続・祈願を込める護摩木
令和5年6月16日
〈護摩木〉について、さらにお話をいたしましょう。それは、護摩木はできるだけ具体的に書いてほしいということです。つまり、護摩札には〈厄除〉や〈家内安全〉などと願目を入れますが、護摩木の場合はさらに詳しく、細かくかいたほうがよいという意味なのです。
たとえば病気平癒の祈願なら、「〇〇病平癒」「〇〇手術成功」「〇〇病薬力相応」などとなりますし、受験合格なら「〇〇大学受験合格」「〇〇受験学力向上」と、商売繁昌なら「(株)〇〇資金順調」「〇〇契約成就」などとする方がよいのです。私は50年近く祈願に関わって来ましたが、これは経験上からはっきりと断言できることです。
また護摩木のお申し込みも、できれば本人自身かご家族の方がよいことはいうまでもありません。あさか大師では護摩木の依頼が郵便やFAXで全国から送られて来ますが、このこともよくお話をしています。なぜなら、お申し込みをする時の〝想い〟が大切だからです。護摩木に伝わる想いが本人の分身、すなわち媒体となるからです。これはきわめて大切なことです。
私は祈願を依頼されても本人が来られない場合は、「写真をご持参ください」とお願いしています。これは写真を通じて本人との接触を深め、媒体とするためです。写真を霊符(お札)に封じると、本人との距離が縮まり、祈願が通りやすくなることは申すまでもありません。護摩木もまた、同じことなのです。
護摩木について関心がありましたら、ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。さらに詳しくお聞きになりたい方には、こちらからお電話いたします。
感動とひらめきと
令和5年3月31日
何が道理であるか、また何が正しい選択であるかを考えることは大切なことです。しかし、私たちは時に、間違った判断をすることがあります。それは正確に自分が見えていなかったからかも知れませんし、考える力が足らなかったからかも知れません。
しかし、ここにもう一つの確かな手立てがあることも事実です。それは美しいものに心を寄せ、感動することです。美しい芸術や音楽にふれ、生きている喜びを知ることです。それによって、頭脳の思考では到達し得ない瞑想世界が顕現するからです。このことは、人生を豊かにする大きな意義を持つに違いありません。
かつて、昭和期に活躍した岡潔という天才的な数学者がいました。誰も解けなっか数学の三大難問を、独りで解き明かしたという業績があります。奇行の多い人でしたが、文化勲章を受章した折、記者から「数学で最も大切なことは何ですか」と問われました。その時、「野のスミレに感動する心です」と答えたそうです。思考の極意は、感動とひらめきだという意味なのでしょう。私はこのエピソードが忘れられず、感動する心がなければ、〈真〉からも〈善〉からも遠のくのではないかと考えるようになりました。そして、スミレの〈美〉をすら知らない自分を、大いに恥じたものでした。
野の花こそは最も身近で美しい、自然界の芸術であるかも知れません。以来、私は野の花の名前を覚え、感性の向くまま古器に挿し、エッセイを添えた書籍まで刊行するまでになりました(写真は『邑庵花暦』『花は野の花』創樹社美術出版)。
また、あさか大師ではこのほど、ささやかな花壇を造成し、桜とともに野の花が楽しめるよう工夫しました(写真)。特に現代では、花屋さんからすでに姿を消した日本の野趣にふれていただきたいと考えています。
これから春の花がたくさん開きます。お大師さまのお護摩で祈願を込め、野の花にふれて自然界の芸術にふれていただくことを念じてやみません。感動とひらめきとが、皆様にも訪れますように。
この世はあの世のうつしです
令和5年3月23日
あさか大師では一昨日の午前11時半より、お大師さまの正御影供法要を修しました(下写真)。正御影供とはお大師さまご入定に当たる3月21日の法要で、この日はそのお姿(御影)を供養する、年間で最も大切な日です。ご入定とは入滅(死亡)したのではなく、この世に身を留めつつ、あの世に旅立ったことを意味します。
また、午後1時からは春彼岸法要を修し、あの世の精霊に回向を捧げました(下写真)。私が先祖供養に力を注ぐ理由は、この世とあの世は一体だからです。この世を「現世(うつし世)」といいますが、それはあの世の〝うつし〟であるからです。あの世があって、うつし出されたものがこの世です。あの世がフィルムで、この世が映像です。
つまり、この世に苦しみがあるのは、あの世に苦しみがあるからです。この世とあの世は同時に、ここにあるからです。そのためにも、先祖供養の大切さを忘れてはなりません。
