六地蔵さんの顔が変わった!
令和5年11月24日
あさか大師の六地蔵さんは大変に人気があり、近在の方々がお賽銭を持ってお参りに来ます(写真)。
以前にも書きましたが、この六地蔵さんはあるタクシー会社の社長さんが、交通安全祈願のために購入したものです。ところが、ただ道路脇の汚い場所に置かれていたので、私が「こんなことではお粗末になりますよ」とお話したところ、「では、お寺に移して拝んでください」ということになったのです。
ところが当初は、長い間ご供養もされず、読経もされなかったせいか、六体とも大変にきつい怖い顔でした。そこでお体をよく洗い清め、香花を供え、開眼をして拝むようになってから、その顔がしだいにやさしい笑顔に変わりました。信じられないという方もいらっしゃるでしょうが、これは関係者の誰もが知る事実です。
そこで、大事なお話をいたしましょう。皆様は仏さまだから拝むと思っているでしょうが、実は拝むから〝生きた〟仏さまになるのです。つまり、仏像として彫られただけでは、ただの仏さまの形に過ぎません。それが開眼して魂を入れ、読経して拝むようになると、生きた本当の仏さまになるのです。つまり、仏さまだから拝むのではなく、拝むから仏さまになるということです。もちろん、物質的には同じ石の彫りものですから、違いがあるはずはありません。しかし実際には、はっきりとした違いが生じます。
この六地蔵さんも、こうして立派な仏さまになりました。このやさしい笑顔を拝むと心が安らぎますと、皆様がおっしゃいます。このブログを書いている今も、お隣の老人ホームの方が車イスでお参りしています。「お地蔵さん、元気で長生きできますように」と。
魂を入れるために
令和5年5月21日
数日前、エンゼルスの大谷翔平選手が、自分のバットに〈心臓マッサージ〉をしている姿がテレビ放映されていました。バットの上(太い方)から三分の一ほどの所を自分の片膝に乗せ、両手を心臓マッサージと同様の手つきを何度もくり返していました。もちろん野球のバットは堅い木材ですから、心臓マッサージのようにはいきません。チームメイトも「またやっているのか」といった表情で、笑っていました。
私はその放映のほんのわずかを目にしたに過ぎませんが、「なるほど!」と思ったのです。どうしてかといいますと、大谷選手ほどの〝天才〟でも、スランプはあるのでしょう。以前、まったく打撃がふるわなかった折、悩みぬいた末にバットへの心臓マッサージを思いついたらしいのです。するとどうでしょう、次の試合から連続ホームランが飛び出したのです。スポーツ選手はよくゲンを担ぐといいますが、本当に苦しんだ時には、こんなことも思いつくものです。ゲンの担ぎも大事なのです。
しかし私は、この心臓マッサージは単なるゲンの担ぎとは思えません。なぜなら、仕事上の道具に魂を入れるためには、これくらいの配慮と努力がいるからです。手入れを怠らぬことはもちろんですが、普段とは違った何かを工夫しなければなりません。つまりプラス・アルファの力が必要だということです。
私が若い頃、法螺貝(写真)の練習に励みましたが、なかなかいい音が出ませんでした。特にユリといわれる高音を響かせるまでには悩みました。そこで私が考えたことは、法螺貝を持って滝に打たれることでした。自分の法螺貝に想いを込めるためには、今はこれしかないと思ったからです。もちろん滝の中は岩だらけですから、落下の勢いに押されて落としたりしたら大変です。それでも法螺貝に魂を入れるつもりで、その荒行に挑みました.
