カテゴリー : 霊

続・陰膳のすすめ

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令和2年2月12日

 

昨日、「陰膳かげぜん」のお話をしました。そして、家族は精神的に連結しているから、陰膳によってこれを応用することができるとお話をしました。

実は、このお話をさらに続けるなら、家族は霊的にも連結しているともいえるのです。つまり、あの世の人とも連結しているという意味です。人はこの世の一生で終るのではなく、その人を思えば、それは〝生きている〟ことになるからです。

たとえば、ご主人か奥様のどちらかが他界されて、お子様が幼いのに片親となった場合、子育てはなかなかむずかしいものです。しかし、その片親が位牌に向かって合掌がっしょうをしていれば、そのお子様が間違った育ち方をすることはありません。その後ろ姿を見て、「お父さん(お母さん)を大事にしているし、お父さん(お母さん)はいつもそばにいる」という思いをいだくからです。そして、その思いは必ずあの世とも連結するからです。何もむずかしいことではありません。

そして、あえて提案しますが、月に一度の命日めいにちには陰膳かげぜんをすることが大切です。ご主人(奥様)が座っていた食卓に、好きだった食事をえることです。お子様ははじめ、お客さんでも来るのかと思うでしょう。しかし、その理由を説明すれば、お子様はますますよい子に育ちます。これは、どんなご祈祷法にもまさる〈秘中の秘〉なのです。

片親でご苦労をされている皆様、どうかこの陰膳のすばらしさを、ぜひ体験してみてください。

インド人のお墓

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令和元年10月4日

 

昨日、親のお葬式ばかりはなさってください、そして、お墓に埋葬してください、とお願いしました。そう言うと、皆様の中には反論をなさる方がいらっしゃるはずです。インド人は火葬した遺骨をガンジス川に流すではないか、お墓なんかないではないか、という反論です。

違うのです。現代のインド人はほとんどがヒンズー教徒ですが、火葬した後は僧侶を呼んでお葬式をします。そして、その後に〈聖なる川〉であるカンジス川に流します。聖なる川であるからこそ、罪を浄めるために流すのです。つまり、インド人にとっては、ガンジス川こそが〝お墓〟なのです。今日の日本で行われている散骨さんこつとは、根本的に違います。思い出の〇〇の海に、裕次郎さんがヨットを浮かべた〇〇の海とは、意味が違うのです。日本人はまず、この違いを知らねばなりません。

次に、もう一つお話をしましょう。そもそも、インドと東北アジア(中国・朝鮮・日本)では、生死観が違うのです。インド人は永い歴史を、きびしいカースト制度の中で生きて来ました。どんなに努力をしても、最下層のスードラ(奴隷どれい)はその身分を変えることができません。そして、きびしい炎天熱砂の中で暮らして来ました。輪廻転生りんねてんしょう(生まれ変わり)を信じていても、二度と生まれ変わらぬ悟りの世界にきたいのです。

ところが、東北アジアの仏教は多分に儒教じゅきょうの影響を受けました。死んだ後にも、〝草場くさばかげ〟から子孫を見守りたいのです。あるいは生まれ変わって、今度こそ好きなあの人とげたい、あるいは成しげられなかったあの仕事を完成させたいのです。だからこそ、お墓があり、また家庭には仏壇があって子孫と共に〝暮らす〟のです。つまり、仏さまの浄土とこの世が同時にあるのです。このことが、わかりますでしょうか。

だから皆様、せめて親の散骨はなさらないでください。もう一度申し上げますが、どんなに簡素でも、親のお葬式ばかりはなさって、お墓に埋葬してください。

怖いお話

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令和元年10月3日

 

ちょっと、こわいお話です。

お寺に住んでいると、まれに奇妙な体験をします。たとえばインターフォンが鳴りながら、画面をのぞいても玄間に出ても人がいないことがあります。はじめは誰かのいたずらか、気のせいかと思いました。しかし、どなたかがそばにいても、同じことを体験します。

それからお護摩を修していて、境内けいだいに人の気配を感じることがあります。参詣の方なら入って来るはずなのに、外でうろうろしているのです。どうしたらいいか、迷っているような様子です。

これらの〝人〟は、まだ自分が死んだことも自覚しない浮遊ふゆうの霊なのです。特に、遺族からお葬式すらしてもらわなかった人です。ただ、お護摩を修する時は〈結界けっかい〉という作法をするので、中に入ることができません。

いま、この国ではお葬式をしない遺族が増えています。「直葬じきそう」と呼ばれていますが、火葬ばかりで僧侶も呼ばず、ただ遺骨だけを受け取って帰って行くのです。では、その遺骨をどうするのかというと、お墓ばかりは建てる方もいますが、戒名もつけません。あるいは、散骨さんこつ樹木葬じゅもくそう・宇宙葬といった方式をとるか、とりあえず家に置いて、どうするか迷っているのです。遺族が迷っているのですから、死者が迷うのも当然です。極端な例では、新幹線の車内に故意に置いていく人すらいます。

