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天上の花

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あさか大師

令和4年9月21日

 

あさか大師桜並木の傾斜に彼岸花が咲きました。昨年はまだまだ乏しい数でしたが、今年はかなり増えています。台風で全滅するかと心配しましたが、ほんの一部を除いて何とか立ち姿を維持してくれました(写真)。

別名を「曼珠沙華まんじゅしゃげ」といいますが、これは『法華経ほけきょう法師功徳本ほっしくどくぼんに記載される「天上の花」という意味の仏教用語です。おめでたいことがある時、天から赤い花が降臨こうりんして来るとされ、本来は大変に縁起のよい花なのです。

ところが、日本ではよくお墓に植えられたため、かつては「死人花」や「幽霊花」などと呼ばれて嫌われました。私の郷里ではごく近年まで土葬どそう(火葬をしないひつぎのままの埋葬法)の習慣が残り、土盛りした上によくこの花の球根を植えました。これはもちろん、土盛りが崩れないためと、モグラや野ネズミに荒らされないためです。同じ理由から田んぼのあぜなどにも植えられました。今でも、子供の頃の記憶から、この花を「気味が悪い」と思う方がいるかも知れません。

しかし、近年は妖艶ようえんなこの彼岸花を好む方が増え、「元気が出る」「とてもいやされる」といいます。そして、各地の群生地には人が集まり、カメラマンの姿が絶えません。特に本県日高市の〈巾着田きんちゃくだ〉は全国的な名所となりました。ネットで調べてみてください。願わくはあさか大師も、その群生地になってほしいと念じています。

実は、彼岸花の球根にはアルカロイドの毒性がありますが、昔はすりおろして水にさらし、さらに煮沸しゃふつして粉末になし、これを飢饉ききんの折の救荒食きゅうこうしょくにしました。また、すりおろしたままを「石蒜せきさん」といい、シップすると腹膜炎・浮腫・むくみなどに薬効があり、民間療法として永く活用されました。

私の思い出の中では、奈良県明日香村の景観が忘れられません。橘寺たちばなでらの境内も石舞台いしぶたいの土手も古代ロマンが真っ赤に染まり、仏教伝来の詩情に酔いしれました。このブログを書きながらも脳裏には、秋の明日香村への想いをせてやみません。さながら、「天上の花」です。

金運宝珠護摩

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令和4年9月18日

 

本日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩を奉修しましたが、あいにくの台風で、皆様のお足が遠のきました。残念でしたが、お集りの方々と、力強いお護摩に浴しました(写真)。郵便、FAX、メールでもたくさんの護摩木ごまぎ(お護摩で祈願するお札)が寄せられましたが、それぞれのご自宅でご祈願していただいたものと拝察しています。

真言密教の僧侶がお大師さまにご祈願をする場合、高野山では弥勒菩薩みろくぼさつの行法を修します。お大師さまは奥の院にご入定にゅうじょうされつつも、常には〝あの世〟の弥勒浄土にいらっしゃると考えられているからです。つまり、弥勒浄土にいらっしゃりながら、そのご宝号をお唱えすれば、すぐ〝この世〟にも出現されるという意味なのです。

では高野山以外の寺院ではどうするかというと、如意宝珠にょいほうしゅの行法を修します。お大師さまは真言密教の象徴である如意宝珠そのものであるからです。実は、私は毎日、この如意宝珠のお護摩を修してお大師さまにご祈願を続けています。そして、第三日曜日を特に金運宝珠護摩の日と定めたのは、如意宝珠のいろいろな功徳の中で、特に金運を高めたいためでした。

現代の生活において、お金はとても大切なものであることは申すまでもありません。金運を高めることは、生活そのもの、人生そのものを守ることなのです。多くの方がこの金運宝珠護摩に参拝していただくことを念じてやみません。どなたでも参加できますので、このブログを読んだ方は、ぜひお越しいただきたいと思っています。

ちなみに、あさか大師の護摩木は一本が200円で、子供さんや学生さんでも申し込めます。お会い出来ます日を楽しみにしていますよ。

月初めの総回向

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令和4年9月5日

 