結果は上々でした。法螺貝との一体感が深まったのでしょう。自分の吹き込む息と、ピッタリと同化してきたのです。ユリも出せるようになりました。以来、仕事の道具(私の場合は法具)にはこれくらいの配慮と努力がいることを実感しました。皆様の道具は何ですか。魂を入れていますか。そのための配慮と努力をしていますか。「魂を入れるために」ですよ。
〈あさか大師〉開創秘話
令和5年5月19日
「厄除大師」といえば、真言宗では弘法大師、天台宗では元三(慈恵)大師です。ただ、〈大師〉と呼ばれる祖師はたくさんおりますが、単に「大師」といった場合は弘法大師を指しますので、あさか大師では私もご信徒も「お大師さま」と呼んでいます。
ところで、お大師さまが四十二歳の厄年の折に四国を巡礼して八十八ヶ所霊場を開創し、「厄除大師」の信仰が始まったことを知る人は意外に少ないかも知れません。したがって、四国には四十二歳のお大師さまが関与したとされるお寺がいくつか現存しています。愛媛県の遍照院・仙龍寺、香川県の海岸寺・遍照院などに伝承があります。また、高野山奥の院護摩堂には「厄除大師」の額があり、〈弘法大師四十二歳厄除御自作像〉が安置されています。
私があさか大師を開創しようとした時、はじめは尊像をお祀りしたいと考えました。私が考えている尊形はないかと探したり、仏師に相談したりしました。しかし、何か気持ちが定まらぬまま、時間ばかりが過ぎ去りました。そんなある日、一冊の本が就寝中の私の枕元に突然に落ちてきたのです。たぶん、不安定な置き方をしていたのでしょう。それは自分の著書『弘法大師御影の秘密』でした。どうしたのかと思った私は、落ちた著書を本棚に戻そうとした時、天啓のようなひらめきが湧いたのです。
その著書の扉にはお大師さまの御影(お姿の絵)が載っています。しかもそれは仏教美術学者であり、当代随一の仏画師でもある真鍋俊照先生が、私のために謹写してくださったもので、もちろん自分で所持していました。私が本尊とするに、これ以上のお大師さまがあるはずはありません(写真)。それに、ご本尊は仏像に限る必要はありません。高野山御影堂のように、〈御影〉そのものをお厨子に入れればよいではありませんか。私はもはや迷うことなく、この御影をご本尊にすることを決心しました。そして、あさか大師(厄除のお大師さま)はこうして開創されました。
昔も今も、皆様の厄除に対する関心は驚くばかりです。お大師さまですら、ご自分の厄年には四国を巡礼しました。私は毎日お大師さまに向かい、お護摩を修しています。皆様もご自分の厄年を感じましたら、どなたでもぜひお参りにお越しください。毎日11時半から始まります。また5月21日(日)はお大師さまのご縁日であり、〈金運宝珠護摩〉も修されます。金運が高まるお護摩として人気があります。
「同行二人」といいますが、お大師さまはご自身を信仰する方にいつもつき添ってくださいます。お護摩でも巡礼でも、「お大師さまと共に歩んでいる」という気持ちになるからです。ほんとうですよ。
人はなぜ仏像仏画に引かれるのか
令和5年1月18日
弟子僧より、サントリー美術館(東京都港区)で開催されている「京都・智積院の名宝」図録をいただきました(写真)。智積院は東山七条にあり、真言宗智山派の総本山です。代表的な宝物としては長谷川等伯の国宝・障壁画があげられます。今回はその障壁画をはじめ、仏像仏画や墨蹟などが一挙に公開され、衆目を集めました。
ところで、このような仏教美術展が開催されると、大勢の人々が集まります。国立博物館での開催ともなると、場合によっては2時間も並んで入場しなければならないこともあります。多忙な現代人が、なぜ遠くから交通費をかけ、入場費を払い、2時間も並び、高価な図録を買い求めるのでしょうか。奈良や京都の寺院、あるいは高野山などに、世界中の人々が集まるのも同じです。つまり、人はなぜ仏像や仏画に心を引かれるのでしょうか。皆様はこの事実を、どのように考えますでしょうか。
