カテゴリー : 心

人生の宝物

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令和5年10月24日

 

先日、あさか大師の僧侶が集まり、本堂の大そうじをいたしました。一年分のお護摩のすすはらいときそうじは大仕事でありましたが、みんなの力を結集して〝ミガキ〟をかけることができました(写真)。

家庭であれ、職場であれ、複数の人が生活するうえで最も大切なことは、挨拶あいさつをすることとそうじをすることです。挨拶のあるなし、そうじの良否によって、家庭も職場もその雰囲気が決まるといっても過言ではありません。その視点から世間を見ていただければ、充分に理解されるはずです。

私は最近、気持ちが落ち込んだり、かべに突き当たった場合、そうじをするのが一番だと考えるようになりました。そうじをした部屋からは新しい〈気〉が流れ、意外な発想を生み出すからです。人が環境を作るのも事実ですが、環境がまた人を動かすのも事実です。つまり、心に対しては、むしろ体を使って動いた方が、その心を変えることができるという意味でもあります。

近所づき合いも疎遠な現代ではありますが、たとえば〈町内清掃せいそうの日〉などでみんながいっしょに汗を流すと、奇妙な(いや、むしろ当然の)一体感が生まれます。めったに口をきかなかった者どうしが楽しそうに語り合う様子を、私は何度も体験してきました。体を動かして汗を流すことにより、意識下の領域が広がり、互いに友好を求めあうからでしょう。

本堂が美しくなり、霊気がさらに充満して、僧侶の気持が一段と晴れやかになりました。そうじという日常の茶飯事さはんじが、実は人生の宝物であるという事実を知らされたのでした。

「手塩にかける」とは

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令和5年5月7日

 

「手塩にかける」といいますが、その意味をご存知でしょうか。

実はお母さんが手に塩をふりかけて、一生懸命に〈おにぎり〉をにぎることなのです。それが、手塩にかけた子育てなのです。その手塩にかけたおにぎりを食べているかぎり、子供は〈おふくろの味〉を忘れません。そして、おふくろの味を忘れないかぎり、親不孝な子供にはなりません。最近のコンビニのおにぎりは大変に工夫され、おいしく作られていますが、失礼ながら、厳密にはあれは「おにぎり」とは呼べません。ご飯を型に入れて力学的に圧縮しただけですので、いうなれば「おしぎり」(笑)と呼びます。

〈おにぎり〉や〈おむすび〉の意味を考えてみましょう。〝にぎる〟ともいい、〝むすぶ〟ともいいます。単に力学的な力に加えるだけではないのです。それは、手作りのものと比べればよく分かることです。手塩の上にご飯をのせ、力を加えるけれども、力まかせではありません。力を内に込めながら、逆に力をおさえるはずです。そして、何より想いを込めねばなりません。つまりハンドパワーです。これが〝にぎる〟ことであり、〝むすぶ〟ことです。ご飯の粒と粒を結ぶのであって、つぶすすのではありません。だから、かたくしまっているけれども、つぶと粒が立ち上がり、生き生きと結び合っています。

また、工場で大量生産された商品は、均一ではありますが、どこか深みがありません。やはり、人の手にはエネルギーがあるということなのです。味にも、プラスアルファの深みがあります。私もよくコンビニのおにぎりをいただきますが、やはり昔ながらの手作りの味を忘れてはならないと思っています。今朝は、雑穀米のご飯でにぎってみました。(写真)。

特に若いお母さん方には、手塩にかけておふくろの味を残してほしいものです。母と子を結ぶおにぎりこそ、本当の「おむすび」だからです。どうか、手塩にかけて子育てをなさってください。そして、手塩にかける意味を忘れないでください。

日本人の誇り

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令和2年7月27日

 

