2022/10の記事

あの世に持ち越せる唯一の財産

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あさか大師

令和4年10月30日

 

あさか大師は来年、開創五周年を迎えます。そこで、境内拡張事業を立案して隣接地120坪を購入し、すでに土木工事に着工しました(写真)。取りあえず、しばらくは駐車場として活用する予定です。

まわりの方々からは、「よく買えましたね」とか、「ずいぶんお金があるのですね」などと言われます。実は、ご寄進を仰いではいますが、とぼしい財力で土地を購入するのは、大変な難儀でした。売り手があってのことですし、資金の調達には心労を重ねました。さらに、土木工事も高額を要します。

しかし、仏教の考え方からすれば、この土地も建物も、私は自分のものでも寺のものでもないことを心得ているつもりです。登記上の所有は法律上の規則であって、いわばこの世でのあずかりものであるからです。そして、それはこの世におけるすべての所有に対しても、まったく同じであることを知らねばなりません。「所有するものは何もない」と断言するのが『般若心経』の教えであるからです。

私たちは、何かを手に入れるために生きています。そして、働いています。それはお金や財産のためであり、地位や名誉のためでありましょう。それは時には苦しみであり、時には喜びでありますが、そうした目的に向って進むことが、いわば生きがいといえるはずです。生きがいを持つことはとてもよいことですし、生きがいを持つことが、すなわち人生の幸せに等しいことは間違いありません。

しかし、どのような財産も名誉も、あの世には持ち越せませんし、次世代が相続しても、いずれ手放すことなるのは眼に見えています。すべては移り変わるのであり、すべては無常なのです。つまり、一切は仮のものだということです。預かりものだということです。所有するものなど、何もありません。その仮のものの中で、あの世に持ち越せる唯一の財産を、私は〈徳〉と呼んでいます。徳とは世のため人のための〝貯金〟です。徳のために生きることは、人生最後の生きがいであると私は信じています。

今回のこの土地も、世のため人のために役立つことを願ってやみません。徳が積めるとは、何という幸せでしょうか。人は自分のため、家族のために生きていますが、同時に世のため人のためにも生きているはずです。そして、あの世に持ち越せる唯一の財産を、仏教では〈功徳〉と呼んでいます。

なお、「あさか大師開創五周年記念事業」として、皆様より一口5000円でのご寄進をお願いしています。お心をお持ちの方は、ホームぺージ〈お問い合わせ〉よりご連絡ください。案内書と郵便振込用紙をご送付いたします。より多くの皆様に、功徳がありますように。

お不動さまが見える

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令和4年10月24日

 

お護摩を修していると、よくお不動さまや観音さま、あるいは龍神さまが見えたという方がいます。写真に撮っても、瞬間的にそのような形に映ることもあります(写真は龍神さま)。また滝修行でも、同じようなことを聞きます。これについて、私の考えを三つの角度からお話しましょう。

その一つは物理的な次元で、炎の濃淡や岩の凹凸などで、顔に見える場合です。私も子供の頃、天井てんじょうの木目が顔に見えて怖くなった経験がありますが、心理学ではこれを〈シミュラクタ現象〉といいます。林や森の樹木を写真に撮ると、よく顔が浮かんで見える場合も同じです。こうした現象があることを、まずは覚えておく必要はありましょう。

二つ目は、いわゆる精神的な信仰の次元で、たとえシミュラクタ現象であっても、それをお不動さまと尊ぶのは自由ですし、それを大事にすることはいっこうにかまいません。滝場では、よく岩の凹凸がお不動さまに見えることがあります。それは岩の凹凸を使って、お不動さまが姿を現したのだともいえるからです。阪神大震災の後、京都の東寺のある樹木の切り口にお不動さまの墨絵のようなお姿が現われ、私はお参りのたびに礼拝しています。ただ、これを一方的に押しつけてはいけません。あくまで、自分の信仰として尊ぶことです。上の写真を単なる偶然だとするならそれもよいし、龍神さまだとするなら、それは信仰として大切にすることです。

