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仏教
令和元年6月1日
今日は月初めの回向法要があり、いつも法話をしています。5月18日に「縁の不思議さ」についてブログを書きましたが、同じようなことをお話をしました。皆様、熱心に聞いていただきまして、初夏の薫風のようにさわやかな一日となりました(写真)。
特に今日は、わざわざ青森より尼僧様がお越しくださいました。そのほか、新しい縁が少しずつ広がっています。私が何を望もうが望むまいが、縁があれば出会い、縁がなければ出会いません。また、今日お越しになるはずの予定が変更になったり、逆に急に時間が取れてお越しになった方もいらっしゃいます。
考えてみれば、お会いしたいと思いながらどうしても叶わず、反対に思ってもみない方とお会いするのも、すべてこれ縁としかいいようがありません。それでも、今日という日のこの時間とこの場所で、地球上の70億の人の中からこのように出会うのはよほどの縁です。まるで奇跡のような確率で、私たちは出会っているのです。
だから、人との出会いはその縁を通じて、必ず意味があるのでしょう。「袖すり合うも他生の縁」なのです。〈多少〉ではなく、〈他生〉と書きます。他生とは今世とは異なる人生、つまり前世のことです。だから、〈他生の縁〉とは前世からの縁という意味です。皆様もどうか、他生の縁を大切にしてください。これも仏教のお話なのですよ。
皆様、だんだんに怪しげな顔になってきました。こんなお話をしてから、冗談に入りました。奥深いお話ばかりでは、息が切れましょう。最後にお茶をいただき、お見送りをしました。もう一度お話しますが、薫風のようにさわやかな気持でお見送りをしました。