一昨日と昨日、あさか大師では月初めの総回向法要を挙行しました。先ず午前中は弟子僧の勉強会で阿字観あじかん(梵字の阿字を観じる瞑想)を伝授し、続いて毎日のお護摩、昼休みの後に総回向法要となりました(写真)。

まんじゅしゃげ

また法要後は、9月23日(秋分の日)の秋彼岸会法要についてお話をしました。日本は春彼岸に木蓮もくれん、お盆にはす、秋彼岸に曼珠沙華まんじゅしゃげ(彼岸花)が咲きます。それぞれに仏さまの花が咲く、仏さまの国なのです。彼岸やお盆にはご先祖や祖父母・両親の供養につとめましょう。

阿字観の伝授でもお話をしましたが、私たちが生まれて学校を卒業し、社会に出て独り立ちをするまで、親はいったいどのくらいの費用がかかったのかの統計があります。家の事情にもよりましょうが、何とその費用は2000万円~3000万円とされています。生活費のすべて、学費、娯楽費、諸経費、小遣いなどを総計すると、このくらいになるというのです。いったい親は、どのようにしてこの費用を工面していたのでしょう。つまり、これほどの費用と苦労をかけながら、私たちは親に育ててもらった(もちろん、育てていただいたというべきですが)ということなのです。

実は、親からこれほどの世話になりながら、私たちが世話をしたものはほとんどありません。逆に迷惑をかけたものばかりが残ります。そして、親孝行をの一つもしたいと思った時は、すでに親はこの世にはいません。せめてお盆やお彼岸の時は、供養の気持を捧げていただきたいと思います。皆様、いかが?

金運宝珠護摩

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令和4年8月21日

 

本日は第三日曜日で、午前中は作務の後の11時半より金運宝珠護摩(写真)、午後1時より光明真言回向法要を挙行しました。どなたでも参加できますので、このブログを読んだ方は、ぜひお越しください。また法要の後は、私の子供の頃の体験で、身近にあるものでお小遣こづかいをかせいだお話をしました。何かのヒントになっていただければと思っています。

曇り空の中、むし暑い一日でしたが、それでも朝晩はわずかに秋の気配を感じます。そこで『古今和歌集』の名歌、「秋ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる(藤原敏行ふじわらのとしゆき)」が憶念されます。昔の人は秋の気配を風の音で感じたのです。何という奥ゆかしさでしょうか。目に見えるところは昨日までと何ら変わりはありません。だから、「目にはさやかに見えねども」と言っています。でも、どこかが違います。それは風の音だったのです。「おどろかれぬる」はビックリするのではなく、ハッと気づくというほどの意味です。まあ、これ以上の講釈はやめておきましょう。

夕方、またサイクリングをしました。残念ながら風の音はなく、武蔵野線の電車が猛々たけだけしく過ぎて行きました。

月初めの総回向法要

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令和4年8月7日

 

昨日と今日、あさか大師では月初めの総回向法要の両日でした。

先ず作務さむの後、午前10時半より、弟子僧の皆様に〈阿字観〉の伝授をしました。阿字観とは梵字の阿字を見つめる瞑想法で、真言密教では重要な修行です。今回は阿字観についての私感を述べ、来月は実修に入る予定です。また、いずれは一般の方にも公開して、幅広く普及することを目標にしています。

午前11時半より毎日のお護摩を修し、昼食後の午後1時より、総回向法要を挙行しました(写真)。相変わらずコロナ感染が増大し、参詣を遠慮している方もいらっしゃいましたが、それでも元気に読経を勤めました。一日も早く安心して参詣できる日が来ることを願ってやみません。なお、〈一食布施〉の一部を「ウクライナ緊急募金」として日本ユニセフ協会に寄進しましたが、法要後にその御礼状や領収書受納の報告もいたしました。

