「歩く」ことの効用

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あさか大師

平成31年3月31日

 

今日も新河岸しんがし川の土手を多くの方々が歩いていらっしゃいます。

新河岸川の土手

もちろんジョギングの方もいれば、サイクリング、犬の散歩をなさる方もいらっしゃいます。

歩くと申しますと、私はすぐお百度やお遍路へんろ(巡礼)、あるいはにゅう修行(回峰行)などを憶念いたします。昔の方は〝願がけ〟といえば、すぐお百度をふんだものでございました。今どきの発想から申しますれば、願いごとを念じながら同じところを何度も何度も往復することによって、ドーパミン(幸福ホルモン)やセロトニン(やすらぎホルモン)といった脳内物質が分泌され、不思議な力を発揮したのでございましょう。

お遍路の方はひたすら〈同行どうぎょう二人ににん〉の「南無大師遍照金剛」を念じておりましたし、入峰修行では深山幽谷の霊気が身も心も変えたのでございます。読経の響きによってストレスや不安を除き、渓流滝水のオゾンやマイナスイオンによって免疫力や回復力を高めたということでございましょう。

実は私も、原稿に行き詰まった時には、努めて歩くようにしているのでございます。境内でも本堂の内陣でもよいのでございます。なに、誰も見てなどおりません。どんなカッコウだろうと、かまいませんのですよ。同じところをぐるぐると回っている内に、名文ならずともアイデアぐらいは浮かぶのでございます。まさに、脳は歩いてこそきたえられることに間違いはございません。

若い頃、フランスの思想家ルソーをよく愛読したものでございます。彼はその著『告白』の中でこんなことを述べているのでございます。「歩くことは私の思想を活気づけ、生き生きさせる何ものかをもっている。じっとしていると、私はほとんど何も考えられない。私の精神を動かすためには、私の肉体が動いていなければならないのだ」と。

歩くことは動く〈瞑想〉なのです。さあ皆様、楽しく歩きましょうよ。

山路天酬密教私塾

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