老いて学べば死して朽ちず
令和元年9月12日
私の好きな言葉のひとつに、佐藤一斎の著作『言志四録』の中にある、「少くして学べば壮にして成すあり。壮にして学べば老いて衰えず、老いて学べば死して朽ちず」があります。意味はそのまま、若いうちに学べば中年になって必ず役立ち、中年のうちに学べば老いても衰えることがない。そして、さらに老いて学べば死んた後にもすたれることがないということでしょう。
佐藤一斎は江戸時代の儒学者ですが、この『言志四録』こそは名著中の名著です。幕末の吉田松陰・勝海舟・西郷隆盛らも多大な影響を受けました。特に西郷隆盛は生涯の指針としてこの著作を愛読しました。今は解説本もかなり出ていますので、ぜひお読みになってみてください。おそらく、これほどの名著が日本にもあったのかと驚くことでしょう。『論語』と比較しても、けっして劣るとは思いません。
さて、若いうちに学ぶことの大切さは言うまでもありませんが、問題は中年になって学ぶ意欲があるかどうかでしょう。学ぶとはもちろん、読書に限ったことではありません。本を読んでも人生がわかるとは言い切れないからです。しかし、本を読まねばわからないことがたくさんあることも事実です。そして何ごとにも、熱心な人は世の中からも本の中からも、謙虚に学んでいます。
不思議に思うのですが、大学や大学院を卒業していながら、ほとんどの人が蔵書を持ちません。かといって、常に図書館を利用しているとも思えません。きびしい受験競争を経験して卒業すると、もう本を読むことも少なくなるのでしょうか。
私はこの『言志四録』のおかげなのか、読書欲ばかりはいっこうに衰えず、若さの秘訣だとさえ思っています。事実、年のわりには若く見られます。脳トレもけっこうですが、文字を追って考える習慣はもっと大切です。しかも、「老いて学べば死して朽ちず」とあります。あの世へ往っても生きがいが続くのです。いいことずくめです。皆様も今日のこの言葉を記憶に留めてください。
成すは易く、守るは難し
令和元年9月3日
昨日は「組織の膨張は衰退をもたらす」という、パーキンソンの法則をお話しました。企業が売り上げを伸ばして本社ビルが建つや、安堵感から慢心をおこし、加えて新築による経費の増大から、経営が悪化する例が多いということでした。今日はその延長として、個人の業績についてお話をいたしましょう。
たとえば、芥川賞や直木賞に輝いた新人作家の、はたして何人が存続しているでしょうか。デビュー当時の作品は、たとえどこかに未熟さはあっても、勢いがあるものです。しかし、その勢いを保ち、かつ新鮮な作品を発表し続けるということは容易ではありません。たいていは作品のネタすらも尽きます。私は今どきの文壇に詳しいわけではありませんが、この傾向は多分にあるはずです。
このことは、芸術や芸能、またスポーツにおいても同じでしょう。デビュー当時の作品や記録はすばらしくとも、それを存続させることが大変なのです。私の知っているある歌手などは、始めにヒットを飛ばしましたが、続きませんでした。だから、死して今なお人気のある、美空ひばりや石原裕次郎などは、本当にすごい人なのです。スポーツではよく「追われる立場」と言いますが、オリンピックの金メダリストなどは当然、世界中から徹底的に研究されます。そんな中で絶対王者を守ることは、至難としか言いようがありません。
私たちが関わるどのような職業や趣味においても、このことは大きな教訓でもありましょう。物ごとを始めて、それを大成させることも大変ですが、存続させることはさらに大変です。まさに、「成すは易く、守るは難し」なのです。才能があってそれを発揮しても、その業績を守れるのは、必死の努力に加えた何かが必要なのです。
悔しさをバネに
令和元年8月29日
宮本武蔵の人生指針である『独行道』の中に、「我、事において後悔をせず」という言葉があります。
二十代の頃、この言葉が気に入り、自分への訓戒として胸に秘めていました。つまり、何をするにもベストを尽くして悔いを残さない、後悔をしないことが大切だと思ったのです。ベストを尽くせば、自分にも納得ができます。「事において後悔をせず」とは、なるほど武蔵らしいとも思いました。
