怖いお話

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令和元年10月3日

 

ちょっと、こわいお話です。

お寺に住んでいると、まれに奇妙な体験をします。たとえばインターフォンが鳴りながら、画面をのぞいても玄間に出ても人がいないことがあります。はじめは誰かのいたずらか、気のせいかと思いました。しかし、どなたかがそばにいても、同じことを体験します。

それからお護摩を修していて、境内けいだいに人の気配を感じることがあります。参詣の方なら入って来るはずなのに、外でうろうろしているのです。どうしたらいいか、迷っているような様子です。

これらの〝人〟は、まだ自分が死んだことも自覚しない浮遊ふゆうの霊なのです。特に、遺族からお葬式すらしてもらわなかった人です。ただ、お護摩を修する時は〈結界けっかい〉という作法をするので、中に入ることができません。

いま、この国ではお葬式をしない遺族が増えています。「直葬じきそう」と呼ばれていますが、火葬ばかりで僧侶も呼ばず、ただ遺骨だけを受け取って帰って行くのです。では、その遺骨をどうするのかというと、お墓ばかりは建てる方もいますが、戒名もつけません。あるいは、散骨さんこつ樹木葬じゅもくそう・宇宙葬といった方式をとるか、とりあえず家に置いて、どうするか迷っているのです。遺族が迷っているのですから、死者が迷うのも当然です。極端な例では、新幹線の車内に故意に置いていく人すらいます。

親の臨終に立ち会えないことを一生の恥としたほどの日本人が、いったいどうなってしまったのでしょう。葬式もしない、墓もいらないとすることが文化的であるかのごとくに思っているのでしょうか。

私たちの一生にはいくつかの節目があります。学校に入るには入学式、成人になるには成人式、就職をするには入社式があります。そして何より、夫婦になるには結婚式があります。牧師さんが新郎新婦の手をとって、「二人が夫婦であることを宣言します!」というから、夫婦としての実感が湧くのです。お葬式をしてもらわなかった死者がどんな思いでいるかは、誰にでもわかることです。

結婚式には綿密な計画を立て、多大な費用をかけるのに、どうして親のお葬式もしないのでしょうか。費用のことなら、いくらでも方法があります。皆様、どんなに簡素でも、親のお葬式ばかりはなさってください。そして、どんなに簡素でも、お墓に埋葬してください。お寺の境内をうろうろするような死者にはさせないでください。

山路天酬密教私塾

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