平成25年7月22日午前9時15分、さいたま市のJR南浦和駅の京浜東北線ホームで、電車から降りようとした三十代の女性が誤って車両とホームの間に足をみはずし、腰まではさまれるという事故がおきました。ちょうどその時、読売新聞のぼう記者が居合いあわせ、その救出劇を写真入りで報道しました。

その報道によりますと、事故のその瞬間、ホームに「人がまれています」というアナウンスが大きな声で流れました。それを聞くや、車内の乗客40名が自主的に降車し、駅員と共に全員で車両の側面を押し、ホームとの幅を懸命に広げました。数分後、その女性が無事に救出されるや、一同から拍手がわき起こりました。そして、その電車は8分遅れで運転を再開しました。女性は念のため病院に運ばれましたが、目だったケガはありませんでした。

普通、車両とホームのすき間は20センチ程度なのですが、そこはいくらか広く空いていたようです。事故のあった車両は10両編成の4両目で、1両の重さは車輪を含めて32トンもあります。しかし、車台と車体の間にサスペンション(懸架けんか装置)があり、伸縮させて車体だけを傾けることが出来たのです。このサスペンションが女性を救ったのでした。いや、駅員と共に車両を押した乗客の力が、この女性のいのちを救ったのでした。

そして、この報道はたちまち世界中に伝わりました。米国CNNテレビは、「日本からのすばらしいニュースです」という前置きの後にこの救出劇を報じ、「生死に関わる状況で、駅員と乗客が冷静に対応しました。おそらく、日本だけでおこり得ることでしょう」と結びました。英国各紙はロイヤルベビー誕生の特集を組む中、ガーディアン紙は「集団で英雄的な行動を示した」と、駅員と乗客がいっしょになって車両を押している読売新聞の写真を公開しました。

イタリアの主要紙コリエーレ・デラ・セラは、「イタリア人だったらながめるだけだったろう」とウェブサイトにコメント。中国寄りの論調が強い香港のフェニックステレビのウェブサイトは、「中国で同様の事故がおきれば、大多数が野次馬やじうまとなって見物するだけだ」と。その中国も、国営新華社通信が日本での報道を論評ぬきで転載し、韓国でも同様でした。

ロシアの大衆紙コムソモリスカヤ・プラウダは、「どうしてこんなに迅速じんそくな団結できたのだろう。われわれロシア人も他人のいのちに対して無関心であってはならない」と。タイのメディアも、「日本がまた、世界を驚かせた。日本人はどのような教育を受けているのか」と。そのほか、各国のメディアが称賛しました。

冷静さと、思いやりと、団結力と、日本人はこの誇りを忘れるべきではありません。JR南浦和駅は電車路線の乗り換え所で、あさか大師にご参詣の皆様もよく利用します。日本人の誇りを、皆様にもお伝えしましょう。

ある街の入り口で

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令和2年7月22日

 

ある街の入り口で、おじいさんが一人、大きな石に腰をかけていました。そこに若い男が一人、その街を訪ねてやって来ました。そして、そのおじいさんに聞きました。

「あじいさん、この街はいい街でしょうか。いい人がたくさんいるでしょうか。私は幸せになれるでしょうか」

「おまえさんが今まで住んでいた街は、どんな街だったのかね」

「それはもうイヤな街でした。意地悪な人ばかりで、つらい思いをしました。だから幸せになりたくてやって来たのです」

「そうだなあ、残念だが、この街もまた今までと同じだろうよ」

しばらくして、また別の若い男が一人、同じようにその街を訪ねてやって来ました。

「おじいさん、この街はいい街でしょうか。いい人がたくさんいるでしょうか。私は幸せになれるでしょうか」

「おまえさんが今まで住んでいた街は、どんな街だったのかね」

「それはもういい街でした。親切でいい人ばかりでした。私はとても幸せでした」

「そうかい、じゃあ、この街もまた今までと同じだろうよ。よかったなあ」

このお話は何を語っているのでしょうか。まず考えられるのは、自分が変らねば、自分の心が変らねば、何も変わらないということです。イヤだイヤだという思いで人に接していれば、その思いが心を占領するのです。だから、ますますイヤな人に囲まれていくのです。どんな街に行っても同じです。だから、自分が変らねば何も変わらないのだという教えなのでしょう。

