令和元年10月4日
昨日、親のお葬式ばかりはなさってください、そして、お墓に埋葬してください、とお願いしました。そう言うと、皆様の中には反論をなさる方がいらっしゃるはずです。インド人は火葬した遺骨をガンジス川に流すではないか、お墓なんかないではないか、という反論です。
違うのです。現代のインド人はほとんどがヒンズー教徒ですが、火葬した後は僧侶を呼んでお葬式をします。そして、その後に〈聖なる川〉であるカンジス川に流します。聖なる川であるからこそ、罪を浄めるために流すのです。つまり、インド人にとっては、ガンジス川こそが〝お墓〟なのです。今日の日本で行われている散骨とは、根本的に違います。思い出の〇〇の海に、裕次郎さんがヨットを浮かべた〇〇の海とは、意味が違うのです。日本人はまず、この違いを知らねばなりません。
次に、もう一つお話をしましょう。そもそも、インドと東北アジア(中国・朝鮮・日本)では、生死観が違うのです。インド人は永い歴史を、きびしいカースト制度の中で生きて来ました。どんなに努力をしても、最下層のスードラ(奴隷)はその身分を変えることができません。そして、きびしい炎天熱砂の中で暮らして来ました。輪廻転生(生まれ変わり)を信じていても、二度と生まれ変わらぬ悟りの世界に往きたいのです。
ところが、東北アジアの仏教は多分に儒教の影響を受けました。死んだ後にも、〝草場の陰〟から子孫を見守りたいのです。あるいは生まれ変わって、今度こそ好きなあの人と添い遂げたい、あるいは成し遂げられなかったあの仕事を完成させたいのです。だからこそ、お墓があり、また家庭には仏壇があって子孫と共に〝暮らす〟のです。つまり、仏さまの浄土とこの世が同時にあるのです。このことが、わかりますでしょうか。
だから皆様、せめて親の散骨はなさらないでください。もう一度申し上げますが、どんなに簡素でも、親のお葬式ばかりはなさって、お墓に埋葬してください。