しかし、この言葉は年齢を重ねるにしたがい、しだいに脳裏から離れていったように思います。多少なりとも人生の辛苦をなめるにいたって、考え方も変わっていったのでしょう。
いったい、後悔のない人生など、本当にあるでしょうか。思い起こせば、私などは後悔することばかりです。あの時、どうしてもうひと押しできなかったのか。あの時、どうして会いに行かなかったのか等々、悔いが残ることにはキリがありません。でも、その悔いが残るからこそ、新たな励みになることも事実なのです。
〈悔い〉はまた〈悔しさ〉とも読みます。人は悔しさがあるからこそ、努力を続けられるのではないでしょうか。オリンピックのメダリストなどは、前回に敗れた悔しさをバネにしてこそ、地獄のような猛練習に耐えられるのです。私も悔しさをバネにできなくなったら、もう〝若さ〟はないのだと覚悟を決めています。
それにしても「我、事において後悔をせず」は、なつかしい言葉です。久しぶりに、二十代の自分をかいま見たような気分になりました。
お中元
令和元年7月25日
お中元の時節とあって、私にもたくさん届きました。
三年前に独り暮らしを始めた時、「お中元・お歳暮はかたくご辞退いたします」というハガキを出したのですが、それでも頂いている方かも知れません。素麺やカルピスといった定番のものから、各地の名産(最近は冷凍ものが増えました)まで、種々さまざまです。冷凍ものが増えると、冷凍庫を別に求める方も多いことでしょう。私も昨年の暮れに寺が完成した折、家庭用としては一番大きい冷蔵庫を買いました。冷凍庫が二ヶ所にあるので、何とかなっています。
ところで、お中元を頂いた折、ていねいにハガキを出したり電話をして御礼を欠かさぬ人もいれば、まったくナシのつぶてという人もいます。これは、私も贈り物をして経験したことですが、やはり何の音沙汰もないというのは、気持のいいものではありません。せめて電話の一本も欲しいというのが、贈った方の本音でしょう。
では、悪気があって音沙汰がないのかというと、そんなことはありません。感謝の気持ちはあっても、めんどうなだけなのです。会った時にでも御礼を言おうと、その程度に思っているのです。しかし、このことが、当人の一生にどれほどの損失をもたらしているかがわかっていません。たかがハガキ一枚、たかが電話一本のささいなことをおろそかにする人は、結局は信用を失い、どかかで陰口を言われるようになるのです。お中元の習慣が、いい悪いの問題ではないのです。不用なものまで贈って来るという問題ではないのです。人は感情で行動しても、あとから自分の正当さを主張するからです。
ちなみに私ですが、宅急便のラベルをはがしたらスグ(!)に、御礼のハガキを出すか電話をします。その場でスグにすることが大切で、これはかなりの努力をした末に習慣となりました。習慣の心がけこそは、人生の秘訣と思っているからです。
小事をおろそかにしての大事はありません。小事の積み重ねが、やがて人生の大事となるのです。肝に銘じましょう。
一生では足りない
令和元年7月8日
詩人・北原白秋は晩年に「白秋詩抄」を出版するにあたって、こんなこと書いています。
「ひそかに愧じる故は、わが詩業を通貫するひとつの脊梁が、わずかにこれだけの高さのものかということである」
偉大な詩人にしてこんなことを語るものかと、若い頃には思いましたが、今ではその気持ちがわかるような気がします。人の一生は尊いものでありますが、その理想が高くれば高いほど、その一生に慙愧の念を覚えるに違いありません。立派な仕事をなし、また立派な業績を残しながら、私たちの力の及ぶところは、こんなところなのでありましょう。私などにはとてもこのような心境には至りませんが、さて、いよいよの時には同じような気持ちをいだくのかも知れません。
しかし、物ごとの完成はかぎりなく遠く、一生の内に成し得ることではないような気がします。能楽の大成者・世阿弥は、真の芸術を完成させるには、親と子と孫との三代はかかるといった意味のことを述べています。そして、「芸術は長く、人生は短し」とも申します。「一生では足りない」というほどの気持ちは、私ほどの者でも少しは思うことがあるのです。
