令和5年2月15日
あさか大師の入口には六地蔵さんが祀られています。その由来は隣りにタクシー会社があり、その社長さんが交通安全のためという願いで購入したものでした。ところが、管理する人がいないためか、大変に無残な姿で放置されていました。そこで私が、「これではお地蔵さんがかわいそうですよ」とお話をしたところ、「お寺で引き取っていただけませんか」ということになり、お堂を建てて安置したわけです(写真)。
ところで、あさか大師にお参りされる方がよく、「お地蔵さんの顔が変わりましたね」とか、「とてもやさしい顔になりましたね」などとおっしゃいます。たしかに、この六地蔵さんを当山に運んだ頃は、非常にきびしく、何かに耐え忍んでいるような顔であったことを、私も記憶しています。もちろん今は、皆様のお祈りを受けてとてもやさしく、心なごむ表情になりました。近所の方にも親しまれ、おさい銭もたくさんあがります。
ではいったい、お地蔵さんの顔が変わるとは、どういうことなのでしょうか。もちろん、石に彫られたお地蔵さんは、花崗岩という単なる物質に過ぎません。つまり、物質的な変化などおこるはずはありません。ところが、物質的にはあり得ないはずなのに、祈る人から見ると不思議な変化を遂げるのも確かです。
これは、物質世界を超えた祈りの異次元世界が加わるという以外には、説明がつきません。私はこれを「仏だから祈るのではなく、祈るから仏になるのです」とお話をしています。つまり、物質としての石像に、祈りというパワーが加わることにより、〝本当の〟生きた仏になるからです。
お寺の本尊さまを見ればわかります。本当に祈られている本尊さまは慈顔に満ち、生き生きとして衆生と共に歩んでいるはずです。特にお護摩によって祈られた本尊さまには、強いパワーがみなぎっています。しかし、昔は祈られていたのに今は眠っていらっしゃる本尊さま、単なる置き物として飾られているだけの本尊さまからは、パワーが感じられません。
皆様が仏像をお持ちなら、ぜひ祈りを捧げてください。しだいに表情が変わりますよ、きっと。仏だから祈るのではなく、祈るから本当の仏になるのです。