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うわさ話

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令和元年5月22日

 

また、『徒然草』の名言をご紹介しましょう。

第73段に「世に語り伝うること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言そらごとなり」とあります。世の中に語り伝わることは、なかなか真実はないものだ。多くはみなウソの話ばかりである、といった意味になります。そして、そのウソの話の筆頭こそは〈うわさ話〉といえましょう。

お寺の中でも、よくあることです。私がちょっと元気のない顔でもしていると、誰かが「顔色が悪かったよ」と話すと、次の人は「病気じゃないの」となるのです。次の人は「かなり重症らしい」、次の人は「入院したらしい」、次はとうとう「もう、あぶないらしい」となって(笑)、私はいつの間にか殺されることになるのです(笑)。いや、これはもちろん冗談じょうだんです。

冗談ですが、しかし、私たちは人にモノを伝える時、たいていは少しずつ誇張して話していることがわかりますでしょうか。「多くはみな虚言なり」とは、このことです。自分の眼と耳で確認したこと以外は、よくよく気をつけねばなりません。

これが笑い話で済めば、まだいいのです。しかし、うわさ話が大きな誤解や、偏見、時としてとんでもない悲劇を生むことすらあることを知りましょう。言葉の刃物を「舌刀ぜっとう」とまで言うのです。こわい話ですよ。うわさ話は凶器にもなるのですよ。自重、自重。

融通

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令和元年5月20日

 

昨日、ちょっとお金のお話をしました。今日はその続きです。

大阪の街を歩いていますと、よくお寺の山門の脇に「〇〇町の融通さん」という石碑が立っています。さすがは商人の街です。「融通さん」とは、要は如意宝珠というお宝を生むたまを持っている仏さま、例えば虚空蔵さま・観音さま・お地蔵さまが安置されているお寺という意味なのだそうです。「融通さん」という表現に、それだけの関心があるのでしょう。

ところで、融通とはどういう意味でしょう。『広辞苑』によれば、「けあってとどこおりなく通ずること」とあります。互いに共通の利益があって共栄すれば、お金が流通するという意味でありましょう。

お金に対して人が最も誤るのは、人が損をすれば、逆に自分が儲かるという発想です。でも、これでは融通になりません。人に利益をもたらすと共に、自分にも利益がなければ融通ではありません。人あっての利益です。人が喜んでこそ、自分も喜べるのです。

お金のことを語るのは、いろいろ〝はばかり〟もありますが、勇気を出してお話しました。僧侶の私ががお金の話をしたのです。皆様も融通の一語を忘れないでください。必ず、ですよ。

プラス・アルファの努力

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令和元年5月16日

 

私はどのような職業も、いわゆる〈サービス業〉であると思っています。

サラリーマンであれ、職人でも農家でも、また運転手でも船乗りでも、仕事上の商品や技術に加えた別の何かをを与えなければならないからです。その何かとは、信用であり、真心であり、親切であり、総じて私はこれをサービスと称し、すべての職業はサービス業であると考えているのでございます。

現代人は豊富なモノの中で暮らし、スーパーでもコンビニでもお店でも、そこで働く店員の応対が悪ければ、二度と足を運びません。だから、商品や技術に加えた何かを与えねば、きびしい競争に勝ちぬくことはできませんし、発展も望めません。
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同じ釜のメシ

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夫婦
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令和元年5月13日

 

皆様はご自分のまわりに、何となく気をつかうなと思う人がいるはずです。反りが合わないとか、口論をしたわけでもないのに、どうもスッキリしないなと思う人がいるはずです。それはいったい、どういう人なのかおわかりでしょうか?

私の答えを申し上げるなら、それはこれまで、いっしょにお茶を飲んだことも、食事をしたこともない人なのです。私はこの答えに、かなりの自信があります。

つまり、人間が生きていくということは、食べることなのです。生きていくことの最大の関心は、食べることに尽きるのです。だから、食事を共にするということは、人間が生きていくうえでの根底に通じることなのです。
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顔と名前を覚える

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令和元年5月11日

 

よく営業の方から、顔写真入りの名刺を渡されますね。あれは何のためかといえば、もちろん顔写真によって自分を印象づけるためでしょう。そして、その顔写真の印象によって、少しでも自分の名前を早く覚えていただくためでしょう。

人はこの世で何が一番大切なのかといえば、それはもちろん自分自身なのです。そして、その一番大切な自分の顔と名前を、少しでも早く覚えてくれた方に好意を持つのです。逆にいえば、人の顔と名前を少しでも早く覚えられる人は、多くの人から好意を持たれるのです。特に、リーダーとして人の上に立つ人は、この当たり前の事実に気づかねばなりません。
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宝くじとギャンブル

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令和元年5月6日

 

私はたった一度だけ、宝くじを買ったことがあります。あさか大師の建立を決意した時に、その予算を心配した方にすすめられたからです。もっとも、私は宝くじの買い方を知りませんでしたので、その方に5000円ほどをお渡して一任しました。それでも、2000円ほど当ったように記憶しています(笑)。

実は私はこれまでに、宝くじでも買ってみようかと、何度も思い続けた経験があります。もちろんそれは、手元が不如意で金策に悩んだためです。でも、結局は思い留めました。それは、私なりの存念があったからです。
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〈令和〉の始めに

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令和元年5月1日

 

新しい〈令和〉の時代となりました。

私はほとんどテレビすら見ない生活をしていますが、さすがに夕方になって、ちょっとだけチャンネルを回しました。令和の時代に何を望むかという街頭インタビューに対し、ほとんどの方が「平和で安心して暮らせる社会」といった答え方をしておりました。

私はこのような言葉を聞くたびに、複雑な気持ちになるのでございます。なぜなら、私は「平和で安心して暮らせる社会」など、この世には存在しないと思っているからでございます。いつ大震災がくるとも限りません。道を歩いていても、鉄パイプが落ちてくるかも知れません。健康だと思っていても、いつ病気が発覚するかわかりません。投資した株が暴落するかも知れません。航空機の墜落もあれば、ウイルスの感染もあります。医療ミスもあれば、行政ミスもあります。凶悪な事件や振り込めサギは後を絶ちません。いったい、この世のどこに安心して暮らせる社会があるのでしょうか。
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