令和3年11月10日
昭和の終わりごろに、『三年目の浮気』というおもしろいデュエット曲が流行りました。まず、男側がこういう歌詞で歌い出します。
「馬鹿いってんじゃないよ お前と俺は
ケンカもしたけどひとつ屋根の下 暮らして来たんだぜ
馬鹿いってんじゃないよ お前のことだけは
一日たりとも忘れたことなど なかったぜ」
だから、この男にしてみれば、「三年目の浮気ぐらい 大目に見ろよ」と言いたいのでしょう。熱愛した二人も、三年もたつと冷めて来るのでしょうか。
しかし、この〝三年目〟という言葉には、きわめて重要な人生のキーワードがあるように私は思います。なぜなら、何をしても三年もたつと、気ごころが変わるのは人の常であるからです。
たとえば、お花やお茶を習っていても、三年近くになると、このまま続けるかどうか迷う人が多いことをご存知でしょうか。それは月謝への負担や、先生への不満といった理由があるかも知れませんが、たいていは対人関係の悩みです。続けたい気持ちはあっても、あの人に気遣うのはイヤだといった感情が先行するからです。
ここが一つの山なのです。ここをガマンして続けると、また一つ大きな成長があるからです。「石の上にも三年」「茨の道も三年」と言うではありませんか。また、僧侶の修行にも、千日回峰や千座法などいった言葉があります。千日はつまり〔1000÷365=2.73・・・〕で、ほぼ三年です。
何をするにも、三年目の変化に気をつけましょう。そして、やめたいと思った時にそれを乗り越えて五年もすれば、必ず成果が生まれます。さらに、六年・七年でまた壁に突き当たります。また迷いながらも進めば乗り越えますが、また壁に突き当たります。この繰り返しを十年も続ければ、〝先生〟として教えることができます。そして、ついに、これを三十年も続けられるなら、その道の極意に達することも夢ではありません。
まずは三年目の山を乗り越えましょう。修行も仕事も、学問も芸事も、そして男女の仲も同じです。人間がすることに、さほどの違いはありません。みんな、同じです。「三年目の〇〇」ですよ、皆様。