また、この日は光明真言で一年間加持をした「お土砂」が授けられました(下写真)。お墓や家の玄関にまくと、如意宝珠の不思議な霊験があります。また事故現場などにまいても、夢知らせを受けます。私は事故のあった場所のお祓いを依頼された場合、このお土砂を持参して供養をなし、その後にお清めをしています。多くの皆様に、お土砂の霊験に浴していただきたいと、念じてやみません。
健康法に振り回されていませんか
令和5年3月10日
20年ほど前、新谷弘実著の『病気にならない生き方』(写真右)という本がベストセラーになりました。ところがその後、辨野義己著『病気にならない生き方で、なる病気』(写真左)という本が刊行され、話題を呼びました(笑)。
双方を読んでみると、最も大きな論点の違いは牛乳でした。前著は牛乳は子牛の飲み物であるから、乳製品は絶対にいけないと主張し、後著は牛乳やヨーグルトをとらずして、どうやって健康になれるのかと主張しています。私は当時、牛乳やヨーグルトが合う人もいれば、合わない人がいるのは当然なのに、どうしてこんな大騒ぎをするのかと苦笑したものでした。考えてみれば、ただそれだけのことではありませんか。
ところが、こうした反対意見は枚挙にいとまがありません。いま、私の脳裏に思いつくままを列記してみましょう。
まず、皆様が関心のある糖質制限です。本来は糖尿病患者の食事として提案された糖質制限ですが、これがダイエット法として火をつけました。江部康二著の一連の書籍がかなり売れていたと思います。ところが、これに真っ向から反対した方もいました。幕内秀夫著の『世にも恐ろしい糖質制限食ダイエット』や石原結實著の『「糖質制限」は危険!』などがその代表です。私は糖質制限については糖尿病の方には勧めた経験がありますが、ダイエット法としては疑問がありました。実際に自分で試しても、確かに脂肪は落ちましたが、体力までも落ちたからです。少なくとも日本人がご飯を抜くような食事には、同意できませんでした。
次に朝食をしっかり食べるべきか否かの論争があります。朝食をしっかりとらずして、どうして仕事ができるのかといえば、いや、無理に食べる必要はないともいいます。私の父などは、朝早くから田畑の仕事をしていましたから、朝食をぬく生活などあり得ませんでした。昔の人はそんな生活だったのです。ところが現代人は遅くまで働き、夜遅くに夕食を取りますから、朝から空腹という人は少ないはずです。朝食はその是非を問うのではなく、生活パターンによって異なるのではないでしょうか。それを一律に論じるのは、おかしいと思うのです。
そのほか、玄米菜食が一番といえば、野菜中心をやめなさいといいます。水を毎日2リットルは飲みなさいといえば、それでは水毒をおこすといいます。赤ワインが最高だといえば、いや日本酒や焼酎だといいます。朝のジョギングをしましょうといえば、それでは心臓に負担がかかるといいます。そしてついに、年に一度は健康診断を受けましょうといえば、『人間ドックの9割は間違い』『大往生したけりゃ医療とかかわるな』といった著書まで刊行される始末です。こうなっては、もはや健康法そのものが病気です。
どんな健康法にも、必ず反対意見があるのです。自分の健康法は、自分で見出す以外にありません。そんなことは当たり前なのに、みんなが健康法に振り回されています。大酒を飲んでもタバコを吸っても、長生きをする人はいるのです。仕事の鬼のような人が急死するかと思えば、青白い顔で医者通をしている人が意外に長生きをしていることもあります。
どんな健康法を実行しても、人はいずれ病気になるのです。何十年も生きれば内臓は疲れ、膝の軟骨も消耗します。それが天命です。天命とはただ待つのではなく、自分の健康法を見い出し、限りある自分の体に納得することです。振り回されてはなりません。しかし、天命を待つ前に、まずは人事を尽くしましょう。
続・健康は呼吸で決まる
令和5年2月18日
私は毎日の読経による〈声出し健康法〉や法螺貝のほか、呼吸による健康法をもう一つ実践しています。
それは加藤治秀医師(故人)の発案による〈水平足踏み〉です。その著書『万病に効く・水平足踏み』(マキノ出版)はすでに絶版ですが、まだアマゾン等の中古品で求められます(写真)。著書の序文にもありますが、実は瀬戸内寂聴さんもこれを実践していました。彼女の精力的な活動の影には、こうした努力があったことは間違いありません。
世の中にいかほどの健康法があろうとも、腸腰筋を鍛え、呼吸法によって血流を活性化する運動として、私はこれほどにすぐれた方法はないとさえ思っています。ジョギングやウォーキングは雨天には向きません。スポーツクラブに通うには、時間もお金もかかります。健康器具を買えば場所を取ります。雨天に関係なく、時間もお金もかからず、場所も取らず、これほど便利な手立てはあり得ません。
