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3月の伝道法語

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令和6年3月8日

 

3月の伝道法語です(写真)

ものの本質を語る言葉として、「香り」があります。例えば美術品を鑑定してニセモノと思った場合、「本物の香りがしない」などと言うではありませんか。

このことは人に対しても同じです。「高貴な香りが漂う」と思う人もいれば、「うさんくさい」と思う人もいます。それほどに、本質は香りとなって現れるのです。ちょっと怖いお話ですね。

花もまた誰の目に触れずとも、誰に誇ることもなく、心地よい香りを漂わせます。それは花が自然にしたがい、本分を守り、邪心がないからです。

人の徳もまた、香りとなって現れます。自分の本分を守り、邪心なく、親切で誠実な人は、徳となってその香りが漂います。香りほど本質を表すものはありません。

人生を変える先祖供養

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令和6年3月3日

 

昨日と本日、月初めの総回向(先祖供養)を挙行しました。僧侶の方々と共に、参拝の皆様もいっしょに読経し、光明真言の霊呪が堂内に遍満しました(下写真)。

いつもお話をしていますが、この先祖供養は戸籍の姓(多くは父方)ばかりではなく、父母の両家を同時に供養するところに特徴があります。つまり、ご自分のルーツをたどって人生を変えることを目的にしているのです。

また、お大師さまと直接に感応して、これを持続させる比類のない様式にも魅力があります(下写真)。さらに、お参りのできない遠方の方でも、気軽に参加が可能です。全国から参加される方が増えています。一ケ月2000円ですので、一日わずかな費用です。

ご希望の方は、あさか大師ホームページの「お問い合わせ」からご連絡ください。新しいご自分に出会えますことを念じてやみません。

3月の強運ランキング

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令和6年3月2日

 

3月5日~4月3日までが暦法での3月です。丁卯ひのとう四緑中宮しろくちゅうぐうの月で、西北が五黄殺ごおうさつ、東南が暗剣殺あんけんさつ、西が月破げっぱの凶方となります(写真)。

5日が〈啓蟄けいちつ〉という節になりますが、土の中で巣ごもりしていた虫が、春のきざしによって動き出す様相を表しています。つまり、正式な3月が5日から始まるのです。〈丁〉は環境の変化を、〈卯〉は門を開く意味です。また〈四緑木星〉は、自然界では風の象意で、環境変化の中で門が開かれ、風が吹く月であるといえましょう。あわただしい動きの中で、何やら波乱な警告が感じられます。

3月の強運ランキングは一位が五黄土星、二位が二黒土星、三位が三碧木星です。

五黄の人は努力の成果が報われやすい月です。実力が認められる好機といえましょう。特に目上や上司への配慮がポイントになります。ついでながら、「五黄の人はいつも五黄殺なのか」という質問をよく受けますが、何ら心配はいりません。ただ、五黄殺の方位には注意しましょうという意味です。

二黒の人は新しいスタート台に立って、前進する月となります。持ち前の地味な性格を存分に発揮し、ねばり強く進みましょう。人を立てれば、自分も立つと心得ることです。

三碧の人も運気好調です。行動力を生かして大いに飛躍しましょう。ただ暗剣殺が付きます。何ごとも慎重に進まねばなりません。短気は特に慎むことです。

そのほかの人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。簡単な心得が書かれています。

眼が明らかなれば

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令和5年12月18日

 

〈金運宝珠護摩〉は人気があり、昨日もご参詣の皆様で本堂がいっぱいになりました(写真)

金運といいましても、その現われ方はさまざまです。一般には金運に対するヒント、つまり情報で知らされます。それは友人との会話で知らされる場合もありますし、テレビや書籍を通じて知らされる場合もあります。しかし、現れていながら、気づかない場合もあります。だから、ご自分の身辺に注意して、しっかりとアンテナを張ることが大切です。

お大師さまは「まなこが明らかなれば、いたるところに宝がある」とおっしゃっています。その情報は、意外に近いところにあるかも知れません。私も活路は足元にあると心がけ、住職としての勤めに精進しています。

続・祈願を込める護摩木

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令和5年6月16日

 

護摩木ごまぎ〉について、さらにお話をいたしましょう。それは、護摩木はできるだけ具体的に書いてほしいということです。つまり、護摩札には〈厄除〉や〈家内安全〉などと願目を入れますが、護摩木の場合はさらに詳しく、細かくかいたほうがよいという意味なのです。

