山路天酬法話ブログ

真の勝利

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社会

令和元年6月4日

 

三度〈事〉をなして、三度とも成功するのは危険です。自信過剰から増上慢ぞうじょうまんになり、怖いもの知らずになり、いずれは暴走して自爆じばくするからです。

この世は競争の社会ともいえましょう。競争に勝ち負けはつきものです。そして、やたらと強運な人がいることも事実です。しかし、強運がいつまでも続くことはありません、反対に衰運がいつまでも続くこともないのです。

かつて、ヤクルト・スワローズの監督として、またプロ野球解説者として活躍した関根潤三さんに『一勝二敗の勝者論』という本があり、私は大変に感銘を受けました。いったい、一勝二敗がどうして勝者になれるのか、皆様はおわかりになりますでしょうか。

当然ながら、一勝二敗では負け越しです。一勝二敗がいつまでも続けば、勝者にはなれません。しかし、関根さんが言うのは、そうではない。その先なのです。

その一勝二敗にくじけず、とにかく一勝する努力を続ければ、いつかは必ず二勝一敗に持ち越せるというのです。もしかしたら、三勝することだってあるかも知れない。そうなれば、態勢が変わり、勝者への道が開かれるのです。大切なことは、くじけずに一勝すること。そして、時に二勝し、まれに三勝して逆転勝利をめざすことだというのです。まさに目からウロコ、私は今でもこの本を大事に保存しています。

たしかに三勝ばかりをめざすと、一敗しただけでも士気が落ち込み、ヤケをおこすのです。勝ちたい気持ちだけでは、長いペナントレースには勝ち残れません。

もう一度お話しますが、三度〈事〉をなして、三度とも成功したなら、「危ない! 危ない!」と思いましょう。ほどほどに勝つこと、負けながら勝つこと、これが真の勝利というものです。ああ、今日もいいお話をしました。

井の中の蛙

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人生

令和元年6月3日

 

「井の中のかわず、大海を知らず」といいます。井戸の中という狭い世界に住む蛙(カエル)は、大きな海の広さを知らない、と。そのことを皮肉に表現しています。このことわざは中国の古典『荘子(秋水篇)』に登場するお話を、日本流にアレンジしたものです。

ところが、このことわざには、「されど空の深さ(青さ)を知る」という続きがあることはあまり知られていません。井戸の中の蛙は、来る日も来る日も天上の空を見つめています。大海は知らずとも、空の深さも青さもよく知っています。井戸という狭い場所にとらわれ、海の話が通じなくても、空のことならよく知っているということでしょう。

つまり、たとえ狭い分野とはいえ、一つのことに徹するならその道の専門家になれるのです。博学多才ではなくとも、こつこつと一道に励めば必ず大成します。もちろん一分野だけの専門家がよいか、博学多才がよいかは一概にはいえません。

何ごとにも良し悪しがあり、二面性があるのです。自分とは性格も気質も違うからといって、安易に他人を批判すべきではないのです。そう考えると、井の中の蛙は大したものです。私が生まれた実家にも井戸があり、夏にはスイカを冷やしたりしたものです。たしかに、中に蛙がいたように思います。そうなると、上からのぞいていた私を、蛙があざ笑っていたかも知れません。「空のことがわかるのか?」とね。汗顔、汗顔!

真剣勝負

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護摩

令和元年6月2日

 

毎日、午前11時半にはお護摩を修しています(写真)。お護摩が終ると、お参りの皆様は持参した昼食をいただきます。これを毎日くり返しています。

 

 

この、毎日のくり返しが重要で、これによって寺のパワーが高まるのです。堂内に霊気が遍満するのです。まれに荒行をしたからといって、まれに大祭をしたからといって、大したパワーにはならないことがわかりますでしょうか。人間の体だって同じです。一度に多くの栄養を摂ったからといって、健康な体にはなれません。毎日のくり返しが重要です。

