく別の人が住みます。名誉も地位も、永遠のものではありません。二代目はどうにか維持しますが、三代目がどうなるかはわかりません。これらはすべて、徳のいかんで決まるからです。徳が尽きれば、虚空蔵にお返しせねばなりません。初代は世の中に尽くし、徳を積みますが、二代目・三代目も同じように積めるかどうかです。二代目・三代目でさらに発展する家は、かならず、それだけの徳を積んでいます。

ところで、お寺が永く続くのは、どうしてでしょうか。それは僧侶たる者はこのことを理解し、徳を積んでいるからです。すべては預かりもの、借りものであることを理解し、挨拶を忘れず、恩にむくいるからです。つまり、人が亡くなれば仏さまを念じて、本来の位に送っています。建物を建てるなら、土地の地鎮祭(仏式)をして、借り受けの挨拶をしています。おわかりでしょうか。

私はこの19日と21日の二度、真言密教の〈地鎮鎮壇法じちんちんだんほう〉という行法の伝授をしました。これは、この世の預かりものである土地の神さまに対し、一般の家なら地鎮祭を、お堂を建てるなら鎮壇法ちんだんほう(写真はその荘厳しょうごん)を修するためです。

最近は家を建てるにも、地鎮祭をする方が少なくなりました。それは、土地も家も借りものであることがわかっていないからです。お借りする以上は、挨拶をするのが当りまえです。挨拶をしなければ人間どおしでもトラブルをおこします。土地の神さまに感謝をしなければ、それだけでも徳が消えます。住んでから体調不良や厄難災難が起きるのは、このせいだと理解しましょう。

土地や家の値段に比べれば、その費用など微々たるものです。このブログを読んだ皆様が家を建てる時は、必ず地鎮祭を依頼していただきますようお願いいたします。なお、地鎮祭をせずに建てた家(建売住宅)の問題に対しては、〈鎮宅法ちんたくほう〉があることもお伝えしておきましょう。

金運護摩のツボ

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月20日

 

あさか大師では昨日、第三日曜日恒例の金運宝珠護摩を奉修しました(写真)。

金運において、皆様の関心は物価の高騰にありましょう。特に食品への出費は、どのご家庭でも頭を抱えていらっしゃるはずです。買い物をするたびにおサイフの中を気にする日常は、どなたも同じではないかと思います。

金運へのお護摩は如意宝珠を祈ります。如意宝珠は諸宝を吐く真言密教の球体で、上部が突起し、そこからパワーが上昇します。私はお護摩の中に如意宝珠を観じ、パワーが参詣者に遍満するよう祈念するのです。その瞬間、堂内は金色に輝き、パワーが参詣者の百会ひゃくえ(頭のてっぺんのツボ)より注入していくことでしょう。

百会はいろいろなツボが交わる身体の要所ですが、下がった内臓を「引き上げる」という働きもあります。私は同時に、金運をも引き上げると観じるのです。ここがこのお護摩の肝心であり、極意もここにあることはいうまでもありません。参詣者は体が「軽くなりました」ともいい、また「熱くなりました」ともいいます。

最近はこのブログを読んで金運宝珠護摩を知り、遠くからもお越しになる方が増えました。皆様もぜひお越しになってください。毎月第三日曜日の午前11時半からです。

続・健康は呼吸で決まる

カテゴリー
未分類

令和5年2月18日

 

私は毎日の読経による〈声出し健康法〉や法螺貝のほか、呼吸による健康法をもう一つ実践しています。

それは加藤治秀はるひで医師(故人)の発案による〈水平足踏あしふみ〉です。その著書『万病に効く・水平足踏み』(マキノ出版)はすでに絶版ですが、まだアマゾン等の中古品で求められます(写真)。著書の序文にもありますが、実は瀬戸内寂聴さんもこれを実践していました。彼女の精力的な活動の影には、こうした努力があったことは間違いありません。

世の中にいかほどの健康法があろうとも、腸腰筋ちょうようきんきたえ、呼吸法によって血流を活性化する運動として、私はこれほどにすぐれた方法はないとさえ思っています。ジョギングやウォーキングは雨天には向きません。スポーツクラブに通うには、時間もお金もかかります。健康器具を買えば場所を取ります。雨天に関係なく、時間もお金もかからず、場所も取らず、これほど便利な手立てはあり得ません。