スクワットもよいのですが、腰痛の方が無理をするには問題があります。その点、水平足踏みは骨盤のゆがみを正して、腰痛の回復までも早めてくれます。期待できる症状として、心臓病・高血圧・糖尿病・高脂血症・狭心症・喘息・胃炎・便秘・肩こり・頭痛・ひざ痛・神経痛・下痢・うつ病・認知症など、それこそ枚挙にいとまがありません。
水平足踏みとは、足踏みをしながら太ももをを床から水平になるまで上げるものですが、加藤医師はこれに呼吸法を加えました。口をすぼめて「ハク・ハク・ハク・ハク・ハク・ハク」と六回吐き、「スウ・スウ」と鼻から二回吸う八拍子リズムをくり返すのです。もちろん、腕もしっかり振りましょう。水平足踏みは腸腰筋も鍛えますが、この呼吸法に万病を癒す秘密があるのです。加藤医師は90歳に至っても、これを毎朝3分間、300回を自ら実践していました。私も同様に毎朝、お供えするお茶を沸かす間に実践しています。それこそ、アッという間です。3分間ですよ。
始めは10回からでも、イスにつかまりながらでもよいのです。注意することは、太ももが床から水平になるまで上げること、これだけです。始めはちょっとキツイかも知れませんが、決心さえすれば、誰でもできます。皆様もぜひ、試してみてください。まず、駅の階段が楽に登れます。息も切れません。歩くスピードも速くなります。この速さが、歩行力の目安となります。出勤をする方は、駅までに何人を追い越せるかを、朝の秘かな楽しみにしましょう。
納めの金運宝珠護摩
令和4年12月18日
本日は第三日曜日で、納めの金運宝珠護摩を修しました(写真)。年末のあわただしい中ではありましたが、皆様の熱意に後押しされて、私もまた熱意を込めました。以心伝心とはこのことでしょう。
お参りをされた方の感想ですが、金運宝珠護摩に参詣してから、「確かに融通が利くようになりました」という意見があります。また、「お金を追いかけなくとも、何とかなっていくような気がします」という意見もあります。いつもお話をしていることですが、お金は互いに利益を共有しないかぎり、融通しません。つまり、動きません。融通とは溶け合うことです。一方だけが得をして、一方が損をするようでは、溶け合わないからです。よく、人に損をさせる分だけ、自分は儲かると考えている人がいますが、とんでもない間違いです。一時的な利益はあっても、いずれは必ず墓穴を掘ります。
そして、お金はこれを追いかけている人には入って来ません。お金は後ろからついて来るもの、つまり人に利益を与えれば、自分にも利益としてのお金が後ろからついて来るということです。これこそが〝ご利益〟ではないでしょうか。だから、先に与えなければ与えられません。「与えよ、さらば与えられん」は古今の名言です。
あさか大師も四年目が過ぎ去ろうとしています。私には経営手腕などあるはずもありませんが、皆様のお役に立つことだけを念頭に、毎日のお護摩やご回向を修しています。来年の五周年記念として境内拡張事業を発願しましたが、ほぼ予定どおりに駐車場が〝与えられ〟ました(写真)。私が追いかけたわけではありません。毎日の結果が、このように運ばれただけなのです。「お大師さまのご利益です」と、お話をしています。
星祭りの開白
令和4年2月8日
2月5日・6日と月始めの総回向を挙行し、法要の後に「星祭り」について説明をしました(写真)。
よく、「厄除祈願」と「星祭り」はどう違うのかという質問を受けます。簡単にお話をすれば、厄除祈願は厄年の方だけが対象ですが、星祭りはどなたでもなさった方がいいということになります。つまり、星祭りは〈善星皆来・悪星退散を念じ、吉運の方も凶運の方も、共にご祈願をするのです。
そして、6日の法要の後、星祭りの荘厳(かざりつけ)をしました(写真)。
星祭りの神さまは「神仙」といいまして、ナツメ・茶・交飯といった特殊なお供えをします。ナツメは漢方でも仙薬といわれ、いろいろな処方に用いられます。私はいつも手元に置いて、毎日三粒ほどを口にしています。花粉症の方は土瓶で煎じて服用するとよいでしょう。茶は葉ごとにお供えし、交飯とは「赤飯」のことです。つまり、赤い色と小豆の力で邪気をはらい、運気を上げるわけです。
星祭りは昨日から前行に入り、一週間後の13日に結願のお護摩を修します。私は『当年星供秘要次第』という著書を刊行しましたが、多くの寺院で使われるようになりました。また、星祭りを行事とする寺院が増えてきたらしく、とてもうれしいことです。皆様も、13日にはぜひお参りにお越しください。
立春大吉
令和4年2月4日
寒い一日でしたが、今日が〈立春〉です。つまり、今日から暦のうえでの正式な令和4年です。ただし、皆様は2月3日が節分、2月4日が立春と思うでしょうが、正確にいうと少し違います。立春とは今日という日にちではなく、実はその時間なのです。暦を見てください。「立春 二月四日(旧正月節)五時五一分」とあります(写真)。