また初日の総回向の後、弟子僧の12名の方に〈愛染明王法あいぜんみょうおうぼう〉の伝授をいたしました(写真)。愛染明王はお大師さまが、不動明王とともに重んじられた仏さまです。実は、お大師さまの御影みえ(お姿の絵)の右手の五鈷杵ごこしょは愛染明王(金剛界)を、左手の念珠は不動明王(胎蔵界)の羂索けんさく(なわ)を表示しています。愛染明王法はなかなか伝授する阿闍梨あじゃり(教師)も、その機会もなくなりました。私は縁ある方には伝授を続けたいと願っています。

盂蘭盆法要

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令和4年7月3日

 

昨日と今日、月初めの総回向を兼ねて、盂蘭盆うらぼん法要を挙行しました(下写真)。

参詣の方が、予想したより少なかったように思います。コロナ禍に加えて、さすがにこの猛暑のためでしょうか。それでも弟子僧の皆様が声明を披露し、ご信徒の皆様も一心に読経をしました。そして、法要終了後は全員で施餓鬼せがき作法を修しました。私たちも、強欲に走る餓鬼道への戒めを心得ねばなりません。

また、午前中のお護摩の前に〈九字の秘法〉と〈大般若だいはんにゃ加持法かじほう〉を伝授し(下写真)、法要後は〈得度式〉や〈加行けぎょう伝授〉など、忙しい二日間でした。

一食布施

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令和4年6月5日

 

あさか大師では昨日と今日、月初めの総回向法要を挙行しました。法要の後、今月から「一食布施いちじきふせ」を開始したことをお話して、皆様の協力を仰ぎました(写真上)。また、その募金箱も設置しました(写真下)。

 

一食布施とは、月に一度(もちろん、何度でもよいのですが)恵まれない方々のために、ご自分の一食分の食事代を布施するものです。お弁当なら500円程度、余裕があれば1000円以上でしょうか。もちろん、私自身も参加しています。

このささやかな行為が、実は徳を積む大きなチャンスになることを確信してやみません。人の運命は徳で決まります。能力も大切ですが、徳がなければその能力も生かせません。このささやかな心がけが、地球のどこかで感謝をされましょう。それがプラスの〈気〉となって、ご自分の徳となるのです。

良識ある著名人は、みなこうした心がけを実行しています。その心がけがさらに徳を呼び、ますます開運するのです。私たちは著名人にはなれずとも、社会の一隅いちぐうを照らして、功徳を心がけましょう。

まずはウクライナの方々が意中にあることは、申すまでもありません。皆様のあたたかいお心をお寄せください。

縁日護摩と得度式

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令和4年5月21日

 

毎月21日は、お大師さまのご縁日です。私は毎日お護摩を修していますので、特にお大師さまの〈縁日護摩〉という日を設けてはおりません。それでも21日というと、どことなく力が入ります。本日は土曜日だけあって、弟子の僧侶の方が集まり、勢いよくお護摩を修しました。また、その後に二名の方の得度式とくどしき(仏門に入る儀式)がありました(写真)。

私が地方の在野ざいやにあって、僧侶を養成しているには理由があります。それは、名だたる総本山での修行ともなれば、何かと敷居しきいが高く、仕事を休まねばならず、剃髪ていはつ(髪をおろすこと)が義務づけられているからです。また、多くは年齢制限もあり、費用もかかります。途中で脱落する方が出るのも、無理はありません。

四度加行しどけぎょうという修行に入っても、大勢でいっしょに伝授されますので、行法の意味を解説されることもなく、質問も許されません。もちろん、そこにはそれなりの伝統ある深義があります。しかし、大方の修行者は何をしているのかわからないまま、傳法灌頂でんぼうかんじょうという秘儀を経て資格を得ます。また印可いんかという、いわゆる〝お墨付き〟をいただいても、何の説明もされません。これは〝集団〟で育成する当然の結果なのです。

私はこうした理由から、信仰心にあふれる求道者のために、ささやかな門を開きました。自分の理想にはまだまだ至りませんが、それでも工夫を重ね、縁ある方と共に歩んでいます。ご信徒のことはもちろんですが、これが私に課せられた責務であると自戒し、これからも励んでまいります。