スクワットもよいのですが、腰痛の方が無理をするには問題があります。その点、水平足踏みは骨盤のゆがみを正して、腰痛の回復までも早めてくれます。期待できる症状として、心臓病・高血圧・糖尿病・高脂血症・狭心症・喘息・胃炎・便秘・肩こり・頭痛・ひざ痛・神経痛・下痢・うつ病・認知症など、それこそ枚挙にいとまがありません。

水平足踏みとは、足踏みをしながら太ももをを床から水平になるまで上げるものですが、加藤医師はこれに呼吸法を加えました。口をすぼめて「ハク・ハク・ハク・ハク・ハク・ハク」と六回吐き、「スウ・スウ」と鼻から二回吸う八拍子リズムをくり返すのです。もちろん、腕もしっかり振りましょう。水平足踏みは腸腰筋も鍛えますが、この呼吸法に万病を癒す秘密があるのです。加藤医師は90歳に至っても、これを毎朝3分間、300回を自ら実践していました。私も同様に毎朝、お供えするお茶を沸かす間に実践しています。それこそ、アッという間です。3分間ですよ。

始めは10回からでも、イスにつかまりながらでもよいのです。注意することは、太ももが床から水平になるまで上げること、これだけです。始めはちょっとキツイかも知れませんが、決心さえすれば、誰でもできます。皆様もぜひ、試してみてください。まず、駅の階段が楽に登れます。息も切れません。歩くスピードも速くなります。この速さが、歩行力の目安となります。出勤をする方は、駅までに何人を追い越せるかを、朝の秘かな楽しみにしましょう。

健康は呼吸で決まる

カテゴリー
健康

令和5年2月17日

 

生きるとは〈いきる〉こと、〈息をする〉ことです。だから、生きていくうえで、呼吸ほど大切なものはありません。健康は呼吸で決まるとさえいえるのです。よい呼吸をすれば健康になり、悪い呼吸をすれば健康を害するのです。

私たちは「食べていけるのか」「何を食べようか」と、食べることは忘れません。しかし、食事をせずとも何日かは生きていけますが、呼吸が止まれば、もはや生きていくことはできません。呼吸は生命を守る一大事であるのに、むしろ食事より大事であるのに、人は何も考えなければ、ケアもしないのです。これは誰が考えても、おかしなことです。

私たちは1分間に約15回、1日に約2万回、1年間に約730万回の呼吸をします。しかも、片時も休むことがありません。空気中の酸素を体内に取り入れ、栄養素を燃焼させてエネルギーに変え、これを生涯にわたってり返しているのです。ところが食事と同様、よい呼吸を習慣にして健康な人もいれば、残念ながら悪い呼吸によって不調を招いている人が多いのも事実です。

では、よい呼吸とは何でしょうか。それは深くて乱れのない呼吸です。反対に悪い呼吸とは浅くて乱れの多い呼吸です。実は、ここで健康の差が出るのです。皆様は「乱れた呼吸など、するはずがない」と思うでしょうか。では、悩みや苦しみを抱えた時、どんな呼吸をしているでしょうか。あるいは不安や怒りを覚えた時、どんな呼吸をしているでしょうか。このような状況に陥いると、人はゼイゼイ、ハアハアとまではいかずとも、大変に浅い、乱れた呼吸をしています。

そうすると、酸素が不十分となり、エネルギーを生み出せません。自律神経が乱れ、体内の機能が低下します。疲労が重なり、健康までも害するのです。呼吸は私たちが意識している以上に、はるかに大きなレベルにあることがわかりますでしょうか。健康法は数限りなくありますが、呼吸に無関心であることは、まるで足もとで墓穴を掘っているようなものです。

私はいつも〈声出し健康法〉をおすすめしていますが、これは深くて乱れのない呼吸そのものであるからです。もう、おわかりでしょう。お寺で読経をすることは、最高の健康法です。ストレスを解消し、心を平安に導きます。臓器の衰えを防ぎ、老化までも遅らせます。しかも、仏さまには法楽となり、先祖には供養となります。

私はさらに、吹奏楽器(あるいは類した健康機具)による呼吸筋こきゅうきんの鍛錬もおすすめしています。つまり、肺をふくらませる筋肉を強化することです。私は毎日のお護摩で法螺貝ほらがいを吹きますので、この点でも幸運この上がありません(写真)。