そして三つ目は、いわゆる霊的な次元です。私は心霊写真ではないかと持参して来た写真をかなり見て来ましたが、たいていは木の葉やかべの模様が顔のように見えるものでした。しかし、中には間違いのない心霊写真もありました。いるはずもない人の顔や手足が映っていたりすると、ぞっとしたものです。海や川で撮影されたものが多く、この場所やこの付近で亡くなった人だなと思ったものでした。お護摩や滝修行でも、見えないはずのものを見ることは確かにあります。しかし、見えないから信仰が足りない、修行が足りないということではありません。念のため。

ついでですが、寺の住職は「この写真を見てください」といって心霊写真(らしきもの)を見せられた場合、決して笑って済ませてはなりません。その方にとっては、夜も眠れないほど悩んでいる場合もあるからです。また、何ごとも科学的な視点だけで見るのも味気ない気がします。お不動さまのように見えるなら、それはそれで「大事にしてください」とお話してほしいと思います。皆様も気になる写真をお持ちでしたら、どうぞご持参ください。

密教修行への道

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あさか大師

令和4年10月21日

 

本日は二名の方が出家受戒しゅっけじゅかいし、密教修行への新たな歩みを開始しました。大変に緊張した様子でしたが、何度もの礼拝をくり返して、お大師さまへの誓いを立てました(写真)。

最近はお若い方はもちろんですが、定年後は仏道修行をしたいと希望している方が増えています。ただ、仏門に入ろうとしても、それだけの縁がなければ叶いません。また歴史ある本山は敷居しきいが高く、費用も大変だという声も聞きます。仕事も休まねばならず、髪をおろして剃髪ていはつをするのも、(特に女性は)むずかしいはずです。

私はこうした要望にこたえるべく、あさか大師での僧侶志願者を募集しています。剃髪の義務もなく、仕事をしながらでも本格的な修行が可能で、賁用にも充分な配慮しているユニークな寺院であると自負しています。まだ4年目でありますが、すでに36名の方が入門しました。ご希望の方は、お問い合わせください。

日本の仏教には大きく分けて二つの流れがあります。心の真如を自らが求める自力派じりきはが一つで、禅宗がその代表です。また、あくまでも阿弥陀あみださまの救いを信じる他力派たりきはもあり、浄土宗や浄土真宗がその代表です。では、真言密教はどちらのかといいますと、実はいずれでもありません。自力と他力を融合した、いわば加持力かじりきなのです。自分の努力も必要ですが、あくまでお大師さまの救いを信じるところに、その極意があります。

私は毎日のお護摩によって、また病者加持や先祖供養によってそのことを実証して来ました。ぜひ、多くの方にその加持力を知り、また体験していただきたいと念じてやみません。皆様からのご連絡をお待ちしています。

お金は後からついて来る

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あさか大師

令和4年10月16日

 

本日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩を奉修しました。弟子僧の一人は遠く神戸から来山くださり、いっしょに助法をしていただきました。本日はお護摩の炎が一段と高く舞い上がり、このきびしい円安を乗り越えられるよう祈願を込めました(写真)。

真言密教は神聖な悟りを求めることと、世俗のご利益りやくを求めることを、同じ目的として考えます。それはすぐれた経営者が、宗教家のような言葉を残していることからも理解できるのではないでしょうか。私は今年8月に他界した京セラ名誉会長・稲盛和夫さんの本をかなり読みましたが、同じことをいつも感じていたものでした。

経営者は利益を上げねばなりません。事実、稲盛さんは「経営の神さま」と呼ばれ、また億万長者でもありました。では、いつも利益のことだけを考えていたのかというと、まったく反対でした。経営の念頭にあったのは、いかにしたら世の中に役に立てるか、いかにしたら人に喜ばれるかだったのです。そして、臨済宗妙心寺派の僧侶として出家しゅっけ(得度)し、雲水うんすい(禅宗の修行僧)として托鉢たくはつも体験しました。

