令和2年8月14日
ではいったい、人はなぜ餓鬼道に堕ちるのでしょうか。阿難尊者ほどの方が瞑想中に予告を受けるほどなら、世の僧侶という僧侶は、まず覚悟をせねばなりません。また目連尊者ほどの方を産んだお母様ですら餓鬼道に堕ちるなら、世の母という母も覚悟をせねばなりません。なぜなら、母たる者がわが子に執着するのは当然であるからです。
餓鬼道の恐ろしさは、ここでお話するのもはばかるほどの様相です。その一部を示せば、身はやせ細って腹部のみふくれ、口内は火を噴いて熱して渇き、吐く息は腐臭を放ち、咽喉は針穴のごとく細くふさがり、食べ物を口にしようとしても燃えて叶わず、飢餓に悩んで狂い叫ぶというのです。これははたして、単なる絵空事なのでしょうか。
では仏典に説かれる根拠を、わかりやすく訳してみましょう。まず、『正法念処経』によりますと、
「貪りの心によって人を欺き、物を惜しんで富裕を欲し、世間の悪事を重ね、所得に狂走して布施をせず、僧侶や病人の貧窮を助けず、物乞いが来ても与えず、功徳も積まず戒律も持たず、あの世の先祖に供養せず、生活に苦しむ妻子や使用人を捨て置き、貪欲に徹して自分を省みず、この因縁をもって餓鬼道に堕ちるのである」と。
また、『弁意長者子経』には、
「一つには貪欲にして布施をせず、二つには盗みを働いて親に孝行をせず、三つには愚鈍にして慈悲心がなく、四つには財物を増大させてこれを惜しみ、五つには父母・兄弟・妻子・使用人に報いず、この五事をもって餓鬼道に堕ちるのである。また女人は多く餓鬼道に堕ちる。女人は嫉妬心が強く、夫の気持が自分から離れると、ますます妬むからである」と。
いやはや、これでは貪欲の奴隷と化した現代人は、みな餓鬼道に堕ちましょう。人心荒廃の果てに自らを懺悔せず、与えることの喜びなど何ひとつ知らないからです。僧侶ですら修行を怠り、高額な布施を求め、贅沢な暮らしに甘んじ、葬儀や法事を単なるビジネスとして顧みない生活の果てに、何が待ち受けているのかを考えているのでしょうか。
最後に残るのは与えたものです。功徳こそはあの世に持ち越せる唯一の宝です。そして、あの世が救われねば、この世も救われません。餓鬼への布施は特に重要です。とりわけ、女性は布施を心がけねばなりません。では皆様、これから施餓鬼法を修してまいります。次回、さらに。