金運宝珠護摩のお参り

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令和4年5月15日

 

本日は第三日曜日で、午前11時半より金運宝珠護摩きんうんほうじゅごまのお参りがありました(写真・お護摩点火の前)。雨が心配されましたが、曇り空にとどまり、お参りの皆様と力強い祈りを捧げました。コロナ禍ときびしい経済状況の中、少しでも金運増大の祈りが叶うことを願ってやみません。

私が「金運」などという、〝俗〟ともいえる行事を催している理由は、お金に対する偏見を打開したいためです。

人はよく、お金を「汚いもの」と思う風習があります。私が子供の頃はよく、「誰が触ったかわからない、汚いもの」という言葉を耳にしました。手垢てあかで汚いという意味なのでしょうが、どうも本音は別にあるように思います。つまり、手垢で汚いと思っていると同時に、「カネを持っているヤツは汚い」と思っているからです。そして、欲にからんだヤツの手を渡って来た以上、「カネというヤツも汚い」とまで偏見が拡大していきます。

これは、明らかな間違いです。なぜなら、お金は人が欲する何かを世の中に与えぬかぎり、決して与えられないからです。それには、相応の能力と徳がなければ叶いません。そして、お金持ちになるには、人の二倍も三倍も努力をせねば叶いません(私自身がお金持ちだという意味ではありません)。よく、世の中は不公平だと言う人がいますが、それはこのルールがわかっていないからです。世の中はこのルールで、誰にでも公平に動いています。

このルールはギャンブルや宝くじにも言えます。ギャンブルで財をなすことはありませんし、宝くじで一億円を当てた人は不幸になります。なぜなら、与えずして与えられたものには、このルールが許さないからです。仕事をやめたり贅沢ぜいたくを極めれば、偏見(!)の眼で見られます。ねたみや怨念おんねんを買います。「悪銭身につかず」と言うではありませんか。時には欲が欲を呼んで、殺人事件にまで発展するのです。

お金持ちと思う人を見てください。必ず、人が欲する何かをたくさん与えています。そして、そのための努力を惜しみません。また、その能力と徳がお金持ちらしい品格を生み出しています。お金を大切にして、支払う時も受け取る時も、お金に対して敬意をはらっているはずです。世の中はふさわしい人に、ふさわしいものが与えられているからです。

金運護摩にお参りをしたからといって、一万円札がパラパラと降って来るわけではありません。それは金運を得る能力と徳が身につくよう、お参りの方の背中を押しているのです。お金はその能力と徳に対しての、またその努力に対しての報酬です。いうなれば、自分自身の分身であり、証明でもあります。自分自身と同様、お金を大切にして、敬意をはらってほしいと私は思っています。

梵字講習会と総回向

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令和4年5月8日

 

ゴールデンウィークが明けて、昨日と今日は月初めの行事日となりました。

まず、午前10時半より、あさか大師僧侶の皆様への梵字講習会がありました。独特の筆法ですが、なかなか学ぶ機会がありません(写真)。現代は僧侶の方も毛筆が苦手で、葬儀の戒名や墓前のお塔婆でさえ、パソコンとプリンターが活躍しています。ましてや梵字の講習会など、めったにありません。皆様、持参した筆ペンで、懸命に練習をしました。

ついでですが、仏具店にお位牌を注文すると、真言宗の場合は必ず梵字が入って仕上がって来ます。ただ、職人さんの手によって書かれますから、正しくない場合もあることはいなめません。また、国道に面した石材店で、よく石塔を見かけます。ほとんどが庭園用なのですが、これも間違って彫られている場合があります。

何ごとも、間違いなく伝わることはむずかしいものです。参加した皆様には、正統な梵字を習得してほしいと思います。

また、午前11時半のお護摩、昼食を経て、午後1時からは月例の総回向となりました。新緑につつまれ、キジが鳴き、薫風が漂う中、気持よく読経をしました。皆様、誰もが、早くコロナの蔓延まんえんが終息することを願っています。もう、3年もお会いしていない方もおりますが、また元気にお参りをしていただきたいものです。

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