たとえば病気平癒の祈願なら、「〇〇病平癒」「〇〇手術成功」「〇〇病薬力相応」などとなりますし、受験合格なら「〇〇大学受験合格」「〇〇受験学力向上」と、商売繁昌なら「(株)〇〇資金順調」「〇〇契約成就」などとする方がよいのです。私は50年近く祈願に関わって来ましたが、これは経験上からはっきりと断言できることです。

また護摩木のお申し込みも、できれば本人自身かご家族の方がよいことはいうまでもありません。あさか大師では護摩木の依頼が郵便やFAXで全国から送られて来ますが、このこともよくお話をしています。なぜなら、お申し込みをする時の〝想い〟が大切だからです。護摩木に伝わる想いが本人の分身、すなわち媒体ばいたいとなるからです。これはきわめて大切なことです。

私は祈願を依頼されても本人が来られない場合は、「写真をご持参ください」とお願いしています。これは写真を通じて本人との接触を深め、媒体とするためです。写真を霊符れいふ(お札)に封じると、本人との距離がちぢまり、祈願が通りやすくなることは申すまでもありません。護摩木もまた、同じことなのです。

護摩木について関心がありましたら、ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。さらに詳しくお聞きになりたい方には、こちらからお電話いたします。

感動とひらめきと

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令和5年3月31日

 

何が道理であるか、また何が正しい選択であるかを考えることは大切なことです。しかし、私たちは時に、間違った判断をすることがあります。それは正確に自分が見えていなかったからかも知れませんし、考える力が足らなかったからかも知れません。

しかし、ここにもう一つの確かな手立てがあることも事実です。それは美しいものに心を寄せ、感動することです。美しい芸術や音楽にふれ、生きている喜びを知ることです。それによって、頭脳の思考では到達し得ない瞑想世界が顕現けんげんするからです。このことは、人生を豊かにする大きな意義を持つに違いありません。

かつて、昭和期に活躍した岡潔おかきよしという天才的な数学者がいました。誰も解けなっか数学の三大難問を、独りで解き明かしたという業績があります。奇行きこうの多い人でしたが、文化勲章を受章した折、記者から「数学で最も大切なことは何ですか」と問われました。その時、「野のスミレに感動する心です」と答えたそうです。思考の極意は、感動とひらめきだという意味なのでしょう。私はこのエピソードが忘れられず、感動する心がなければ、〈真〉からも〈善〉からも遠のくのではないかと考えるようになりました。そして、スミレの〈美〉をすら知らない自分を、大いに恥じたものでした。

野の花こそは最も身近で美しい、自然界の芸術であるかも知れません。以来、私は野の花の名前を覚え、感性の向くまま古器に挿し、エッセイを添えた書籍まで刊行するまでになりました(写真は『邑庵花暦』『花は野の花』創樹社美術出版)。

また、あさか大師ではこのほど、ささやかな花壇を造成し、桜とともに野の花が楽しめるよう工夫しました(写真)。特に現代では、花屋さんからすでに姿を消した日本の野趣にふれていただきたいと考えています。

これから春の花がたくさん開きます。お大師さまのお護摩で祈願を込め、野の花にふれて自然界の芸術にふれていただくことを念じてやみません。感動とひらめきとが、皆様にも訪れますように。

この世はあの世のうつしです

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令和5年3月23日

 

あさか大師では一昨日の午前11時半より、お大師さまの正御影供しょうみえく法要を修しました(下写真)。正御影供とはお大師さまご入定にゅうじょうに当たる3月21日の法要で、この日はそのお姿(御影みえ)を供養する、年間で最も大切な日です。ご入定とは入滅にゅうめつ(死亡)したのではなく、この世に身を留めつつ、あの世に旅立ったことを意味します。

また、午後1時からは春彼岸法要を修し、あの世の精霊に回向を捧げました(下写真)。私が先祖供養に力を注ぐ理由は、この世とあの世は一体だからです。この世を「現世げんせ(うつし世)」といいますが、それはあの世の〝うつし〟であるからです。あの世があって、うつし出されたものがこの世です。あの世がフィルムで、この世が映像です。

