続・お葬式は無用なのか
令和5年1月31日
私がお葬式を勤めた場合、故人に対して二つのプレゼントを渡してお見送りをしています(写真)。
その一つは、正しい作法でお葬式を受けた証明として「印可・血脈」を渡します。これは引導のお作法ですでにお授けをしてはいますが、いわばあの世へ旅立つ〈道中手形〉です。お大師さまから脈々と伝わった秘印明とお祖師さまの流れが書かれています。そして「エンマさまに対面したら、これを見せなさい」と、説き聞かせながらお授けをしています。またご遺族には、「エンマさまはたぶん、ああ、山路和尚の印可か。よしよしと、ニッコリしてくれますよ」と、半ば冗談に(いや、もちろんマジメに!)お話をしています。
これは渡す私にも、実は重大な責任が伴います。私が僧侶として、またお導師としてどれだけの人徳があるかが問われるところで、それだけの確信がなければ、とてもこんなお話はできません。この「印可・血脈」を授けるにふさわしい人徳があるか否かを、私は自分に問い続けています。
もう一つお授けしているのは、「光明真言破地獄曼荼羅」で、これはいわば〈道中御守〉です。〝破地獄〟という名のとおり、地獄に向わぬようお守りいただくもので、戒名のまわりを光明真言で囲んでいます。もちろん、故人にとっては心強い支えになることでしょう。
法話の最後にこの二つのプレゼントの説明をすると、ご遺族の方がとても喜びます。そして、「お葬式をしてよかった」というお気持ちになります。前回のお話をくり返しますが、お葬式はこの世に残った人たちのためにするのではありません。あくまで、あの世に旅立つ故人のためのものであることを知ってほしいと思います。
お葬式は無用なのか
令和5年1月29日
昨日、久しぶりにお葬式を依頼されました。私はお葬式を勤めることは少ないのですが、時には求めに応じて出仕しています。それは、私が出版した『真言宗・独行葬儀次第』でお導師を勤める僧侶の方が多いので、現代のお葬式事情を勉強するという目的もあるからです。
私は通夜やお葬式の後、必ず法話をします。たいていは、「お葬式は大切ですよ」いうことを力説することにしています。ご承知のように、近年はお葬式をしない方が急増しました。その理由のほとんどは費用がかかり過ぎるからというものです。これはお寺や葬儀社にも責任がありますし、世間体を気にする日本人の風習にも問題がありました。また〈葬式無用論〉が、さも文化的であるかのような主張にも問題があります。
ただ、「戒名はいらない」「葬式はいらない」といった意見は、あくまでこの世に残っている自分たちの事情であって、故人の〝あの世〟の事情については何も考えていないことを知ってほしいのです。もちろん、あの世などあるはずがないというならそれ以上は問いませんが、人は儀式を通じて自覚が伴っていくことを忘れてはなりません。入学式があるからその学校に入ったことを自覚するのです。成人式があるから大人になったことを自覚するのです。結婚式があるから夫婦となったことを自覚するのです。そして、お葬式で引導を受け、子や孫から見送られてこそ、人は安心してあの世に旅立てるのではないでしょうか。
もし、誰からも見送られず、だたのお骨となって荷物のように扱われたなら、その故人は自分の一生が何だあったかと悲しむはずです。お葬式の費用は工夫をすれば、何とかなるものです。また、あの世への旅立ちは、お葬式の費用で成否が決まるわけではありません。事実、昨日の祭壇はとても簡素なものでした(写真)。子を持てば、親の苦労はわかるはずです。自分が社会に出るまで、親がどれほどの苦労を背負ったかがわかるはずです。その親のお葬式だけは、何があっても行ってほしいと私はお話しています。
私は時々、境内の片隅に人の気配を感じることがあります。また深夜の2時・3時に、インターホンが鳴ったり、ドアをノックする音を聞くことがあります。たいていは、「ああ、お葬式をしてもらえなかった人だな」とわかります。本堂には入って来ません。というより、自分がみじめで入れないのでしょう。私たちは生まれた時、誰かの手を借りて産湯につかります。あの世への旅立ちも、誰かのサポートが必要なのです。お葬式はこの世の残った人のためのものではありません。あくまで、故人のためのものであることをわかってほしいのです。
人生の菩薩とは
令和2年7月25日
私の母は長い闘病生活の後、三十三歳の若さでこの世を去りました。私が九歳の時です。