さらに考えますと、いい人に囲まれるから幸せになるのではないという教えにも聞こえます。いい人が幸せをくれるのではなく、自分がいい人にならなくては、幸せにはなれません。自分がいい人になれば、まわりの人も少しずつ変わっていきます。少しでもいいところを見つけて接すれば、まわりの人も少しずつ変わっていきます。与えられるから幸せになるのではないのです。幸せはそれを見つけ出し、それを感じ取るものだからです。それを見つけ出し、それを感じ取れれば、幸せになれるのです。

「声相」という真実

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令和2年6月13日

 

先月、八千枚護摩のお話をしましたが、実はもう一つ、声帯をこわした経験も忘れることはできません。不動明王の真言を大きな声で十万遍も唱える荒行をしたのですから、当然といえば当然です。しかも、私はその荒行を50回もくり返したのです。丈夫だった声帯も限界を超えたのでしょう。しだいに声枯こえがれがひどくなり、二重音が同時に出るようになりました。音程も思うように取れませんでした。

はじめは気管支炎か喘息ぜんそくでも患ったのかと思い、病院の内科や呼吸器科で調べましたが何の異常のないというのです。のどによいという医薬品や民間薬もかなり試みました。しかし、いっこうに効果はありません。そんな中で父の葬儀を勤めましたが、ひどい声で読経したことを、今でも恥ずかしく思っています。

その後、友人にすすめられて高名な耳鼻咽喉科の先生に調べていただいた結果、大きな声帯ポリープが二ヶ所に発生していることが判明しました。そしてご紹介をいただき、手術を受けて事なきを得ました。しかし、今でも長時間の読経や講演をすると、声枯れがするのは逃れられません。冷たい飲み物もなるべくけるようにしています。歌手や声楽家、詩吟や謡曲の方々は冷たい飲み物を避けるのはもちろんですが、蒸しタオルを喉に巻いて就寝するとも聞いています。

その一方、私はそれまで以上に人間の声という機能に興味をいだき、肉声や電話の声、テレビやラジオの声を通じて、いろいろなイメージが広がるようになりました。つまり人相や手相と同様、声にも「声相」があるということなのです。声が大きい人は元気な証明だと、私はよくお話します。しかしまた、その声の中に心の本質が現れていることも事実です。初めての電話で顔は見えずとも、声によってその方の内面をのぞき込むような習慣さえついてしまいました。

別の角度から説明しましょう。たとえば外国映画をみる場合、俳優さんや女優さん本人の声の方がよりリアルであることは申すまでもありません。字幕を追うのが面倒だという方もおりますが、その声にこそ俳優さんや女優さんの魅力があるのです。ところが、吹き替え版ではどうでしょう。本人の声に慣れている場合、まったくイメージがこわれることがよくあります。声の本質とはこれなのです。声優さんを選ぶのも大変でしょうが、明らかな〝失敗〟はよくあることです。

ただ、私の好みでしょうが、『名探偵ポアロ』の熊倉一雄さんや『刑事コロンボ』の小池朝雄さんなどは例外です。彼らには主演の本人と同等の魅力、つまり本質があるからです。皆様もぜひ「声相」に興味をいだいてください。声は真実を現わします。仏さまの真実も、自然界の声に現われるのです。これもまた、お大師さまの教えなのです。

立ち向かう相手とは

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令和2年6月11日

 

ある師僧が、弟子の僧侶を連れて道を歩いていました。すると見るからに猛々たけだけしい黒犬が、その師僧のそばに近づいて来ました。ところがその黒犬は、見た目とは大違いで、なれなれしく、うれしそうにすり寄って行きました。尾を振り、首を垂れ、従順で、いかにも「いい人に出会った」という感じでした。