実は、その答えは簡単なことなのです。それは私たちの心の中にも仏さまがいらっしゃるからです。心の中の仏さまが、同じ仲間を求めるからです。「類は友を呼ぶ」というではありませんか。私たちの心の中に、同じ仏さまがいらっしゃらなければ、わざわざ時間とお金をかけて足を運ぶことなど、思いもよらぬことです。
私たちは心の中の仏さまなど、普段は意識することはありません。ところが、何かの機会に仏像や仏画にの縁に接すると、たちまちにその仏さまが顕現し、心を引かれます。だから、仏像や仏画も仏さまなのです。仏さまと仏さまが呼び合ってこそ、人は信仰に目覚めるのだと、私は思います。それだけに、仏像や仏画に接することはとても大切です。
どなたであったか、「芸術は宗教の母なり」といいました。また「信は荘厳から」ともいいます。眼には見えずとも、仏さまは仏像や仏画で〝見る〟ことができるのです。
練習始めの初詣
令和5年1月5日
今日は地元中学校野球部の練習始めで、まず初詣に参集しました(写真)。どなたも礼儀正しく、しっかりと合掌をしてお大師さまに必勝祈願を込めていらっしゃいました。私もすがすがしい気持ちで、一心にお護摩を修しました。
私はかつて、高校野球の名門・智辨学園(大阪・茨木市)野球部の合宿を見学したことがありましたが、信仰を根底にしたその情熱に感動した記憶があります。弁天さま(辨天宗・智辨学園の本尊)への礼拝はもちろんのこと、先祖を敬い、監督の教えを聞き、仲間を信じ、一途に練習をする姿は、「さすが!」というほかはありません。優秀なプロ選手を生み出した原動力を見る思いでした。
何ごとにも根底がなければ、長くは続かず、成し遂げることもなく、また、それを伝えることもできません。人がまとまるには、〝人以上〟の何かが中心にあることが必要なのです。特定の信仰を持たずとも、人は信じるに値する何かを秘めるものです。それが人というものです。
人生には入学式があり、成人式があり、入社式があり、結婚式があります。それぞれの儀式を通じて実感が湧くものです。練習の始めにこのような形で初詣をするのも大きな意義をなすこと、間違いありません。
性悪的性善説
令和2年12月2日
私はかなりのお人好しなので、人のために出来ることは努力を惜しまずに生きて来ました。だから、だまされたり裏切られたりした経験も何度か味わいました。しかし、自分が人をだましたり裏切ったりするよりはいいだろうと、自分なりに納得したのです。それに、このような経験に縁のない人がいるだろうかと考え、それによってもまた納得したのです。
ところが、いつ頃からか人というものは悪いことをするもの、悪いことをせずには生きられないものという考えに傾いたことも事実でした。それは、人はみな〝いい人〟だと信じ込んでいると、自分以外の考えを想定する能力に欠けてしまうことがわかったからです。この二つの矛盾に、私は長く苦しみました。
「すべての人が泥棒だ」と思えば、そのように見えるのです。「すべての人がウソをつく」と思えば、そのように見えるのです。政治家も経営者も、医者も弁護士も、警察官も教員も、主婦も子供も、僧侶でさえそのように見えるのです。本当にそうなのです。ただし、そういう思いを続ける自分に苦しむことは覚悟せねばなりません。
この点を、仏教はどのようにとらえるのでしょうか。浄土真宗はキリスト教と同様、徹底した性悪説に立っています。人はみな業が深く、罪を犯し、そのままにしておくと堕落する。だから、信仰が必要だと考えるのです。
しかし、仏教は総じて自分の罪障に気づいて信仰に目覚めれば、本来の仏になれると説くのです。だから、「衆生本来仏なり」というのです。仏教は〈性悪的性善説〉であると、私は考えています。
人を信じてはなりません。しかし、人を慈しまねばなりません。これが信仰というものです。そうですよね、皆さん。
