怒っても出ないでしょう

カテゴリー
人物

令和3年2月17日

 

私がよく用いる辞書の一つに、中村元なかむらはじめ博士(故人)の『佛教語大辞典』(東京書籍)全三巻があります。特に重要な仏教用語について、わかっているつもりでも再確認をしなければならない時、これほど至便な辞書はありません。所蔵している仏教事典はほかにもいくつかありますが、私は何をおいても、まずはこの辞書を引くことにしています。それだけに、日頃から多大な恩恵を受けていることは間違いがありません。

実は、中村博士がこの辞書を刊行するまでには、言語に絶する苦難がありました。博士はもちろん当時における日本仏教学の最高峰でありましたが、この原稿に19年以上をかけ、1967年に200字詰め原稿用紙4万枚に3万語を収録して完成させました。そして、その原稿を木製のリンゴ箱に入れて出版社に渡したのでした。

ところが当時、その出版社は道路拡張のために移転を強いられてたのです。その移転騒動のさ中、事件が起きました。膨大ぼうだいな荷物に埋もれる中、その木箱を紛失してしまったのです。たぶん、ゴミ箱と間違えられたのでしょう。出入りの回収業者や製紙会社にも問い合わせましたが、何の手がかりもありません。新聞には懸賞つきで捜索そうさく願いを掲載し、テレビにも放映されましたが、発見には至りませんでした。

博士はもちろん、茫然自失ぼうぜんじしつ。土足で顔を踏みつけられたような恥辱ちじょく無念むねんの日が続きました。もちろん出版社は博士を訪ね、手をついて謝罪しました。しかし、博士はきわめて冷静に、「怒っても出ないでしょう」と語りました。これは有名な発言です。何と寛大無比な心でしょう。こんな人物が、こんな学者がいるとは思えません。出版社にとっては、観音さまのような大慈大悲に接したはずです。

そして、不死鳥のように意を決した博士は、この執筆を再度やり直すを決断しました。大学関係者や学生数十人に依頼し、分担作業を開始したのです。しかし、分担での原稿にはムラがあり、最後は博士自らが執筆せねばなりませんでした。この間には学園紛争が勃発ぼっぱつし、執筆の場所も転々としました。洛子夫人の支えも大きかったことでしょう。

こうして1975年、再開より8年余り、着手より30年、収録数4万5千の『佛教語大辞典』がついに刊行されました。同辞書は毎日出版文化賞に輝き、翌年には文化勲章が授与されました。この偉人ありて、この辞書があるのです。「怒っても出ないでしょう」と。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