ところが、連れの弟子は何を勘違いしたのか、師僧にかみつきでもしたら大変とでも思ったのでしょう。急いでその黒犬に近づき、「シッ、シッー!」と追い払おうとしました。すると黒犬は弟子に向って振り向き、耳をさか立て、眼光するどく、威嚇いかくしてえまくりました。

突然の猛攻に、弟子の方もあわてました。すぐさま道端の石を拾って、「このヤロー!」とばかり、投げつけるふりをしたのです。犬も犬なら、弟子も弟子です。その黒犬は身の危険を察したのか、やがて退散してしまいました。さて、以下、こんな会話となりました。

「師僧、あの黒犬に何か食べ物でもやったのですか」

「どうしてかね」

「大そうなれなれしくて、いかにもうれしそうにすり寄っていましたけど」

「いや、わしは何もやらんよ」

「師僧にはなれなれしくて、うれしそうにすり寄ったのに、私にはどうしてあんなに吠えまくったのですか」

「わからんか。あれは、おまえが吠えた声なのじゃよ。わしには殺生せっしょう残忍ざんにん臭気しゅうきがないから寄って来るのじゃ。おまえにはその臭気があるから、こわがって吠えたのじゃよ」

「でも、私は石を投げつけるマネをしただけで、あの犬を殺そうとか痛い目に合わせようとしたわけではないのですが」

「今のお前がその気であっても、過去の生き方が殺生や残忍な臭気を放っているから、犬の嗅覚きゅうかくがそれを感知したのじゃよ。犬がおまえを吠えたのは、お前の心の写しなのじゃ。殺生や残忍な心をおまえ自身が怖がって吠えたのじゃ。わかるかな」

その弟子は、師僧の言葉に深く耳を傾けました。私たちが立ち向かう相手とは、私たち自身の姿でもあります。相手の姿は、鏡に写った私たち自身の姿なのです。

中央線吉祥寺駅

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令和2年5月28日

 

私がいだくお釈迦さまのイメージは、祇園精舎ぎおんしょうじゃ竹林精舎ちぃりんしょうじゃでの布教と共に、インド各地を伝道して歩いた「旅の行者」であったということです。そして、もう一つが「瞑想の達人」であったということです。おそらく弟子や信徒から解放されたとき、無上の楽しみは瞑想にあったのではないかと思います。仏典には、瞑想中しているお釈迦さまの横を数かぎりない馬車が通りながら、何も気づかなかったという表記が残されています。これが意識(心)というものの不思議さなのです。

お大師さまも若い頃は、奈良や四国各地の山中で瞑想に明け暮れました。後年は京都で華々はなばなしい活躍をされましたが、本心は高野山での静かな瞑想を好むお方であったことが、その詩文を拝読すればわかります。〈空海くうかい〉という名は、一般には「空と海」と解釈されますが、私はそうではなく「空の海」だと考えています。「空と海」はすなわち海辺での壮大な景観ですが、「空の海」とはつまり〈雲海〉のことです。雲海の漂う山上での瞑想を好む真言の行者という意味です。私はこの考えに、かなりの自信を持っています。

お大師さまはその瞑想に励むや、時空を離れ、人との約束すら忘れてしまうことがありました。つまり瞑想という異次元世界は、時空を離脱しているということなのです。たとえば、私たちがわずかに15分程度のうたた寝をしている間に、東京と大阪を往復した夢を見たりすることでもわるはずです。これが、異次元世界との接点なのです。