世の中の役に立ち、人に喜ばれるためには、人の心を学ばねばなりません。そして、心を学ぶとは修行そのもの、悟りそのものにほかなりません。すぐれた経営者はその悟りをもって世の中の役に立ち、人に喜ばれ、それによって大きな利益を得ているのです。利益を追いかけるのではなく、利益が追いかけるのです。つまり、お金は後からついて来るからです。

私は金運護摩に参加される皆様にも、お金は後からついて来るものであることをお話しています。経営のことはわかりませんが、自分のこの考えに間違いがないという、確信はあります。そして、どなたにでも納得していただけるという自信もあります。「経営の神さま」に聞いてみてください。

声出し健康法

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健康

令和4年10月9日

 

昨日、初めての方がお参りにお越しになり、健康法についての話題になりました。そして、「和尚さんの健康法は何ですか?」と問われましたので、私はこのような場合(面倒なので一様に)、「お経です」と答えることにしています。つまり、読経で声を出すことが健康法だという意味です。

もちろん、私が心がけている健康法はいくつかありますが、読経がその代表であることは間違いありません。それも祈祷寺院らしく声を高々と張り上げ、太鼓と共に響かせます。同じ年代でも、私ぐらい大きな声の出る方は少ないと思います。若い方と比べても、決して劣るとは思いません。そもそも声の大きい人が元気であることは、確かなようです。

ところで、その方がとてもよいお話を聞かせてくださいました。それは自分の知っているある高齢の女性が肺炎になり、手術もできない状態だったそうです。その女性は余命長くはないと覚悟を決めたのか、せっかくだから人生の最後を楽しく過ごそうと決心して、カラオケに通い出したそうです。ところが、毎日毎日カラオケで好きな曲を歌ったところ、何とその肺炎が消えてしまったというのでした。

これは充分にあり得ることで、まずお腹から声を出すことによって、深い腹式呼吸ができます。それが血流を改善し、体温を上げ、細胞が若返り、免疫力を高め、しかもストレスを発散させます。それが肺臓を平癒させたのです。アンチエイジングの専門医がカラオケを勧めるのも当然でしょう。

実は、健康法について、私はかなり勉強しました。たくさんの本も読み、講演会や講習会にも参加しました。ただ、10人の医師や管理栄養士がいれば、10人の意見があり、まったく反対のことを言う実情を知らねばなりません。肉をたくさん食べなさいと言う方がいれば、野菜を中心にしなさいとも言います。牛乳を飲みなさいと言う方がいれば、あれは子牛の飲みものだからやめなさいとも言います。朝食は絶対にいてはいけませんと言う方もいれば、無理に食べる必要はないとも言います。糖質やグルテンフリーに対しても、いろいろな意見があります。こうした意見の違いに対しては、自分の体で確かめる以外に方法はありません。試してみて調子がよければ、それは自分の体に合っているということになるからです。だから、人には人それぞれの健康法があるということなのでしょう。

ところが、歩くことや大きな声を出すことに反対する方はいません。ジョギングは心臓に負担をかける方もいるでしょうが、ウォーキングを悪く言う方はいないはずです。また、大きな声を出すことも同じです。カラオケでもコーラスでも、詩吟でもうたいでも、そして読経でも、皆様が興味のある〈声出し健康法〉をぜひ続けてみてください。効果てきめんですよ。

開運の秘訣

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運命

令和4年10月5日

 

私は今年11月末に、『九星気学立命法りつめいほう』という著書を(株)青山社より刊行します。

〈立命〉という用語は、初めて聞くという方が多いかも知れません。宿命や運命に対し、人生を改善するために〝命を立てる〟ことが立命りつめいで、陽明学では造命ぞうめいともいいます。つまり、宿命や運命という人生のシガラミの中で、新しい人生を切り開くための方法といえるのです。立命は江戸時代まではよく知られていましたが、明治以降はしだいに忘れ去られました。しかし近年、安岡正篤まさひろ先生の著書や講義によって少しずつ復活しています。

