凛とした品格
令和元年7月17日
梅雨の花と言えば紫陽花ですが、〈桔梗〉もまたよく似合います。そこで、いただいた桔梗を〈刈茅〉と共に挿しました(写真)。うっとうしい長雨の中で、この姿にはとても癒されます。
桔梗の何がすばらしいのかと申しますと、日本的な凛とした品格を保っていることです。たとえば、春の都忘れ(ヨメナギク)や鉄線(クレマチス)などでさえ、最近は妙にバターくさく(!)なり、本来の素朴さが失われつつあるからです。その点、この桔梗は白花や桃色花などが出回りつつも、まだまだ古来の彩りを残しています。
桔梗は『万葉集』では「朝顔」の名で歌われています。つまり、朝に咲く花を一様に「朝顔」と呼んだらしく、木槿なども同様です。私たちが親しむ、いわゆる〝アサガオ〟がいつ頃に渡来したのか、原産がどこであるかは、実ははっきりしていません。
木槿もアサガオも夕方にはしぼみますが、桔梗は夕方になっても映えて美しいものです。『万葉集』の一首に、
朝顔は朝露負いて咲くといえど 夕影にこそ咲きまさりけれ(作者不詳)
と、あるのがこのことです。「夕方でも美しい朝顔」こそ桔梗だと知りましょう。そして、最後まで残るのは品格だと知りましょう。
コンプラ瓶
令和元年7月9日
セリの花をいただきましたら意外に美しいので、さっそく挿してみました(写真)。初めてお目にかかりましたが、野菜にもすてきな花があるものです。この季節ではカボチャやキュウリの花なども、いいものですよ。
今日のお話はもう一つ、花器にした白い瓶が何であるか、皆様おわかりになりますでしょうか?
これは江戸時代に長崎の金富羅商社が、出島で東インド会社と取り引きをした「コンプラ瓶」というものです。正面に「JAPANSH SAKI」とあり、「ヤパンセ サキ」と読みます。つまり「日本産の酒」、九州の焼酎を入れて、オランダやポルトガルに輸出したのです。かのシーボルトも、いくつかを本国に持ち帰りました。おそらく、日本人が書いた当初のアルファベットということになりましょう。粗雑な磁器で、焼酎のシミまで残っていますが、なかなかに味があります。
それともう一つ、晩年のトルストイがどうしたことかこの瓶を愛玩し、一輪挿しに使っていました。たしかに、書斎の片隅にこの瓶が映っている写真を見たような気がします。
文豪もこのやわらかな白い発色を好んでいたのでしょう。そして、歴史的な名作を生み出す、その瞑想を支えたのです。私の手元にあるのも、不思議なご縁です。
擬宝珠(ぎぼうし)
令和元年6月23日
ギボウシをいただいたので、さっそく床の間に挿しました(写真)。漢字では擬宝珠と書きますが、つまって「びぼうし」あるいは、「ぎぼし」と言います。文字どおり「宝珠に似たもの」といった意味の花です。写真ではわかりにくいかも知れませんが、蕾の形がお寺や橋の欄干(先のとがった飾りをつけた手すり)に似ています。つまり、仏教の如意宝珠にも似た花ということです。
東アジアに多く分布し、特に日本には二十種ほどあるそうです。谷沿いの岩場や湿原などに生え、白や薄紫の花を咲かせます。この時期に山に入ると、谷川の傍らでよく見かけることでしょう。ただ、一日花なので、朝に開いて、夕方には閉じてしまいます。
実は、ヨーロッパでも人気があります。それは江戸時代にシーボルトが持ち帰ったため、もともと自生していたかのように普及したからです。ツアーを組んで、わざわざ日本にやって来る人たちがいるほどで、うれしいかぎりです。ナポリ出身の友人女性・ブルーナさんに、「これは仏教の花ですよ」と説明したことがありました。
お大師さま(弘法大師)は如意宝珠を真言密教の象徴とされました。だから、この花をお供えとして挿しています。あさか大師のご宝前にも如意宝珠を安置していますが、それに花が添えられれば、申し分がありません。今日一日がとても豊かになりました。
皆様もこの花を見ましたら、ぜひ今日のブログを思い出してください。そして、仏教の花であることを人にも教えてください。
紫陽花
令和元年6月9日
今日も梅雨らしい一日でした。そして梅雨の花といえば紫陽花でしょう。〈あじさい〉や〈アジサイ〉より、私はこの漢字表記が好きなのです。紫陽花の〈陽〉とは光のことです。そして、おりおりの光によって色が変ずる花という意味です。
梅雨の詩情として、これほど似合う花はありません。今朝も散歩中に薄紫の紫陽花が目につき、その家のご主人より一枝をいただいて本堂に挿しました(写真)。技術などどうでもよいのですから、皆様も庭の一枝をガラス瓶にでも挿してみてください。家の中がパァーと明るくなりますよ。
万葉の時代は「集真藍」といったそうで、藍色の小花が集まった花とのお話を聞いたことがあります。今どきは藍色のほか、青・紫・紅・白などの色が多彩に競います。また、各地に〈あじさい寺〉が増えて、うれしいかぎりです。
また紫陽花について、忘れられないのは三好達治の詩「乳母車」です。
母よー
淡くかなしきもののふるなり
紫陽花色のもののふるなり
はてしなき並樹のかげを
そうそうと風のふくなり
私がはじめて魅せられた「声に出して読みたい日本語(斎藤孝氏の造語)」でした。
解釈など、無用なことです。ただ紫陽花が淡く、悲しく〝ふる〟のです。時が過ぎるのです。何と美しい詩でしょう。久しぶりに、青春を堪能しました。
ホトケノザ
平成31年4月29日
お隣りの畑に、ほんの少しホトケノザ(仏の座)が残っていました(写真)。実はお彼岸の頃には田畑の一面を覆いつくし、まるでピンク色のジュウタンのようでしたが、私がうっかりシャッターチャンスを逃してしまったのでした。
白雪げし
平成31年4月22日
私の好きな〈白雪げし〉をいただきました。この花は茎を切ると汁が出て、すぐにしおれます。だから、根ごと洗って、そのまま挿すことが大切です。昔のこね鉢に、そば猪口を用いました(写真)。
菜の花
平成31年4月20日
〈菜の花〉をいただきましたので、これから挿そうと思います(写真)。
ところで、この時節の野山は菜の花でいっぱい、とお思いになるでしょう。実は、違うのですよ。いま、野山に黄色く咲いている花は、ほとんどが〈からし菜〉なのです。菜の花は、あまり見かけなくなりました。
では、その違いがどこにあるのか説明しましょう。
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小さな床の間
平成31年4月7日
本堂の片隅に小さな床の間があり、お軸をかけて野の花を挿しております。
お軸はたいていは古代の拓本を選んでおります。現代人は漢詩や古筆は読めませんので、このようなものの方がわかりやすく、また親しめると思っております。また拓本には、現物とは異なる別の世界を浮き出し、〈美の法門〉に導いていただけるからでございます。私の敬慕する會津八一先生が、著書の中でそのように述べておられます。
ユキヤナギの挿花
平成31年3月28日
新河岸川の土手にみごとなユキヤナギが咲いておりました。さっそく数枝をいただき、越前の古壺に挿しました。