六地蔵の並べ方
令和2年11月6日
先日、六地蔵のお話をしました。
あさか大師でその六地蔵をお祀りすることとなったわけですが、気になるのはその並べ方です。近辺のお寺や墓地を調べましたが、まったく統一されてはいません。ちょうど法友の一人が、自坊の六地蔵を並べ変えるにあたって、その詳細を調べたそうなのです。その資料も送っていただきました。
しかし、確たる結論には至らなかったらしく、あちこちにありながら、まったく奇妙としか言いようがありません。もちろん、いろいろな経典にそれぞれの名称や持ち物が説かれています。たとえば『覚禅鈔』という経典を開きますと、「大定智悲地蔵・大徳清浄地蔵・大光明地蔵・清浄無垢地蔵・大清浄地蔵・大堅固地蔵」という立派な名前がついています。ところが、その持ち物の記載が、一般に普及している六地蔵のそれには一致しません。たとえば、両手で合掌していたり念珠を持っているお姿がありますが、経典にそのような記載がないのです。
私はさらに探求し、民俗学や歴史学の視点からも調べてみましたが、結果は同じでした。六地蔵のことを論じた書籍がないかを古書店にも問い合わせましたが、ないことが不思議であるかのような返答でした。つまり、あまりにも身近な民間信仰であるためか、真剣に研究した方が少なかったということなのでしょう。
すでにお祀りする場所も定め、年内にも安置したいと思いつつ、法友と同じ疑問に悩む結果となりました。それでも、可能な限りは調べましたので、それにしたがって並べるつもりです。完成しましたら、写真も含めてこの「法話ブログ」に公開いたします。もうしばらくお待ちを。
銭洗い弁天
令和2年5月19日
「銭洗い弁天」という、お金のパワースポットをご存知でしょうか。弁天は「弁天さま」、つまり弁財天のことです。鎌倉の銭洗弁財天宇賀福神社が最も有名ですが、他にもこれに類したの神社やお寺がたくさんあります。
宇賀福神社は文治元年(1185)巳の年の、巳の月、巳の日、巳の刻に源頼朝に、弁財天に使える宇賀神さま(蛇体の神)が、「この地に湧き出す水で神仏を供養せよ。されば天下泰平の世がおとずれる」というお告げがあったことから始まりました。〈巳〉は蛇体で、つまり宇賀神さまを示します。ちょっと出来過ぎた逸話ですが、これが頼朝が建立した宇賀福神社の由来です。その後、北条時頼がこの湧き水で銭を洗い、一族の繁栄を願ったことから「銭洗い弁天」として知られるようになりました。さらにその湧き水で銭を洗うと、その銭が倍になるという信仰が生まれたのです。
私は従兄弟が鎌倉にいるので、訪れたついでに宇賀福神社を参拝したことがあります。まだ若い頃で、何人かの人が熱心にザルでお金を洗っている姿を見ましたが、自分もやってみようとは思いませんでした。「ずいぶん俗な信仰があるものだ」という程度にしか思わなかったからです。
ところが、今になってお金というものの大切さや、お金を大事に扱うべきことを思案し、そのことを力説するようになって以来、銭洗いの意味も納得するようになりました。私たちはよく、お金を「きたないもの」とする誤った先入観があります。お金持ちはみな悪い人だとする一方的な思い込みと、誰が触ったかわからないから衛生上〝きたない〟という観念を兼ね、このような考えが通用しているのです。
お金はそれを扱う人間によって、善にも悪にもなるのです。しかしそのお金をザルに入れ、清らかな湧き水で洗うことはお金を大事に扱う行為として好ましく、ほほえましいことです。また弁財天は本来は〈辯才天〉と表記し、水や農耕の神さま、歌や音楽の神さまなのです。だから清らかな湧き水で銭を洗ってシャラシャラと音を奏でることは、大きな功徳になるのです。弁財天に喜ばれ、それによって自分が好かれれば、銭が倍になるという信仰もまんざらではありません。
