めったにないもの

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社会

令和2年5月5日

 

枕草子まくらのそうし』第七十二段に「ありがたきもの」、つまり「ることがかたいもの」「めったにないもの」として次のような例がげられています。

まず、「しゅうとにほめられる婿むこしゅうとめにほめられるよめ、毛のよくぬける銀の毛抜けぬき、主人の悪口を言わぬ使用人」と。舅と婿、姑と嫁の関係は、平安時代から変らないということです。舅は娘かわいさに、お婿さんに多くのことを求めます。また姑は、まるで息子がお嫁さんにうばわれたような感覚におちいるのは、今も昔も同じなのでしょう。最近では同じ家に同居しながら、姑と嫁がまったく口もきかないという例を耳にします。銀の毛抜きは当時の女性がまゆをぬいて、眉墨まゆずみで描くための必需品でした。優品は少なかったのでしょう。そして、使用人は影で主人の悪口を言いながら、人使いの荒さに耐えていたのです。ほどほどの悪口なら、許してあげましょう。

次に、「欠点のない人、評判がよくても世間から少しの非難も受けない人」と。この時代にインターネットがあれば、まず話題に欠くことはありません。ことにし暑い京都で束帯そくたい十二単衣じゅうにひとえなどを着用していたら、ねたみ心の一つも発散しなければやり切れなかったのでしょう。凡人の悲しさというものです。

次に、「同じ職場で礼儀を守っていても、最後まで本音を出さないこと」と。人の本音は必ずどこかに現れます。居酒屋で語ったほんの一言ひとことは、回り巡っていつかは相手に伝わるものです。「かべに耳あり、障子しょうじに目あり」なのです。そして「口は災いのもと」なのです。

次に、「本を写すのに、原本を墨でよごさぬこと」と。この時代にコピーがあれば、こんな気づかいは無用でした。私も白衣や法衣によく墨をつけるので、この気持がよくわかります。

最後に、「男女の間でも、女どうしでも、最後まで仲が良いこと」と。特に、女性どうしの仲のよさには用心せねばなりません。親しい仲と思って気を許すと、とんでもない間違いをしてしまいます。いつも連れ立っているから、よほど仲がよいなどとは決して思わぬことです。このことでは、私も何度も失敗をしました。

清少納言せいしょうなごんという彼方かなたの女性と、もしも茶飲み話でもしたならば、腹の底まで見透みすかされるに違いありません。人間に対しても自然対してもするどく、味わい深い観察眼には驚くばかりです。このような才女とは、本の中でさえつき合っていれば、互いに飽きることもありません。私の大切なガールフレンド(!)です。

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