また、あさか大師では「願いおき護摩木」といって、その日ごとに護摩木をお預かりしています。1ケ月分の棚があり、希望する日に護摩木を入れていきます。病気の手術や受験の日に向けて、連日祈願を修します。だから、毎日お護摩を修さねばなりません。私は30年以上、こんな生活を続けています。

私が真剣でなければ、お参りの皆様が真剣になれるはずがありません。趣味や道楽ではないのです。だから、毎日が真剣勝負です。20代で僧侶になった時、お師匠様から「道心の中に衣食えじきあり」という揮毫きごうをいただきました。真剣に道を求めていれば、衣食はおのずから与えられるというほどの意味です。当時はそれほど感じ入ったわけではありませんが、年齢を重ねるうちに、この言葉の意味がよくわかるようになりました。大切なことは真剣であることなのです。明日もまた心がけますよ。

他生の縁

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仏教

令和元年6月1日

 

今日は月初めの回向法要があり、いつも法話をしています。5月18日に「縁の不思議さ」についてブログを書きましたが、同じようなことをお話をしました。皆様、熱心に聞いていただきまして、初夏の薫風のようにさわやかな一日となりました(写真)。

特に今日は、わざわざ青森より尼僧様がお越しくださいました。そのほか、新しい縁が少しずつ広がっています。私が何を望もうが望むまいが、縁があれば出会い、縁がなければ出会いません。また、今日お越しになるはずの予定が変更になったり、逆に急に時間が取れてお越しになった方もいらっしゃいます。

考えてみれば、お会いしたいと思いながらどうしても叶わず、反対に思ってもみない方とお会いするのも、すべてこれ縁としかいいようがありません。それでも、今日という日のこの時間とこの場所で、地球上の70億の人の中からこのように出会うのはよほどの縁です。まるで奇跡のような確率で、私たちは出会っているのです。

だから、人との出会いはその縁を通じて、必ず意味があるのでしょう。「袖すり合うも他生の縁」なのです。〈多少〉ではなく、〈他生〉と書きます。他生とは今世とは異なる人生、つまり前世のことです。だから、〈他生の縁〉とは前世からの縁という意味です。皆様もどうか、他生の縁を大切にしてください。これも仏教のお話なのですよ。

皆様、だんだんに怪しげな顔になってきました。こんなお話をしてから、冗談に入りました。奥深いお話ばかりでは、息が切れましょう。最後にお茶をいただき、お見送りをしました。もう一度お話しますが、薫風のようにさわやかな気持でお見送りをしました。

鈍感力

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人物

令和元年5月31日

 

渡辺淳一さんの著作に『鈍感力どんかんりょく』があり、かなり話題になりました。

一般的なお話として、鈍感な人が讃えられることはありません。むしろ、敏感で鋭い人ほど求められ、リーダッシップを発揮するはずです。でも渡辺さんは、鈍感であることは大きな才能であると主張しています。なぜなら、鈍感であるからこそマイペースで物ごとを進め、イヤなことを気にせずに、ストレスをためることもないからです。それだけに、腰をすえてじっくりと仕事に取り組めることでしょう。

それに比べると、敏感な人は反応が早く、シャープで神経質でせっかちです。何でも一人でやろうとするから、人に任せることができません。その反面、周囲が常に気になるからストレスをかかえます。自分の感情が、すぐ顔や行動に現れます。始めるのも早くれば、あきらめるのも早いはずです。

だから、鈍感であることは自慢にしてよいのです。成功への原動力として「運・鈍・根うんどんこん」の三文字があげられるのもこの意味でしょう。運のよさや根気に加えて、鈍感であるほうが最後までやり遂げる底力があるのです。ご自分を鈍感だと思っている方は、大いに自信を持ちましょう。よかったですね。

プラス思考とマイナス思考

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人生

令和元年5月30日

 

何ごとにも、自己啓発としてプラス思考は大切です。私もプラス思考に関するセミナーに参加したり、その分野の書籍もたくさん読みました。それぞれが、私の人生に役立ったと思います。

