山路天酬法話ブログ

砥石のおかげ

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社会

令和元年6月15日

 

台所の隅に電動の包丁ぎ機をおいて、マメに包丁を研いでいます。包丁の切れ味が悪いと、料理の意欲も薄れるからです。板前さんなら、なおさらのこと。毎日、砥石といしで包丁を研いで手入れをしているはずですし、昔は床屋さんもそうでした。農家の方なら毎日、鎌を研ぎました。

だから、刃物が切れるのは砥石のおかげだということを忘れるべきではありません。砥石はもちろん、まったくの下役したやくえんの下の役で、表に出ることはありません。日本刀の美しさや包丁の切れ味が称賛されても、砥石が讃えられることはありません。しかし、日本刀も包丁も砥石がなければどうすることもできません。砥石は誰にも注目されず、その産地すら知られていません。これはいったい、どうしたことでしょうか。

実は京都の亀岡に〈たくみビレッジ天然砥石館〉があり、丹波青砥たんばあおと等の名品が展示されています。京都は木造建築や和食文化が永く継承され、それらの道具を研ぐために、すぐれた砥石が集められたのです。観光名所もけっこうですが、こういうところが京都ならではなのです。

私たちの社会は、多くの裏方によって支えられています。自分が裏方になったり、逆に裏方に助けられて仕事をしています。いずれも必要なものです。刃物を扱う方々は、無事に仕事ができるのは、すべてこれ砥石のおかげだということを肝に銘じましょう。

散歩の楽しみ

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人生

令和元年6月14日

 

時間が取れれば、なるべく散歩をしています。

先日、紫陽花あじさいのことを書きましたが、散歩中によいところを見つけました。桜の下に紫陽花を植えており、共に花を楽しめます(写真)。

紫陽花は半日影が好ましいので、ちょうどよいと思いました。あさか大師の隣も桜並木なので、これを見本に紫陽花を植えてみたいと考えています。いま、樹下の水路を歩道にする工事ををしていますので、完了したら取りかかりましょう。参詣の方々が楽しめるはずです。

各地に〈あじさい寺〉がありますが、私が最も感動したのは、京都大原の三千院でした。ちょうど今頃の梅雨の日、往生極楽院との景観には涙が出るほどの思い出となりました。格別に紫陽花を強調しているわけではありませんでしたが、何とふさわしい花だろうと心がときめきました。文字どおり、極楽の片鱗をかいま見た気分でした。

身近なところで、このような喜びに出会えることは人生の妙味です。私は法務のために旅行も出来ませんが、身辺にこのような所を見つけ出していきたいものです。皆様の近辺にもきっとありますよ。ぜひ、探してしてみてください。生きていく時間は、アッという間です。今のままでは後悔しますよ。きっとそうですよ。

サルまねの効用

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健康

令和元年6月13日

 

学ぶことは〈マネぶ〉こと、といわれています。つまり、どんなことでもそれを学ぶことは、先輩や先生のマネをすることなのです。よく〝個性〟などといいますが、始めから個性など求めてはなりません。徹底してマネること、マネをしている内に自ずから表れるのが個性でしょう。

また、創造することもマネなのです。何もないところから、新しいものなど生まれる道理がありません。何かをヒントに、何かを参考に、それを模倣してこそ、新しい創造が生まれるのです。「からゆうをなす」ことなど、あり得ません。すでに出来あがったものの中から、さらに別のものを作り出すことが「有をなす」ことなのです。

これはニューサイエンスという科学でも、立証されています。やさしい人になりたかったら、やさしい人のマネをしましょう。そのうち、必ずやさしい人になれるのです。幸せになりたかったら、鏡を見て幸せそうな顔をマネましょう。必ず幸せな気分になってきます。

まわりを見てください。若々しい人とは、若々しいマネをしているのです。若々しい言葉を使い、若々しい服装をして、若々しい考え方のマネをしているのです。そして、常に前向きにものを考え、何をしようかとワクワクしているのです。細胞も内臓も体も、心が反映するからです。

マネをすることは、偉大な科学で、偉大な学習法で、偉大な健康法なのです。皆様、大いにマネをしましょう。そして、身も心も若々しくなりましょう。

法楽太鼓

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密教私塾

令和元年6月12日

 

密教私塾の塾生の希望によりまして、法楽太鼓の稽古をしました(写真)。

特にお護摩のご祈祷において、太鼓の響きは欠かせません。ただ、これまでの稽古は「体で覚えなさい」の一辺倒で、初心者がわかりやすく練習するカリキュラムやテキストがありませんでした。そこで私は、平成16年にテキスト付の『法楽太鼓の打ち方』(青山社刊)というDVDを発表し、初心の僧侶でもわかりやすく太鼓の稽古ができるよう配慮しました。

私はもちろん俳優ではありませんので、いざ大きな撮影カメラを向けられると、緊張の連続で普段のようにはいきませんでした。まわりの人たちはクスクス笑っていたものです。それでも、録画をつなぎ合わせれば、何とかなったのでしょう。このDVDは宗派を問わず、大変に普及しました。