その日の朝、私は父から学校を休むように言われ、その意味もわからないまま、言いつけに従いました。母の枕もとでは、家族も母の親も何度も声をかけましたが、返答はありませんでした。そして、母がいよいよその臨終を迎えた時、大人たちはそれこそ天地が轟くばかりに慟哭しました。私は大人が泣くという姿を、その時はじめて目にしたのです。あまりの驚きと怖さにおののき、押し入れの中にもぐり込んで打ち震えてしまいました。
葬儀のさ中、祖母がまた慟哭を発し、読経していた僧侶までが驚いていたことを、今でもよく覚えています。その頃の農村では、もちろん自宅で葬儀を行いました。部落の人たちも分担して手伝い、その日のうちに土葬しました。葬儀社が入ることなどあり得ません。その部落の人たちまでが、祖母の慟哭につられていっしょに涙を流したものでした。
それから十五年後、今度は二十七歳の兄を亡くしました。兄の方は事故死で、これまた葬儀の折にはその友人たちが慟哭しました。つまり、若くして天命を終えた二人の肉親を、私もまた若くして見送ったのでした。その頃の日本人は、よく泣きました。今日のように通夜や葬儀の日でも、笑顔を見せるなどということがあるはずはありません。
母の死から六十年近くがたちました。その間、祖父母も父も亡くなりました。私は発心して僧侶となりましたが、先に旅立った二人の肉親こそは、仏縁に導いていただいた菩薩のように思えてなりません。なぜなら、死を知らなければ、また死がどのようなものであるかを知らなければ、私は人生の無常を知り、生きることへの意欲を持つことが出来なかったからです。先に死をもって知らしめてくださった肉親こそは、何よりも尊い人生の菩薩であったのです。そして流したその涙こそは、菩薩の瓔珞にも等しい至宝でありました。
だから、子供さんやお孫さんには、肉親の死というものを見せることが大切です。葬儀によって肉親との別れを経験させることが大切です。それによって人はいずれ死を迎えるという事実を知り、死者にとっては子供さんやお孫さんの声を聞き、生涯のすべてを納得するからです。たとえ肉親の間に相尅の関係があったとしても、それによってすべては虚空へと化すからです。僧侶が唱える読経も、新しい旅の門出を祈ることにほかなりません。
人生で最も重要な儀式
令和2年7月24日
私は子供の頃、一度だけ幽体離脱を体験しました。ある冬の日、炬燵に入ったまま横になってトロトロとした時でした。たぶん、わずか数秒だったと思います。横になっている自分の小さな体を、もう一人の自分が見おろしていたのです。天上あたりからだったと思います。意識はすぐにもどりましたが、驚きと共に、忘れ得ぬ体験となりました。これ以上になると臨死体験となって、いわゆる〝あの世〟まで旅することになるのでしょう。
シスターで国際コミュニオン学会名誉会長の鈴木秀子先生は、かつて講演先の修道院で足を踏みはずし、階段から転倒して床に叩きつけられるという事故に遭いました。その時、気を失ったのに、もう一人の自分が宙に浮き、転倒した自分を見つめていたそうです。そして、修道院の方々が救急車を呼ぼうとしていることなど、はっきりと見え、また聞こえてもいました。
鈴木先生は救急車が来るまで、修道院のベッドに寝かされていましたが、その間は不思議な光に包まれました、まばゆいばかりの光でした。その光を浴びつつ、至福の余韻に満たされました。まるで、神さまと一体でした。そのうち、ある外国人シスターの声が耳元で聞こえ、やがて意識がもどりました。
これも臨死体験の、一つのパターンなのでしょう。たいていは医師が腕時計を見て、家族や看護士に自分の死亡宣告をしている様子を天上から見たり、エレベーターのようなものに乗って異次元に向ったり、川岸にたどり着いたり、両親や祖父母に出会ったりするようです。肉親に出会った場合は、「こっちへ来てはダメだから帰りなさい」などと言われ、そこで意識がもどったという体験もよく聞きます。
こうした体験に鑑みてわかることは、臨終に近い病人はたとえ昏睡状態で意識がなくても、本人には周囲の様子がはっきりと見え、人の声も聞こえているという事実です。ただ、それに反応する肉体が衰え、半ば幽体化しているだけなのだという事実です。ここには重要な意味があります。今日のように医師が死亡宣告をするや、まるで死体をモノのように考え、すぐさま火葬場に向かうようなことは決してあってはなりません。再び蘇生する例もないとは言えませんし、人間としての尊厳を失わせる行為であることを戒めねばなりません。現代人の無知の一つは、死に対する思案の欠如によるからです。
臨終の折にも、葬儀の折にも、死者には何度も何度も語りかけることです。死者にとっても、家族にとっても、最後のお別れなのです。それぞれが「ありがとう」と言い合えるだけで、人生のすべてが清算され、すべてが解放されるのです。死はそれ自体が、人生で最も重要な儀式なのです。