さてお話のレベルは急に下がるのですが、いささか時空を離脱した記憶として、私は東京の中央線吉祥寺きちじょうじ駅での経験を忘れることができません。まだ上京して間もない、右も左もわからぬ十八歳の時でした。その日はあいにくの雨で、傘を持ってバスで吉祥寺駅に向いました。そして、私はほんの気晴らしに、高木彬光たかぎあきみつ著の『成吉思汗じんぎすかんの秘密』という小説を読んでいました。ところが、そのストーリーのおもしろさに夢中になり、その後の行動に何の意識もなくなるほどになっていたのです。吉祥寺駅でバスを降り、傘をさして、どのようにして改札口に向かったのか、それすらも覚えていませんでした。ただ、意識ばかりが本の中に没入し、手足は勝手に動いていたのでしょう。

何やら私は、人を視線を感じました。そして気がつくと、みんながジロジロと私を見て行きます。私はたちまち赤面しました。何と、私は駅の構内でも傘をさしたままだったのです。「気のふれたヤツが傘をさしている」ぐらいに思われたのでしょう。その後も、本を読みながら駅を乗り越した経験はありましたが、これほどまでのことは二度とありませんでした。

ものごとに集中して何も見えず、何も聞こえなくなるといった偉人(もちろん、私は偉人ではありませんが)の逸話を聞きますが、十代での忘れ得ぬ経験となりました。こんな経験をしながら、何かを求めて遠くを夢見ていたのかも知れません。「中央線吉祥寺駅」と聞くと、今でもドキッとします。

数学の詩人

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令和2年5月21日

 

昭和の時代に岡潔おかきよしという天才数学者がいました。『春宵十話しゅんしょうじゅうわ』という随筆集も残していますが、天才にありがちが奇行きこうも多く、「希代きたいの仙人」とか「現代のアルキメデス」などとまで呼ばれていました。

京大理学部卒業の後、フランスに留学して理学博士となりましたが、「私の研究に必要なものは俳句である」と言って松尾芭蕉まつおばしょうの研究に没頭ぼっとうする始末でした。数学には美意識こそ大切だという考えがあったからです。そして二十年後、世界中の数学者が誰も解けなかった〈三大難問〉を独力で解き明かすという快挙かいきょを成し遂げました。「もしノーベル数学賞があれば、間違いなく受賞したであろう」とまで言われています。

家族五人の生活は極貧で、財産もすべて売り払い、一時は物置小屋を借りてやっとえをしのぐほどでした。いつもよれよれの背広にノーネクタイ、長靴ながぐつだけをはいて歩いていました。「ネクタイは交感神経をしめつけ、革靴かわぐつは歩くと頭に響くので思考をさまたげげる」と言い張っています。文明の利器とは縁がなく、奥さんが電話を引いてくれるよう頼んでも、「あれは俗物ぞくぶつ代物しろものだ」と言って聞き入れませんでした。それでも奈良女子大教授となってからは、生活もいくらかは楽になりました。そして、数学の研究を始める前の一時間は、いつもお経を唱えていました。

昭和三十五年には文化勲章に輝きましたが、この時ばかりは家族の説得でやっと革靴をはいたという〝伝説〟があります。その受章祝賀の席で天皇陛下より「数学とはどういう学問ですか」と問われると、「数学は生命の燃焼です」と答えました。また新聞記者から「数学で最も大切なものは何ですか」と問われると、「野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心です」と答えました。

数学の研究と美意識がどう結びつくのか、私たちにはわかりにくいかも知れません。しかし論理的に数学を考え、また考えて、その最後にひらめく感覚は、美しいものを見て感動する心に通じるのではないでしょうか。だから、数学は生命の燃焼なのでしょう。私は野の花を(普通の花瓶かびんではなく)よく古い仏具や土器にしますが、花を習ったことは一度もありません。それでも、一輪の花が何を語っているのか、どんな器に入れて欲しいのかはよくわかります。そのことはお大師さまの教えを学ぶうえで、大変に役立ちました。

美しいものを見て感動する心がなければ、最後のひらめきには到達しません。自然を見て感動し、絵画を見たり音楽を聴いて感動する時、偉大な科学的発見が生まれるのはこのためです。仏師が木材の中に仏を見い出して仏像を彫るように、数学のもれた真理も感動する心からり出されるのだろうと思います。昭和の偉大な天才数学者は、まさに「数学の詩人」であったのです。