皆様もハーモニカや笛など、呼吸筋に関わる楽器に親しんでみてください。口元やほうれい線などにも効果テキメンで、美顔に導くことを保証します。顔の表情も豊かになりますよ。実は「私が証明です!」といいたいのですが(笑)。

お地蔵さんの顔が変わる

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月15日

 

あさか大師の入口には六地蔵ろくじぞうさんがまつられています。その由来ゆらいは隣りにタクシー会社があり、その社長さんが交通安全のためという願いで購入したものでした。ところが、管理する人がいないためか、大変に無残な姿で放置されていました。そこで私が、「これではお地蔵さんがかわいそうですよ」とお話をしたところ、「お寺で引き取っていただけませんか」ということになり、お堂を建てて安置したわけです(写真)。

ところで、あさか大師にお参りされる方がよく、「お地蔵さんの顔が変わりましたね」とか、「とてもやさしい顔になりましたね」などとおっしゃいます。たしかに、この六地蔵さんを当山に運んだ頃は、非常にきびしく、何かに耐え忍んでいるような顔であったことを、私も記憶しています。もちろん今は、皆様のお祈りを受けてとてもやさしく、心なごむ表情になりました。近所の方にも親しまれ、おさい銭もたくさんあがります。

ではいったい、お地蔵さんの顔が変わるとは、どういうことなのでしょうか。もちろん、石に彫られたお地蔵さんは、花崗岩かこうがんという単なる物質に過ぎません。つまり、物質的な変化などおこるはずはありません。ところが、物質的にはあり得ないはずなのに、祈る人から見ると不思議な変化を遂げるのも確かです。

これは、物質世界を超えた祈りの異次元世界が加わるという以外には、説明がつきません。私はこれを「仏だから祈るのではなく、祈るから仏になるのです」とお話をしています。つまり、物質としての石像に、祈りというパワーが加わることにより、〝本当の〟生きた仏になるからです。

お寺の本尊さまを見ればわかります。本当に祈られている本尊さまは慈顔じがんに満ち、生き生きとして衆生しゅじょうと共に歩んでいるはずです。特にお護摩によって祈られた本尊さまには、強いパワーがみなぎっています。しかし、昔は祈られていたのに今は眠っていらっしゃる本尊さま、単なる置き物として飾られているだけの本尊さまからは、パワーが感じられません。

皆様が仏像をお持ちなら、ぜひ祈りを捧げてください。しだいに表情が変わりますよ、きっと。仏だから祈るのではなく、祈るから本当の仏になるのです。

星祭り大護摩の金粉

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月13日

 

あさか大師では昨日、恒例の星祭り大護摩を奉修しました(写真)。先日もお話をしましたが、厄除は厄年の人だけがご祈願をすればよいわけですが、星祭りはご家族全員でご祈願していただきたいと思っています。なぜなら、盛運の人も衰運の人も、いっしょに仲よくご祈願するのが星供曼荼羅ほしくまんだらの教えであるからです。星祭り札はたくさん開眼しましたので、ご希望の方はこれからでもお申込みください。

星祭りはその星供曼荼羅を本尊として、はたへいを安置し、紙銭しせん(神仙界のお金)・茶葉(仙薬)・ナツメ(仙菓)・交飯きょうぼん(小豆めし)など、めずらしいお供えをなし、作法もかなり特殊です。また神仙界の神さまは、大変に光を好みます。キラキラしたものを好み、お護摩の間にも、その象徴として金粉が降り注ぐことがあります。

昨日はご参詣の方々には特にお話はしませんでしたが、お護摩の後に、自分の手のひらに金粉が付いていました。このような現象はこれまでに何度も体験しています。はじめは僧侶が振る錫杖しゃくじょう(金属製の仏具)の真鍮しんちゅうが粉末となって飛んだものかと思ったものでした。しかし、錫杖を振らずに星祭りのお護摩を修しても、結果は同じでした。

これは神仙界の神さまがお喜びになっているものと解釈し、吉祥の現象としてありがたく受け止めています。また、昨日の祈願札をお受けになった皆様が、厄難を転じて吉祥となりますことを念じてやみません。これで年頭行事が終了しました。来月は21日(お大師さまご入定日)に正御影供(午前11時半)と春彼岸会(午後1時)を奉修いたします。

続・開運星祭りのおすすめ

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月8日

 