すなわち、2月4日の5時51分に立春を迎えたという意味になります。まだ、布団の中にいた方も多かったことでしょう。でも、この瞬間に日本は立春を迎えました。そして、さらに専門的にいうと、この5時51分というのは日本標準時間(兵庫県明石天文台)でのお話です。東京では標準で19分、名古屋では7.5分、大阪では2分早くなり、福岡では18分、長崎では21分遅くなります。わかりますでしょうか。同じ日本でも、北海道の根室と沖縄の那覇では70分以上も時差があるのです。さらに厳密にいうと均時差という季節のズレもあるのですが、それはやめておきましょう。
ただ、皆様が四柱推命などの生まれた時間で占いをする場合、その時差を加減しなければなりません。今どきは両親から生まれ時間を知らされていることでしょうが、この時差を忘れてはなりません。とても大切なことですが、ここから先のお話に興味がある方は伝授料をお支払いください(笑)。
春はまさに「立ち上がる」のです。パソコンも「立ち上げる」といいますが、一気に作動を開始するのです。天地が躍動し、水がぬるみ、芽吹きが始まります。今年は豪雪が続き、まだまだ酷寒の地域も多いことでしょうが、元気を出してあたたかい春を待ちましょう。立春大吉です。
金運宝珠護摩
令和3年10月18日
あさか大師では毎月第三日曜日は、〈金運宝珠護摩〉を修しています。金運に寄せる皆様の想いが、この炎となって輝きました。参詣者の願いがこの炎です。不思議なことがおこります。力強いこの炎に、一人でも多くの方に参詣していただきたいものです。このところ雨天日が続きますが、皆様とともに力強く読経をしました(写真)。
また、先日の大そうじに加え、堂内の壁に付着したススも祓い除きました。護摩堂の悩みは、何といっても煙から生じるススなのです。今時は便利な道具がありますので、効を奏して短時間で終了しました(写真)。何ごとも工夫が大切です。来年の「開運歴」の配布も整い、これで心地よく年末準備に入れます。
入社1年目の教科書
令和3年6月4日
最近、『入社1年目の教科書』(ダイヤモンド社)という本が売れていると聞きました。同書はライフネット生命の元社長・岩瀬大輔氏が10年前(副社長時代)に刊行した著作ですが、多くの企業が新入社員の研修テキストとして採用しているようです。そうと聞くと、何となく気になります。さっそく、Amazonの古書で購入してみました。
〈はじめに〉で著者は、最も言いたいことを述べています。①頼まれたことは、必ずやりきる。②50点で構わないから早く出せ。③つまらない仕事はない、の三項目です。次に目次を開きました。ざっと目を通しましたが、私には「なるほど!」と思うほど特別な項目はありませんでした。私の法話集『一話一会(第1集・第2集)』や、このブログで述べていることと大差はないぞというのが第一印象でした。
この著者が何を言いたいのかを一言で申し上げるなら、それは「チャンスはどこにでもある」ということではないかと思います。普通に見ていたのでは何も「ない」ように思うことでも、眼を開いてこれを見れば、そこには無限のヒント、無限の答え、無限の宝があるという意味です。しかも、それは意外に足もとにあるものです。お大師さまが「眼あきらかなれば(心の眼を開けば)」とおっしゃっているように、これはきわめて仏教的な視点だともいえましょう。眼をあきらかにしなければ、チャンスは見えて来ません。
同書において、それを代表するのが「カバン持ちはチャンスの宝庫」という一章です。カバン持ちはつまらない仕事、と思ってしまえばそれまでです。上司が誰と会って、何を話すかを見聞きするだけでも、勉強になりましょう。そのチャンスを逃してはなりません。お茶を出すことにも、コピーをとることにも、実は無限のチャンスがあるのです。
私にも思い当たることがあります。二十代の始め、私の師僧が北海道で史上初の柴灯護摩(野外護摩のことで、火渡りもします)を修することとなりました。その時、入門したての私は真っ先にカバン持ちを買って出ました。しかし、北海道には竹もなければ、檜もありません。これらは柴灯護摩にはなくてはならないものです。それでも私は、地元で釣り竿を購入し、モミの木を檜の代わりにしてこの行事を成し遂げました。思えば、師僧に認められたのは、この時からだったかも知れません。大きなチャンスと大きな収穫を得ることができました。
皆様もどうか、「つまらない仕事はない」ことを肝に銘じてください。特に新入社員の諸君は、そのつまらない仕事に眼をあきらかにしましょう。心の眼を開きましょう。