令和元年5月24日
私たちは毎日、さまざまな言葉に接しながら生きています。単なる雑談や冗談もあれば、真剣に耳を傾ける自戒や教訓に満ちた言葉もあります。時には、涙を流すほどの感動の言葉もありましょう。
そんな中で、一生を費やしても忘れられないほどの言葉となると、その数は決して多いとは思えません。よほどの教養人でも五指には満たず、一般には三指にも至らず、もしかしたら一つすら浮かばないという方も多いはずです。
こんなことを考える時、私があえてその一つを選ぶとすれば、『易経』の中の「窮すれば変ず、変ずれば則ち通ず」でありましょう。これは窮すれば、つまり追いつめられて本当に困窮した時、私たちは新たな活路を求めて別の方法を考える。つまり変化を求める。その変化から、まったく新しい道が開かれる、と、そういう意味なのです。
実は、私は若い頃にこの言葉に出会いましたが、さほどに気に留めることはありませんでした。しかし、年齢を重ね、時にはいよいよニッチもサッチもいかなくなった時、この言葉にどれほど支えられたかははかり知れません。今までとは違った手立てを模索したり、忘れていた知人に連絡を取ったり、実家のお墓参りをしたりするうちに、何とか苦境を乗り越えることができたからです。
逆にいえば、人は何の苦悩もない時など、発想も変わらなければ生き方も変わらないということなのでしょう。もちろん、それはそれでよいのです。テレビを見ながらおせんべいでもかじって、ゲタゲタ笑える時間も必要でしょう。
しかし、いよいよ人生の一大事を迎えた時、「窮すれば変ず」はきっと役に立ちますよ。特に、今日のブログを読んでくださったあなた様には、必ず役に立ちますよ。そうでなければ、たとえ偶然であっても、このブログを読むことはなかったはずですから。