しかし、私はある時からまったく別のことも考えるようになりました。成功への準備や成功へのプラス思考も大切であるけれども、人生に失敗はつきものです。そして、失敗した時の備えがなければ、イザという時の機転がききません。プラス思考も大切であるけれども、最悪の事態に備えるマイナス思考も重要だと考えるようになったのです。

人の能力は無限であるのに、そのほとんどを眠らせているという説はあくまで正しいと思います。しかし、人には持って生まれた器量がありことも事実です。また、ことの成り行きは〝運〟に左右されることも事実です。何ごとにも二面性はあるもので、この相反する現実の中でやりくりするのが人生の正念場というものでしょう。

失敗した時のことを考えるなど縁起が悪いという意見もありましょうが、私はそうは思いません。成功に向かって準備を進め、成功へのプラス思考を重ねつつも、失敗した時へのマイナス思考も同時に大切なのです。大石内蔵助だって、討ち入りの周到な計画を立てつつも、討ち漏らした時のことも考えていたのです。そうでなければ、あのような大事をなすことなど、とうていあり得ません。何ごとも同じことです。私たちも同じことです。

天・地・人

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社会

令和元年5月29日

 

何ごとにも、〈天の時と地の利と人の和〉が大切であるとされています。これを〈三才さんさい〉といい、この三才が整わなければ、物ごとは成し得ないといわれています。

天の時とはいつことを起こすか、その時期をいいます。地の利とはどこでことを起こすか、その場所をいいます。人の和とは誰とことを起こすか、その結束をいいます。ところが、さらに次の言葉が肝心なところです。すなわち、「天の時は地の利にしかず、地の利は人の和にしかず」というのです。

つまり、どんなに天の時を得ていても地の利には及ばず、地の利を得ていても人の和には及ばないと教えいます。大切なことはあくまで人であって、人の和がなければ何ごとも成し得ないということなのでしょう。

考えてみれば、物ごとがうまくいかなかった時は、すべて人の和がくずれた時であったはずです。世の中は人の集まりです。大切なのは、あくまでも人なのです。政治も経営も、会社も家庭も、すべては人の和で決まるということです。頭の痛いお話ですが、私も肝に銘じますよ。

手塩にかける

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家庭

令和元年5月28日

 

今や、〝おにぎり〟といえば、コンビニの商品が主流になりました。よく工夫され、それぞれにおいしく作られていると思います。

でも、やはり、どこかが違います。「おにぎり」といい、「おむすび」というのです。〝にぎる〟とか〝むすぶ〟という表現には、力学的なものに加えた何かがあるはずです。それは手作りのものと比べれば、よくわかるはずです。

私などは子供の頃から手作りのおにぎりをいただいてきたので、そのことがよくわかります。やはりお母さんがですね、こうれた手に塩をふりかけてですね、そうですよ、これが「手塩にかける」の語源なんですよ。いいお話でしょう。私はこのことを、何度も何度も法話で伝えてきました。
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声の大きい人を

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人物

令和元年5月27日

 

声の大きい人は、まず健康です。

なぜなら、私たちが生まれてきた時、最初に主張するのは声であるし、泣き声の大きい赤ちゃんは元気で丈夫だといわれているからです。風邪を引いたり、病気になったりすると、声が小さくなっていることがわかりますでしょうか。また、人が亡くなる時とは、声が出なくなった時であることがわかりますでしょうか。
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芽茶苦茶

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人生

令和元年5月26日

 

新茶がおいしい季節です。

現代は、自宅に〈急須きゅうす〉や〈茶筒ちゃづつ〉すら置かない方も多いのではないでしょうか。お茶は自動販売機や冷蔵庫のペットボトルで飲むものと思っているからです。とても残念なことで、ぜひ急須でたてたお茶を召し上がっていただきたいものです。香りの違いに、格段の差があることがわかることでしょう。

ところで、〈芽茶苦茶めちゃくちゃ〉という言葉の意味がおわかりでしょうか。実は、これこそお茶の入れ方を教示したおもしろいお話があるのです。ぜひ、知っておいてください。
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