こだわって、こだわらず

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思考

令和元年9月9日

 

文章を書くということは、実に困難なことです。

話すことは出来ても、書くとなると、これは別の次元なのでしょうか。かつて、「話のうまいヤツほど、書けないものだ」などと豪語していた友人がいましたが、まんざらウソでもなさそうです。考えていることを文章に表すとなると、相応のコツがありそうです。

アメリカの作家ヘンリー・ミラーは、「あなたが今、何を考えているか、その考えていることから書き始めなさい」と言いました。つまり、私たちはどう書こうとか、うまく書こうとかいう、そこに〝こだわり〟があるのです。こだわりは、いうなれば一種の迷いです。その迷いがあるかぎり、思うようには書けないという意味を指摘しているのでしょう。

それから、「何でもいいから思いつくままを書き連ねて、それを半分か三分の一にけずれば立派な文章になる」という指導を受けたことがありました。似たようなことを、ショーン・コネリー主演の映画『小説家を見つけたら』で語っていたような気がします。タイプライターを無造作に打ちながら、秀才高校生に文章の書き方を教えていました。とても印象的な場面であったことを、今でも記憶しています。

要するに、文字を連ねて文章にする作業の難しさを、いかに平易にこなすかの秘訣なのです。文章をどう書こうとか、うまく書こうとかいう意識につつまれると、それがインスピレーションを妨げるのでしょう。かといって、こうした意識を持たねば上達は望めません。「こだわって、こだわらず」と、何ごともこれが奥義です。

私は特別な文章修行をしたわけではありませんが、このようなお話はどことなく気になります。こうしてブログを書いていても、思い出すことが多いのです。私がお世話になった宗門誌『六大新報』の故・今井幹雄先生も、「書いて書いて、書き尽くさねば、何もわからない」と、よく語っておられました。先生は石原慎太郎さんの『太陽の季節』と、芥川賞を競うほどの名文家でした。先生には及びませんが、お会いできたことを今でも感謝しています。

山路天酬密教私塾

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