〈開運星祭り〉では九種類の当年星とうねんじょう(今年に回座かいざした星)を表記した星祭り札が祈願されます。あさか大師では皆様が携帯できるよう、カード式のお札にしています(写真)。なぜなら、現代の住宅事情はお札をまつるスペースが少なく、初詣のお札といっしょに並べられない方が多いからです。カード式なら財布やカバンに入れて、常に持ち歩けます。

一般の星祭り札は金紙製の大きなものですが、私はかなり以前からカード式に切り替えました。また、全国各地で星祭りの伝授をしましたが、このカード式をご披露ひろうすると、受者である僧侶の方々がいっせいにスマホを向けて撮影をしたものでした。それだけに、私は自信をもっておすすめできるのです。

住宅事情といえば、もう一つ問題があります。それは現代の建て売り住宅やマンションに、理想の家相など求めようがないということです。特に玄間やトイレが鬼門(家相でよくない方位)に配置されている家など、ざらにあります。こうした場合は、八方除札(写真)を祀るようおすすめしています。昔は「家の中心の柱に」などといいましたが、現代はそんな柱もありません。場所はあまり気にせずとも、「力強い風水ふうすいになりますよ」とお話をしています。

また同じように、不浄除札・盗難除札・虫封札(写真)もいっしょにご祈願をしています。ことに不浄除札は〈トイレの神さま〉に喜ばれます。トイレは居住する中で最も不浄とされるだけに、気配りが必要です。だから、トイレに気配りをしてよくお掃除そうじをする方は、必ず開運します。

ちなみに、〈リーブ21〉の岡村勝正かつまさ社長は毎朝40分、一人でトイレ掃除を実行しています。私は大変に敬服し、自分でも掃除はもちろん、お香を献じてトイレの神さまに感謝をしています。皆様も不浄除札をお祀りして、しっかりとトイレ掃除をしていただきたいと思います。盗難除札・虫封札については、特に説明の必要はないと思います。

上記のお札(それぞれ一体1000円)をご希望の方は、あさか大師ホームページ〈お問い合わせ〉よりご連絡ください。〈開運星祭り〉は今月12日(日)午後1時からですが、当日以後でもお申込を受付けています。

開運星祭りのおすすめ

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月7日

 

私は昨日より、今月12日(日)午後1時から挙行される〈開運星祭り〉の前行ぜんぎょうに入りました。7日間にわたって修しますが、その7日目が結願けちがんの大護摩供となります。

星祭りは〈星供ほしく〉ともいいますが、要するに皆様それぞれの当年星とうねんじょう(今年に回座した星)を供養して、善星ぜんせいの人はさらに開運を、悪星あくせいの人は厄難が除かれるよう祈願するものです。つまり、厄除は厄年に該当するする方だけが祈願をすればよいのですが、星祭りはご家族全員で祈願してほしいということです。大変にユニークな作法をしますし、善星悪星という占いの要素もあるため、たくさんの方々が興味をいだき、またお問い合わせの多い行事でもあります。

星祭りは星供曼荼羅ほしくまんだら(写真上)を本尊となし、星供壇ほしくだん(写真下)を荘厳しょうごんします。この星供曼荼羅は京都の仏画師・兼島聖司かねしませいじ先生に依頼した肉質原画です。写真での複製品が出版社から販売されていますが、この原画を見たいという僧侶の方が多いのは当然でしょう。

星供壇の荘厳でユニークなお供えの一つに、ナツメがあります。私は日頃からおやつとして食べていますが、中医学で「毎日食すれば老いない」といわれるだけに、健胃・強壮・造血・鎮静等に効能があります。仙菓せんか(神仙界のお菓子)とも呼ばれ、まさに不老長寿の妙薬であり、特に貧血の女性にとっては救世主となりましょう。

また、抹茶まっちゃもしくは茶葉のまま湯を注いだお茶を供えます。おわかりでしょうが、それだけカテキンの多い状態で供えるということです。最近はお湯を注ぐだけの茶葉サプリメントがいろいろ販売されていますが、星祭りの神さまが好む供物として昔から伝承されて来ました。神さまが好む以上、人間の健康にもよいことは納得ができます。

私が『当年星供秘要とうねんじょうくひよう』(青山社)というお次第(聖教)を刊行して以来、星祭りをするお寺が増えて来たことは喜ばしいかぎりです。あさか大師はいうなれば、そのご本家ともなりますので、しっかり修さねばなりません。皆様のお申込をお待ちしています。なお、お申込書をご希望の方は、ホームページの〈お問い合わせ〉にてご連絡ください。