こういう信仰が時代を経て続いているということは、確信があるからです。つまり、霊験があるからです。昔からの伝承に対し、謙虚に受け止めるべきものがたくさんあるはずです。あの頃、銭洗いになど何の関心も持たなかった自分を、今はただただ反省しています。
業の洗濯
令和2年2月10日
人はよく、特定の信仰や何らかの道に入って、それから〝修行〟をするといいます。しかし、私はそうは思いません。信仰を持とうが持つまいが、あるいは信仰に反発する人さえも、等しく修行をしていると思うのです。もちろん政治も学問も、科学も芸術も、料理も趣味も、何一つとして修行でないものはありません。
なぜなら、どのような生き方をしようと、人は苦しみを背負うからです。では、その苦しみはどこから来るのでしょうか。仏教では、それを「業(または宿業)」と呼んでいます。業はあるいは前世から、あるいは先祖から遺伝子のように引き継ぐのです。信じようと信じまいと、それは自由です。しかし、何らかのプロセスがなければ、人は平等に生まれるはずです。しかし、健康に差があり、貧富に差があり、能力に差があるのは、生まれる以前に何かがあったからではないでしょうか。
そして、業が苦しみとなって現れる時、それは〝業の洗濯〟をしているのだと私は考えています。洗濯をすれば水は汚れますが、それは同時に清める姿でもあります。つまり、人は苦しみの中で業の洗濯をしつつ、業を清める修行をしていることになります。
問題は、その事実をどのように受け止めているかです。苦しみによってヤケをおこせば、つまり途中で洗濯をやめれば、修行の意味を失います。かえって業を深める結果にもなりかねません。また、その修行を成就するのにどのような形をとるかも、人それぞれです。信仰に求めるも、それを否定するも、他に求めるも自由です。しかし、どのような形をとるにしても、人は自分が背負った業の洗濯をする天命があると私は思っています。
孤独と恐怖の体験
令和元年10月8日
30年ほど前の今頃、私は深夜、たった一人で日光男体山に入峰(信仰上の登山)しました。標高2486メートルの男体山は、日光連山の主峰です。子供の時から西にこの山を望んで育ちましたが、入峰したのは初めてのことでした。
男体山は奈良時代、勝道上人によって開山されましたが、上人は人跡未踏の登頂に16年を要しました。当時は二荒山と呼ばれていましたが、二荒(フタラ)とは補陀洛(フダラク)のことで、つまり観音浄土を意味します。そして、この二荒(ニコウ)を日光(ニッコウ)と改めたのは弘法大師であると、松尾芭蕉が『おくの細道』に記載しています。「青葉若葉の日の光」はここから詠まれた名句です。
ところが、私が入峰したその日の深夜に、日の光などはもちろんありません。しかも、あいにくの雨の日でした。たしか、登山口を出発したのは午後10時頃だったと思います。ポンチョで身を覆い、額にヘッドライトを着けて出発しました。ところが、4時間程度の登頂予定が、大幅に遅れました。なぜなら中腹ほどの所で、雨のためにヘッドライトの電源が切れてしまったからです。かといって引き返すわけにもいかず、月もない暗闇の中を、手探りで登ったからでした。登るほど寒さに震え、風も強まって来ました。
こんな時、訪れる孤独と恐怖は体験しないとわかりません。行き交う人もおりません。私は深い戦慄を覚えながら少しずつ登りました。九合目ほどだったと思います。雨風にさらされつつも、夜空に頂上が丸くぼんやりと見えてきました。その丸い円形から、月面を連想したのでしょう。私はその時、無人の月に独り取り残されたような、そんな幻想におののきました。そして、さらなる孤独と恐怖に襲われました。私は無意識のままに『観音経』を唱えていたのでした。
夜が明けて、私は無事に下山しましたが、まるで夢のような一夜を回想しました。きっと、観音さまに覚悟のほどを試されたのでしょう。観音浄土の山は、きびしい修練の山でもありました。