つまり、この世に苦しみがあるのは、あの世に苦しみがあるからです。この世とあの世は同時に、ここにあるからです。そのためにも、先祖供養の大切さを忘れてはなりません。

また、この日は光明真言こうみょうしんごんで一年間加持かじをした「お土砂どしゃ」が授けられました(下写真)。お墓や家の玄関にまくと、如意宝珠にょいほうしゅの不思議な霊験があります。また事故現場などにまいても、夢知らせを受けます。私は事故のあった場所のおはらいを依頼された場合、このお土砂を持参して供養をなし、その後にお清めをしています。多くの皆様に、お土砂の霊験に浴していただきたいと、念じてやみません。

健康法に振り回されていませんか

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令和5年3月10日

 

20年ほど前、新谷弘実しんやひろみ著の『病気にならない生き方』(写真右)という本がベストセラーになりました。ところがその後、辨野義己べんのよしみ著『病気にならない生き方で、なる病気』(写真左)という本が刊行され、話題を呼びました(笑)。

双方を読んでみると、最も大きな論点の違いは牛乳でした。前著は牛乳は子牛の飲み物であるから、乳製品は絶対にいけないと主張し、後著は牛乳やヨーグルトをとらずして、どうやって健康になれるのかと主張しています。私は当時、牛乳やヨーグルトが合う人もいれば、合わない人がいるのは当然なのに、どうしてこんな大騒ぎをするのかと苦笑したものでした。考えてみれば、ただそれだけのことではありませんか。

ところが、こうした反対意見は枚挙にいとまがありません。いま、私の脳裏に思いつくままを列記してみましょう。

まず、皆様が関心のある糖質制限です。本来は糖尿病患者の食事として提案された糖質制限ですが、これがダイエット法として火をつけました。江部康二えべこうじ著の一連の書籍がかなり売れていたと思います。ところが、これに真っ向から反対した方もいました。幕内まくうち秀夫著の『世にも恐ろしい糖質制限食ダイエット』や石原結實いしはらゆうみ著の『「糖質制限」は危険!』などがその代表です。私は糖質制限については糖尿病の方には勧めた経験がありますが、ダイエット法としては疑問がありました。実際に自分で試しても、確かに脂肪は落ちましたが、体力までも落ちたからです。少なくとも日本人がご飯を抜くような食事には、同意できませんでした。

次に朝食をしっかり食べるべきか否かの論争があります。朝食をしっかりとらずして、どうして仕事ができるのかといえば、いや、無理に食べる必要はないともいいます。私の父などは、朝早くから田畑の仕事をしていましたから、朝食をぬく生活などあり得ませんでした。昔の人はそんな生活だったのです。ところが現代人は遅くまで働き、夜遅くに夕食を取りますから、朝から空腹という人は少ないはずです。朝食はその是非ぜひを問うのではなく、生活パターンによって異なるのではないでしょうか。それを一律に論じるのは、おかしいと思うのです。

そのほか、玄米菜食が一番といえば、野菜中心をやめなさいといいます。水を毎日2リットルは飲みなさいといえば、それでは水毒をおこすといいます。赤ワインが最高だといえば、いや日本酒や焼酎だといいます。朝のジョギングをしましょうといえば、それでは心臓に負担がかかるといいます。そしてついに、年に一度は健康診断を受けましょうといえば、『人間ドックの9割は間違い』『大往生したけりゃ医療とかかわるな』といった著書まで刊行される始末です。こうなっては、もはや健康法そのものが病気です。

どんな健康法にも、必ず反対意見があるのです。自分の健康法は、自分で見出す以外にありません。そんなことは当たり前なのに、みんなが健康法に振り回されています。大酒を飲んでもタバコを吸っても、長生きをする人はいるのです。仕事の鬼のような人が急死するかと思えば、青白い顔で医者通をしている人が意外に長生きをしていることもあります。

どんな健康法を実行しても、人はいずれ病気になるのです。何十年も生きれば内臓は疲れ、ひざの軟骨も消耗します。それが天命です。天命とはただ待つのではなく、自分の健康法を見い出し、限りある自分の体に納得することです。振り回されてはなりません。しかし、天命を待つ前に、まずは人事を尽くしましょう。

続・健康は呼吸で決まる

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令和5年2月18日

 