先祖供養は何を伝えるのか

カテゴリー
あさか大師

令和5年2月6日

 

昨日と一昨日は、先祖供養の総回向法要がありました。あさか大師ではお導師である私はもちろん、僧侶の方もご信徒も、いっしょになって読経をします(写真)。それは先祖供養は僧侶だけが一方的に読経をすればよいというものではなく、供養の力は僧侶とご信徒の力を融合させなければ成就しないからです。

もちろん、皆様の中には「供養料をお支払いをしますから、お寺で拝んでおいてください」とおっしゃる方もいます。しかし、これをたとえればコンビニやスーパーでお弁当を買い、それをお供えするようなものです。やはり、皆様が自ら手作りで食事を作り、それをお供えしたほうがはるかに喜ばれることは間違いありません。想いの入れようが違うからです。いっしょに読経をするとは、このことなのです。

あの世の人にはどのような供物であれ、どのような読経であれ、結局は想いを伝えるものであることをきもに銘じましょう。そして、想いとは具体的な行為が伴って伝わることも、忘れてはなりません。時間を作ってお寺に足を運び、自らも読経に参加することは、このような意味があるのです。忙しいことは誰しも同じです。その貴重な時間を捻出ねんしゅつして、お寺に参拝することも、また想いのひとつです。

親しい人が亡くなる前に夢枕に立ったり、亡くなった人の気配を感じるのは、想いが伝わるからです。それに答えるためにも、私たちはこの世のルールで示さねばなりません。この世のルールとは具体的な言葉であり、また行為です。つまり、胸に想っていることは言葉に出し、行為に示さねば伝わりません。先祖供養はそのルールを示す絶好の機会ではないでしょうか。

積徳開運法

カテゴリー
九星気学

令和5年2月3日

 

私は昨年11月に、『九星気学立命法きゅうせいきがくりつめいほう』(青山社)という著書を刊行しました(写真)。

これは方位の活用を主とする九星気学を、推命法すいめいほうとして応用したものです。本人の本命ほんめい(生まれ年の九星)と月命げつめい(生まれ月の九星)に吉神・凶神(36パターン)を配置して、先天運を鑑定するものです。占術としては簡単な方ですが、本命(9)×月命(9)×吉神・凶神(36)=2916の先天運を鑑定することができます。

もちろん、日命にちめい時命じめいを用いませんので、四柱推命などに比べれば網の目があらいことは否定できません。しかし、占術は細かいからよいとは断言できません。九星気学は活用範囲が広く、短時間での鑑定にも便利であることなどをかんがみみると、私などには最も活用しやすい占術であるからです。

また、昨日と一昨日はこのDVD版を出版するため、二日間にわたって撮影をしました(写真)。来月には発売されると思いますが、はじめて九星気学を勉強する方のために初歩から解説しましたので、ぜひご覧いただきたいと思います。

しかし、私が本書において主張したいことは、占術よりもむしろ〈立命法りつめいほう〉にあります。立命とは徳によって命を立てる、つまり積徳による開運法をいいます。明治時代まではさかんに力説されましたが、しだいに忘れられてしまいました。しかし、近年また復活し、心ある方によって提唱されています。他界された京セラの稲盛和夫さんも、立命の信奉者でした。

積徳とは、つまり世の中に対するほどこしです。施しとはお金ではありません(もちろん、お金も含まれはしますが)。誠実であること、親切であること、思いやりがあること、そして人のために役立つ生き方をすることです。施しが多いほど人にも好かれます。プラスのパワーに包まれます。このプラスのパワーが多い人ほど、それがオーラとなって開運するのです。

私たちは天才でもなければ、英雄でもありません。しかし、日常のささいな行いから、徳を積むことはできます。小さな施しも少しずつ積めば、大きな徳となりましょう。好感をもつ人が、感謝をする人が、つまり自分にプラスのパワーを送る人が世の中に多いほど、その方は開運するのです。私は毎日の予定表にいいことをしたなら〇印をつけ、少しでも増やせるように努力をしています。

もちろん、方位を活用したり、家相や墓相を活用することも大切です。しかし、現代の生活はなかなか活用しがたい時代であることも事実です。私は積徳による開運法が、日本の新しい道徳力となって広まることを念じてやみません。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