特に法楽太鼓における二つのパターンと、五つの基本打法を分析し得たことは、大きな収穫でした。二つのパターンの内、はじめの〈第一番〉なら、数時間の稽古をすれば必ず打てるようになります。カリキュラムもテキストもなく、またそれを教える師匠もないでは、法楽太鼓が普及する道理がありません。僧侶は魂をゆさぶる太鼓の習得を、ぜひ志していただきたいと思います。私も時間が許すかぎり、いつでもおつき合いしますから。

九星気学

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密教私塾

令和元年6月11日

 

九星気学の勉強のため、鹿児島よりご住職がお越しくださいました。

私はお寺のご住職にこそ、九星気学を勉強していただきたいと思っています。なぜなら、檀家様にこよみを配っていながら、ほとんどその知識にとぼしいからです。現代は一般の方々にさえ、九星気学はかなり普及しています。

たとえば、「北に入っているから、今年は厄年です」とか、「八方ふさがりなので、家の建て替えは見合わせました」などと檀家様がお話するはずです。また歳徳神としとくじん(あきの方)や大将軍だいしょうぐん(三年ふさがり)、鬼門きもん(表・裏)などについて、ご年配の方ならよく知っています。にもかかわらず、それを聞いているご住職や奥様が何を言っているのかわからないという事実がかなりあります。かといって、そんなことを今さら聞き返すわけにもいかず、勉強しようにもどうすればいいのかもわかりません。また、易占学校に通う時間もありません。これは、まったく奇妙なお話です。

ご住職が占い師になるには及びませんが、ある程度の専門知識は必要でしょう。私が『九星気学と加持祈祷』を刊行した理由はこのためです。いま、その続編を執筆中ですが、密教私塾でその門を開きたいと考えています。ぜひ、多くのご住職に学んでいただきたいものです。

ちなみに申しますが、今年は八白土星の年で、変動の象意があります。これまでになかった新しい発想で、新しい製品が活発に伸びるでしょう。また、オリンピックに向けての建設業界やホテル業界が活発になるのは当然jです。これまでの概念が、大きく変わる年といえましょう。

九星気学を勉強すると、世の中に対する見方が変わります。このブログを見たご住職は、ぜひお越しください。一般の方々も歓迎です。

紫陽花

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挿花

令和元年6月9日

 

今日も梅雨らしい一日でした。そして梅雨の花といえば紫陽花あじさいでしょう。〈あじさい〉や〈アジサイ〉より、私はこの漢字表記が好きなのです。紫陽花の〈陽〉とは光のことです。そして、おりおりの光によって色が変ずる花という意味です。

梅雨の詩情として、これほど似合う花はありません。今朝も散歩中に薄紫の紫陽花が目につき、その家のご主人より一枝をいただいて本堂に挿しました(写真)。技術などどうでもよいのですから、皆様も庭の一枝をガラスびんにでも挿してみてください。家の中がパァーと明るくなりますよ。

万葉の時代は「集真藍あずさい」といったそうで、藍色あいいろの小花が集まった花とのお話を聞いたことがあります。今どきは藍色のほか、青・紫・紅・白などの色が多彩に競います。また、各地に〈あじさい寺〉が増えて、うれしいかぎりです。

また紫陽花について、忘れられないのは三好達治の詩「乳母車うばぐるま」です。

 

母よー

淡くかなしきもののふるなり

紫陽花色あじさいいろのもののふるなり

はてしなき並樹なみきのかげを

そうそうと風のふくなり

 

私がはじめて魅せられた「声に出して読みたい日本語(斎藤孝氏の造語)」でした。

解釈など、無用なことです。ただ紫陽花が淡く、悲しく〝ふる〟のです。時が過ぎるのです。何と美しい詩でしょう。久しぶりに、青春を堪能しました。

嫉妬を転じる

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人間

令和元年6月8日

 

高齢になれば体力が衰えます。これはやむを得ないことです。では煩悩ぼんのうも衰えるかというと、これがまったく逆なのです。年齢と共に、ますます制しがたいのが煩悩でありましょう。しだいに時代から取り残され、若い人のすることがいちいち気に入らないからかも知れません。

中でも、最も制しがたい煩悩は〈嫉妬しっと〉であるといわれています。自分の成功を喜ぶのは当然ですが、他人の成功を素直に喜べないところが嫉妬なのです。嫉妬の文字は、二つながらにオンナヘンが付きます。なるほど女性は、他人の仲のよさをねたんだり、ヤキモチをやくことが多いのでしょう。

しかしながら、実は男の嫉妬はより陰険いんけんで、底知れぬ不気味さがあることをご存知でしょうか。それは男には闘争本能があり、常に競争にさらされて来たからなのです。自分の身辺によりすぐれた人物がいる時、その人物が大きな成功や栄誉に輝いた時、これをねたまぬ男はいません。口ではめたたえても、どこかで嫉妬の感情をも燃やしているのです。ヘタをすると、その嫉妬が憎しみへと転じ、あらぬ事件に進まぬともかぎりません。一国の主なら、国を滅ぼすとさえいわれるほどです。