私は毎日の読経による〈声出し健康法〉や法螺貝のほか、呼吸による健康法をもう一つ実践しています。

それは加藤治秀はるひで医師(故人)の発案による〈水平足踏あしふみ〉です。その著書『万病に効く・水平足踏み』(マキノ出版)はすでに絶版ですが、まだアマゾン等の中古品で求められます(写真)。著書の序文にもありますが、実は瀬戸内寂聴さんもこれを実践していました。彼女の精力的な活動の影には、こうした努力があったことは間違いありません。

世の中にいかほどの健康法があろうとも、腸腰筋ちょうようきんきたえ、呼吸法によって血流を活性化する運動として、私はこれほどにすぐれた方法はないとさえ思っています。ジョギングやウォーキングは雨天には向きません。スポーツクラブに通うには、時間もお金もかかります。健康器具を買えば場所を取ります。雨天に関係なく、時間もお金もかからず、場所も取らず、これほど便利な手立てはあり得ません。

スクワットもよいのですが、腰痛の方が無理をするには問題があります。その点、水平足踏みは骨盤のゆがみを正して、腰痛の回復までも早めてくれます。期待できる症状として、心臓病・高血圧・糖尿病・高脂血症・狭心症・喘息・胃炎・便秘・肩こり・頭痛・ひざ痛・神経痛・下痢・うつ病・認知症など、それこそ枚挙にいとまがありません。

水平足踏みとは、足踏みをしながら太ももをを床から水平になるまで上げるものですが、加藤医師はこれに呼吸法を加えました。口をすぼめて「ハク・ハク・ハク・ハク・ハク・ハク」と六回吐き、「スウ・スウ」と鼻から二回吸う八拍子リズムをくり返すのです。もちろん、腕もしっかり振りましょう。水平足踏みは腸腰筋も鍛えますが、この呼吸法に万病を癒す秘密があるのです。加藤医師は90歳に至っても、これを毎朝3分間、300回を自ら実践していました。私も同様に毎朝、お供えするお茶を沸かす間に実践しています。それこそ、アッという間です。3分間ですよ。

始めは10回からでも、イスにつかまりながらでもよいのです。注意することは、太ももが床から水平になるまで上げること、これだけです。始めはちょっとキツイかも知れませんが、決心さえすれば、誰でもできます。皆様もぜひ、試してみてください。まず、駅の階段が楽に登れます。息も切れません。歩くスピードも速くなります。この速さが、歩行力の目安となります。出勤をする方は、駅までに何人を追い越せるかを、朝の秘かな楽しみにしましょう。

納めの金運宝珠護摩

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令和4年12月18日

 

本日は第三日曜日で、おさめの金運宝珠護摩を修しました(写真)。年末のあわただしい中ではありましたが、皆様の熱意に後押しされて、私もまた熱意を込めました。以心伝心とはこのことでしょう。

お参りをされた方の感想ですが、金運宝珠護摩に参詣してから、「確かに融通が利くようになりました」という意見があります。また、「お金を追いかけなくとも、何とかなっていくような気がします」という意見もあります。いつもお話をしていることですが、お金は互いに利益を共有しないかぎり、融通しません。つまり、動きません。融通とは溶け合うことです。一方だけが得をして、一方が損をするようでは、溶け合わないからです。よく、人に損をさせる分だけ、自分はもうかると考えている人がいますが、とんでもない間違いです。一時的な利益はあっても、いずれは必ず墓穴を掘ります。

そして、お金はこれを追いかけている人には入って来ません。お金はうしろからついて来るもの、つまり人に利益を与えれば、自分にも利益としてのお金が後ろからついて来るということです。これこそが〝ご利益りやく〟ではないでしょうか。だから、先に与えなければ与えられません。「与えよ、さらば与えられん」は古今の名言です。

あさか大師も四年目が過ぎ去ろうとしています。私には経営手腕などあるはずもありませんが、皆様のお役に立つことだけを念頭に、毎日のお護摩やご回向を修しています。来年の五周年記念として境内拡張事業を発願しましたが、ほぼ予定どおりに駐車場が〝与えられ〟ました(写真)。私が追いかけたわけではありません。毎日の結果が、このように運ばれただけなのです。「お大師さまのご利益です」と、お話をしています。

山路天酬密教私塾

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