お恥ずかしいかぎりではありますが、私もまた生まれ変われるものなら、再び僧侶となってやり残した仕事を成し遂げたいと思っています。先日、六十七歳となりましたが、残る人生をあと二十年と設定しています。それ以上を生きたとしても、大したことはできません。これは私の正直な本音です。
すみません、何やら遺言のようなブログになりました。明日はもっと楽しいお話を書きますから、ね。
入院生活の思い出
令和元年7月5日
急用が入りまして、三日ほどブログを休みました。
さて、実は私はたった一度だけですが、三週間ほどの入院生活を経験しました。あまりに荒行をやり過ぎたせいか、声帯ポリープが大きくなり、声が出なくなったためです。もう25年以上も前のことですが、都立大塚病院の耳鼻咽喉科で手術を受けました。
入院生活は退屈だと思いましたが、私にはとても楽しい毎日でした。まず、山のように本を持ち込みましたが、それらをことごとく読破することができました。普段はなかなか手をつけられず、いつ読もうかと悩んでいた本もかなりありました。途中で、さらに追加を運んでいただいたほどでした。読書に疲れると、病院内の庭園を散策しましたし、当時のウォークマンで音楽も堪能しました。私の普段の生活では、手に入らない時間ばかりでした。
また、簡単な茶道具も持参し、お見舞いの方々にはお抹茶の接待をしました。皆様、まさか病院でお抹茶をいただくとは思ってもみなかったはずです。とても喜ばれました。また、こんな患者もめずらしかったのでしょう。よく、看護士さんに笑われたものでした。
このような至福の時間が与えられたことに、私は大いに感謝をしたものです。いつも多忙な私に「少し静養しなさい」と、天の声が語っているようでした。人生は必要な時に、必要な場所で、必要な人と出会い、必要なことがおこるのです。もちろん、すぐには理解し得ないこともあります。不運と思うこと、不合理と思うこと、理不尽と思うことも多いはずです。それでも、やがて長い時間が過ぎた頃、自分には必要な経験であったことが理解されるはずです。
今となっては、あの入院生活もなつかしい思い出となりました。自分らしさを取り戻せたような、そんな思い出です。
ほどほどの幸せ
令和元年7月1日
私たちが快感を味わった時、脳内にはドーパミンというホルモンが分泌されます。また、怒りを感じた時はアドレナリンというホルモンが分泌されます。そして、この相反する互いのバランスをとり、心の安定と癒しに導くのがセントニンという〈幸せホルモン〉です。
セントニンは太陽の光を浴びると活性化するとされ、日の出を拝むと幸せな気持ちになるのはこのためなのです。だから、セントニンが分泌されれば、私たちはいつも心が安定して癒され、幸せな気持ちで生活することができるのです。
近年、うつ病やストレスに弱い人が増えているのは、ダイエットや偏食によって、セントニンが不足しているからとも考えられましょう。セントニンはトリプトファンというアミノ酸から生まれますので、トリプトファンを多く含んだ赤身の魚や肉類、乳製品、大豆製品、豆類をたくさん食べるとよいでしょう。
では、こうした食品さえ食べていれば、私たちはいつも幸せなのかといいますと、もちろんそうはいきません。実はセントニンには、別にもう一つ興味深い性質があります。それは、一日に分泌される総量には限界があるということなのです。だから、一生に分泌される総量にも限界があるということになります。
つまり、あふれるような幸福感を覚えても、これが長々と続くことはないということなのです。楽しかった後には、何となく寂しさを覚えるのはこのためです。これはセントニンを一気に分泌したため、残量が少なくなった証拠です。しかし、その寂しさも、いつまでも続くわけではありません。またセントニンが増量されれば、ささいなことにも幸福感を覚えるはずです。
人生は良いことばかりは続きませんが、悪いことばかりも続きません。幸福ばかりの人もいなければ、不幸ばかりの人もいないのです。だから、その幸福の総量をいかにうまく使い、逆に幸福が足りなくなった時に、いかに対応するかで人生が決まるのです。
