永遠の中の独り

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人間

令和2年4月27日

 

時おり、同姓同名という人に出会います。直接に自分のことではなくても、「私の知人にも、同じ名前の方がいますよ」などと会話のネタになったりします。そこで、同姓同名の人はもしや同じような運命をたどるかというと、もちろんそんなことはありせん。生まれた家も両親も、先祖も違うのですから当然のことです。人がどんな運命をたどるかについて考える場合、どんな両親であるか、どんな祖父母や祖々父母であったかは重要なことです。私はこれを「タテの線」と呼んでいます。

それから、同じ生年月日という方々がいます。こちらはいくらか似たよう傾向はありますが、もちろん別々の運命をたどります。少し専門的なことですが、たとえば午前6時という時間を考えた場合、これはあくまで兵庫県明石市(東経135度の天文気象台)での時間です。地球は1時間で15度を回ります。つまり一度で4分かかりますので、これを時差で計算すると、根室は6時42分、東京は6時19分、大阪は6時2分、那覇は5時31分となり、北海道と沖縄では70分もの差があります。つまり同じ生年月日で、仮に同じ生れ時間でも、その時間は異なるということになるのです。この生まれた年月日時を、私は「ヨコの線」と呼んでいます。(厳密にはさらに季節による日の出と日没の差にも配慮しますが、ここでは触れません)

このタテとヨコの線が交差した点(まさに「点と線」)が、私たちの生まれた場所であり時間であり、私たちの先天運せんてんうん(先天的に持って生まれた運命)を大きく左右します。もちろん後天運こうてんうん(生き方によって変わる運命)も大切です。運命が後天的に変えられないとするなら、私たちは生まれてきた意味がありません。よく四柱推命しちゅうすいめいの研究者などで、先天運ばかりに専念する方がいますが、熟慮じゅくりょする必要があります。

当然のことですが、このタテとヨコの線がまったく同じという人は、この世には絶対にいません。同姓同名であってもタテの線が異なります。生まれた年月日時が同じでも、ヨコの線が異なります。そして、今年の今月の今日という日のこの時間もまた、二度と再び訪れることはありません。つまり、この永遠の時空の中で、自分という人間は二人としてと生まれることはなく、まさにただひとり、ここに存在しているということなのです。これは天にも地にも、驚くべき事実です。

唯我独尊ゆいがどくそん」というと自分勝手な人と解釈されますが、とんでもない間違いです。お釈迦しゃかさまがそんなことをおっしゃるはずがありません。悠久ゆうきゅうの流れの中で、「ただ、われひとりというとうとさ」と覚えましょう。自分という独りの人間は、それほどに尊いのです。私も、そして皆様も。

山路天酬密教私塾

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