ところで、皆様は宿命と運命の違いがわかりますでしょうか。簡単にお話をしますと、宿命とは「宿した命」で、絶対に変えられない人生の定めです。つまり、人間として生まれてきたこと、男女いずれかの性に属したこと、決まった父母や子がいること、そのほか呼吸や食事をしなければ生きてはいけないこと、睡眠をとらねばならないこと、やがては死を迎えねばならないことなどがこの範疇はんちゅうです。

これに対して運命とは「運ぶ命」「運ぶ人生」です。〈運〉が大きく関わります。家庭や結婚がうまくいってるかどうか、仕事は成功しているかどうか、性格はどうであるか、金運や財運はどうであるか、といった宿命よりは少し変えられそうな範疇をいいます。

占いでは名前や方位で運命を変える方法があります。私もよく用いますが、ただ大切なことは、これによって自分が変わらなければ運命も変わらないということです。主体はあくまで、自分であるということを忘れてはなりません。またプラス思考で運命は変わるともいいますが、挫折を味わったり失敗を繰り返した人は、なかなか簡単にはいきません。

では、立命とは何かといいますと、徳を積むことによって人生を変えることです。運がいい人は、必ず徳があることを知りましょう。徳とは人に好かれることです。運がいい人は必ず人に好かれます。その人に対してプラスの想い(好意)を寄せる量が多ければ多いほど、人はその想いを受けて運がよくなります。つまり、プラスの想いが気となり、エネルギーとなり、オーラとなり、運を切り開くのです。

それはこの世の人ばかりではなく、あの世の人、つまりご先祖に対しても同じです。だから、先祖供養をすると開運するのです。そのほか、ペットからも植物からも好かれれば、さらにいうことはありません。植物にも心があることは、鉢植えのそばで悪口をいうと、花の数が減ることでもわかりましょう。とにかく、何にでも好かれるためには、好かれるような徳を積むことです。

これは反対のことを考えれば誰にでもわかります。嫌われる想いのエネルギーにつつまれた人は、開運など望めるはずがありません。運がいい人とは、人そのものがすばらしいからなのです。徳を積むことは開運のための最高の方法です。私はいろいろな占いもプラス思考も学びましたが、結局は徳に行き着くことを確信しています。好かれることは、何より大切な才能であり、開運の秘訣なのです。

そうじの功徳

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あさか大師

令和4年10月2日

 

あさか大師では昨日と今日、月初めの総回向を挙行し(写真上)、その後に大そうじをしました(写真下)。年末は忙しくなりますので、「早いうちに」というのが、そのねらいです。昨日は天井と柱のきそうじを、今日はかべそうじを、弟子僧が中心になって実行しました。本堂は毎日のお護摩で黒づんだ、一年分のスス汚れを落としたことになります。

ところで、私はものごとに悩んだ時やうまくいかない時は、そうじをするよう勧めています。それは心の苦しみはその心で解決するのではなく、かえって体で解決した方がよいと思っているからです。体を動かしてそうじをしたり、ウォーキングやスポーツをすると、気持ちもリフレッシュして、意外な解決策を見い出します。

それに、ものごとはまず、悪いものや汚いものを取り除き、その後にいいものを取り入れるという絶対ルールがあることを忘れてはなりません。健康食品やサプリメントをいくら取り入れても、腸の中が汚れていては効果は得られないはずです。「出し入れ」や「出入口」という言葉は、先に出すことの重要性を示しています。わかりますよね。

また、みんなで協力してそうじをすると、不思議なほど団結力が増し、交流も深まります。普段はおつき合いのうすい近所どうしでも、〈町内清掃〉をすると、このことが理解できましょう。「断・捨・離」も「片づけの魔法」も流行語になりましたが、これが「そうじの功徳」なのです。

よい家庭もよい職場も、まずはそうじからです。極意とは、きわめてありふれた、平凡な行為にあることも知りましょう。今日のブログは最初、「そうじの効用」としましたが、「そうじの功徳」と改めた意味をどうかわかってください。そうじには仏さまのような功徳があるのです。

山路天酬密教私塾

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