しかしながら、嫉妬をしていたたまれないような感情を燃やさねば、人間は何も変わりません。いたたまれないようなその気持ちをヤル気に変えれば、新たな生きがいとなるのです。大事なことは、それを上手に使うこと、上手に転ずることでしょう。嫉妬の感情に燃えた時こそは、チャンスなのだと思いなおし、いっそう励むことができるのです。

いうまでもなく、嫉妬は煩悩です。振り回されればそのまま煩悩ですが、上手に使ってこれを転じれば菩提ぼだいとなるのです。嫉妬を転じれば煩悩を転じ、煩悩を転じれば菩提に転じます。退屈なお話でしたか? でも、大事なことです。

コンプレックス

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人生

令和元年6月7日

 

コンプレックスは大切な才能です。なぜなら、人はコンプレックスがあるから、何とか克服しようとして努力するからです。コンプレックスがなければ悩むことがなく、悩むことがなければ何の努力もしません。

私は栃木県の農村に生まれ、「あいうえお」の五十音表記も、『むすんでひらいて』の歌も知らずに小学校に入りました。いくら農村の子供でも、それくらいは覚えて入学して来ます。そのコンプレックスに悩み、校舎の片隅で泣いていたことさえありました。それでも、「よほど勉強しなければついて行けない」と、子供心に思ったのかも知れません。特に習字の稽古は、よく励みました。後年、僧侶になってからも、毛筆で苦労したことがありません。

また、宇都宮の高校に通い始めた頃、同じようなことを経験しました。街の生徒たちは、やれシェークスピアだのトルストイだのと、よく知っていました。私はほとんど読書というものに興味ありませんでしたので、ここでもまた強烈なコンプレックスに悩みました。以来、私は本の虫となり、未だに読書欲は衰えることがありません。そして、多くの著作を成し得たのも、この時のコンプレックスがあったからなのです。私が都会に生まれて英才教育でも受けていたのなら、今頃はとんだ道楽者になっていたことでしょう(笑)。

何が幸いとなり、何が災いとなるかわからないところが、人生のおもしろさです。皆様、大いにコンプレックスを持ち、大いに悩みましょう。これによって人生の目標を立て、目標に向かって努力をしましょう。努力がイヤなら、努力のマネだけでもしましょう。そのうちに、努力が楽しめるようになります。これ、本当ですよ。どうぞ、お試しあそばせ。

境内整備工事

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あさか大師

令和元年6月6日

 

あさか大師ではいま、境内整備工事を行っています。境内駐車場の舗装工事と隣接水路歩道工事を7月初旬までには完了させる予定です(写真)。

毎日お護摩を修したり、ご相談に応じたり、執筆をしたりしていますが、堂内や境内の清掃もせねばなりません。特に隣接の水路は長年放置された状態で、ゴミ捨て場のようになっていました。4月の桜はみごとでしたが、樹下の水路がちょっと残念でした。その時、年内には何としても成し遂げようと決心したのです。

工事費は高額ですが、皆さまより支援のご寄進が集まってまいりました。大変にありがたいことです。完成すれば、さらに気持ちよくご参詣いただけましょう。

そして、開運の強い気は、清らかな環境から生まれることも確かです。お釈迦さまもお大師さまも、瞑想にあたってまず場所を選んだのはそのためです。心が清らかであれば、環境はどうでもよいという意見は詭弁に過ぎません。いい仕事をする人は、仕事場もきれいです。心が環境を左右すれば、環境もまた心を左右するするのです。

まずは工事の完成を待ち、新たな計画を立てるつもりです。がんばりますから。

どうにかなるのです

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人生

令和元年6月5日

 

「人生はどうにかなるのです」が、私の持論です。しんどい時もありましょうが、何とかして生きていくことはできるのです。どうしてそのように思うかというと、そうでなければ、この世に生まれる道理がないからです。この世に生まれる以上は、生きていくだけの何かを授かっているからです。生きていくだけの取りがあるからです。

特別な才能がなくとも、体は丈夫でしょう。丈夫でさえあれば、働くことができるのです。働きさえすれば、相応の生活ができます。病気であっても、誰かが看護をしてくれましょう。そして、励ましを受けながら楽しみの時間を持つことができます。孤独であっても、何かに癒されましょう。絵や音楽があり、ペットや花があります。だから、どん底に落ちるようなことは、まずありません。だから、人生はどうにかなるのです。

私が過去に出会った方々の中で、よくもこんな不幸を背負って生まれたものだと思う方が三人ほどいました。みな他界しましたが、それぞれに何とか天命をまっとうしました。中でも忘れられないその方は、自分は病気で亭主は大酒のみで、二人の子供も行方すらわからない状況でした。生活保護を受けての暮らしでしたが、彼女にはたった一人、頼れる友人がいたのです。お惣菜をいただいたり、古着をいただいたりしながら、どうにか暮らしていました。私もまれには顔を出して励ましたものです。そして、やがて安らかに永眠しました。

彼女の死後、長男が私を訪ねてきました。私は生前のお母さんの果たせなかった気持ちを表すようお話しました。今でも、よく供養をしてくれています。「よかった、よかった」と、今でも思います。人生はどうにかなるのです。必ず。

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