「恐れ」を知る能力

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令和2年4月14日

 

ベテランドライバーとはどういう人をいうのでしょう。スピードに強い人でしょうか? 割り込みのうまい人でしょうか? 答えはもちろんノーです。

では、どういう人をベテランドライバーというのか、私の考えを申し上げるなら車に対する「恐れ」を知っている人なのです。車というものの機能も便利さも、また楽しさも知ったうえで、同時にそのこわさも知っている人だと思うのです。

たとえば、信号のない狭い道路から大通りへ出る場合など、ベテランほど慎重です。減速して慎重に進み、一時停止をなし、窓を開けて左右を確認します。歩行者はもちろん、自転車やオートバイの通行も見逃みのがしません。事故は一瞬のスキから生じることを知っているからです。トラックであれば荷物の積み方、荷台のシートやロープの結びを何度も確認します。走行中のれはもちろん、風圧による荷物の落下は予想外であることを知っているからです。つまり、ベテランほど運転に対して注意深いのです。それはあらゆる状況において、車に対する「恐れ」を自覚しているからだといえましょう。

このことは車の運転ばかりに限りません。何ごとでも、ベテランといわれる人ほど注意深く、また十分なチェックを怠りません。なぜなら、取りも直さず「恐れ」を知っているからであり、それが実力の証明でもあるからです。

一般に「恐れ」といえば、わけもなく怖くなって、足がすくんでしまうといった場合をいいます。しかし、問題やトラブルを前もって予測していだく「恐れ」があることも知らねばなりません。そして、これこそはその道に通達している能力ともいえるのです。

だから、何か気になることがあり、不安が生じるなら、物ごとは思いとどまるべきなのです。失敗する危険性があるなら、やめておいた方が賢明だということです。もちろん、それでもやらねばならない場合もありましょう。しかし、好ましい結果にはならないことが多いはずです。

うまくいく時は、うまく進むのです。必要な人や物が集まり、情報も多く、段取りがスムーズに運ぶのです。だから、少しでも「恐れ」を感じるなら、それを〝天の声〟と思うことです。「恐れ」を知って慎重になる能力こそは、成功への原動力なのです。

陰膳のすすめ

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令和2年2月11日

 

陰膳かげぜん」という言葉をご存知でしょうか。本人がいなくても、本人がいつも座っている食卓に、本人の食器やはしでいつもどおり食事をえることです。

昔は旅に出た人の安全を祈って、よく行われました。昔の旅は危険な道中が多く、また盗賊とうぞく山賊さんぞくが出没しましたから、このようなことが行われていたのです。これを現在に応用するなら、たとえば年頃の息子さんや娘さんが家出をした場合に用いることができます。お母さんが陰膳かげぜんをすると、不思議に〝里ごころ〟をおこして、帰って来ることが多いのです。専門的なご祈祷法もありますが、私は何度かこの陰膳をすすめて、家出人を呼びもどせた経験があります。

また、家を離れた遠いところでの受験や試合、危険な仕事をする場合にもよいでしょう。家で落ち着かない気持ちで過ごすより、ご自分のためにもなるはずです。ぜひ、試みてください。

人は決して一人で生きているわけではありません。特に家族は精神的なきずなで結ばれています。子供に異変があれば、特に母親は胸騒むなさわぎがするなど、直観的に感じ取るものです。もちろん、その逆もあるのは当然です。

これは、家族は同じ遺伝子で連結しますが、同時に精神的にも連結するからです。子供が母体に宿れば、父親との遺伝子によって、身体と精神を共有するからともいえましょう。

本来、心(精神)には時間や空間のへだたりがありません。昔の人はたとえ遠く離れていても、心の思いが通じることを知っていたのです。

山路天酬密教私塾

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