ついでにお話しますが、私たちは〝ほどほどの幸せ〟が一番いいのです。そしてこの〝ほどほど〟の意味をわきまえた人が、最後まで幸せなのです。
人生の短さについて
令和元年6月27日
古代ローマにセネカという哲学者がおり、『人生の短さについて』(岩波文庫)という本を残しています。彼はこんなことを言っています。
「われわれは短い時間を持っているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は充分に長く、その全体が有効に費やされるならば、最も偉大なことを完成させるほど豊富に与えられている」
なかなかインパクトがありますが、実に耳の痛いお話です。私も皆様も、人生の多くの時間を浪費していることに間違いはありません。まことにもって、そのとおりでありましょう。
時間は年齢と共に短く感じられるようです。子供の頃の一年はとんでもなく長く、それこそクリスマスやお正月が待ち遠しかったはずです。それが青年期・中年期を過ぎれば、一年などアッという間です。そして、還暦でもすぎれば、もう〝転げ落ちる〟ほどの感覚です。
それでも、私はあえて、何もしないムダな時間の大切さを主張したいと思います。何もしないといっても、何かを考え、何かを想像していることに変わりはありません。そのムダともいえる時間を過ごしてこそ、一気に集中して物ごとに取り組めるからです。この集中と休息のバランスこそ、私は大切だと思います。
「時は金なり」といいますが、お金で買えないものも時間なのです。余裕の時間をうまく使ってこそ、「その全体が有効に費やされる」はずです。いかがですか、皆様。
偉大な救い
令和元年6月24日
忘れることは、偉大な救いです。
まず、高齢になると物忘れがひどくなります。しかし、何十年も駆使した脳が退化するのはあたりまえで、やむを得ぬことです。それでも、私はあえて断言しましょう。高齢になって物忘れがひどくなるのは、あの世へ往く準備をしているのです。あの世へ往っても、この世に残した財産がどうの、やり残した仕事がどうの、憎い嫁さんがどうの(失礼!)では、未練を断ち切れません。だから、いよいよの時が来たら、この世の執着は断ち切ることが大事で、これは偉大な救いなのです。これが、まずひとつ。
次に、高齢にならずとも、私たちは忘れることがなかったら、どうなりますでしょうか。イヤなことの抑圧に、身も心もボロボロになるはずです。イヤなことは時間と共に忘れる、あるいは忘れたようなフリをすることが肝要です。だから、時間こそは、時間が過ぎ去ることは、偉大な救いなのです。まさに、過去とは「過ちが去る」ことなのです。特にストレス社会の今日、居酒屋やカラオケで憂さをはらしても、忘れることが出来なくてはこの身が持ちません。少なくとも、忘れたようなフリをしましょう。
私たちは忘れることで、心のメンテをしています。忘れることは、偉大な救いです。そうでしょう。
散歩の楽しみ
令和元年6月14日
時間が取れれば、なるべく散歩をしています。
先日、紫陽花のことを書きましたが、散歩中によいところを見つけました。桜の下に紫陽花を植えており、共に花を楽しめます(写真)。
紫陽花は半日影が好ましいので、ちょうどよいと思いました。あさか大師の隣も桜並木なので、これを見本に紫陽花を植えてみたいと考えています。いま、樹下の水路を歩道にする工事ををしていますので、完了したら取りかかりましょう。参詣の方々が楽しめるはずです。
各地に〈あじさい寺〉がありますが、私が最も感動したのは、京都大原の三千院でした。ちょうど今頃の梅雨の日、往生極楽院との景観には涙が出るほどの思い出となりました。格別に紫陽花を強調しているわけではありませんでしたが、何とふさわしい花だろうと心がときめきました。文字どおり、極楽の片鱗をかいま見た気分でした。
身近なところで、このような喜びに出会えることは人生の妙味です。私は法務のために旅行も出来ませんが、身辺にこのような所を見つけ出していきたいものです。皆様の近辺にもきっとありますよ。ぜひ、探してしてみてください。生きていく時間は、アッという間です。今のままでは後悔しますよ。きっとそうですよ。