親の臨終に立ち会えないことを一生の恥としたほどの日本人が、いったいどうなってしまったのでしょう。葬式もしない、墓もいらないとすることが文化的であるかのごとくに思っているのでしょうか。

私たちの一生にはいくつかの節目があります。学校に入るには入学式、成人になるには成人式、就職をするには入社式があります。そして何より、夫婦になるには結婚式があります。牧師さんが新郎新婦の手をとって、「二人が夫婦であることを宣言します!」というから、夫婦としての実感が湧くのです。お葬式をしてもらわなかった死者がどんな思いでいるかは、誰にでもわかることです。

結婚式には綿密な計画を立て、多大な費用をかけるのに、どうして親のお葬式もしないのでしょうか。費用のことなら、いくらでも方法があります。皆様、どんなに簡素でも、親のお葬式ばかりはなさってください。そして、どんなに簡素でも、お墓に埋葬してください。お寺の境内をうろうろするような死者にはさせないでください。

仏壇の水になぜ泡が立つのか

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令和元年8月6日

 

お盆が近いので、また霊的なお話をします。

皆様は仏壇にお供えしたコップの水に、泡が立った経験がありましょう。これを良い意味に解釈する人もおりますが、たいては悪い意味に受け取る人が多いはずです。私はこのことが大変に気になっておりました。はじめはコップの器内にヌメリがついて、それで泡が立つのではないかと考えました。しかし、コップを洗わずに使用しても泡を見ることがなく、この考えは違っていたようです。

この現象に対して、私は科学的な見解と信仰上の見解と、その両面から考えています。

科学的な見解を申し上げますと、水道の蛇口に至るまでの水圧と温度によって泡が立つようです。遠い所や高い所まで運ばれた水道水は高い圧力を必要とするため、空気の分子がたくさん水中に溶け込みます。また、水中の温度が低いほど多くこれに比例します。これをコップに移した場合、圧力が低く室温が高いために、再び気体となって器内に現れます。これが泡の正体です。

しかし、こうした科学的な見解だけでは、どこかに物足りなさを感じることは否めません。物理現象として理解はしても、「なぜそうなるのか?」という問いに対する答えにはならないからです。たとえば、「生命はなぜ生まれるのか」という疑問に対して、どのような科学的な見解も何ひとつ答えにはならないのと同じです。

私は科学的な必然性をふまえて、その偶然性に意味を見い出すべきではないかと考えています。水道の蛇口に至るまでの必然性をどのように説明しようと、その場所とその時間に汲まれたその水の偶然性を否定することはできません。仏壇のコップに泡が立った時は、〝何かのお知らせ〟ほどの解釈をしてもよいいのではないでしょうか。命日を忘れているかも知れませんし、お墓の草が伸びているかもしれません。よく考えてみることです。

霊的な妄信に走って、非常識にはなりませぬよう。常識に生きて、少しだけ〝超常識〟をわきまえましょう。

霊は存在します

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令和元年7月14日

 

本日、尼僧になりたいという方がお越しになりました。

「どうして私のところを選びましたか」と聞きましたところ、「仏教の心得にも、また霊的な心得にも通じていらっしゃるとお聞きしました」との返答でした。普通の生活をしたくても、霊的な悩みをかかえている人が、実は意外に多いのです。葬儀に列席すれば息苦しさに襲われ、交通事故の現場を通れば悪寒に襲われ、命日が来れば頭痛に襲われるといった悩みは、常人には理解しがたいものです。

ところが、これをお寺さんにでも相談すれば、「そんなものは気のせいですよ」の一言でかたずけられるのがオチなのです。本来、霊に関わるべきお寺さんが、霊に対してまったく無関心であるという事実は、遺憾としか申し上げようがありません。また僧侶の中には、「霊などというものはありません」とまで言い放つお方もいらっしゃいます。にもかかわらず、霊園(!)を経営し、葬儀や法事の折には「〇〇〇〇之霊」と読み上げる矛盾を、どのように説明するのでしょうか。

霊は私たちと共に、いつもここにいるのです。つまり、この世とあの世は同時にあるのです。決して特別なことではありません。ただ、テレビの電波のように眼には見えず、耳にも聞こえません。でも「電波は存在しますか」と問えば、誰でも肯定するはずです。そして、テレビとの周波数が合えば、映像となって現れます。

霊に対しても、これと同じなのだと誰もが納得する日が来ることを、私は望んでいます。皆様の身辺にも霊的な悩みをかかえている方がおりましたら、どうかこのことを理解してあげてください。そして私も、お役に立つことを果たしていきたいと考えています。

山路天酬密教私塾

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