山路天酬法話ブログ

続々・すべての教えが行き着くもの

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先祖供養

令和7年7月12日

 

江戸時代の後期、水野南北みずのなんぽくという観相学かんそうがく(人相などによって運命を観る学術)の大家がいました。この方の観相は単なる人相を見るだけではなく、しょくを慎む「節食開運法」に特徴があります。その著「南北相法修身録」(写真は東洋書院刊)は相法の解説はもちろんでありますが、人が長命福寿であるかいなかは食にありと主張しています。

その大要を三つだけ述べておきましょう、

①一生に食べる分量は天運であり、その分限が尽きれば寿命も尽きるのである。

②節食を心がければ、たとえ短命病身の相なれども長命を得ることができる。

③物を大切になし、施しをして徳を積めば、悪因を脱して福寿を得ることができる。

この中でも、特に③はまさに仏教の布施の教えです。私が先祖供養や施餓鬼を開運法として提唱するのもこの意味です。毎日、無事に食事がとれる人ほど、感謝をしてご先祖や餓鬼界の霊に食を施さねばなりません。すべての教えは布施に行き着くからです。そして、布施が徳となって人生を変えるからです。

あさか大師の「人生を変える先祖供養」は月に2000円で、すばらしい布施の善行に参加できます。檀家制度はなく、入退も自由です。遠方の方は郵便でも可能です。先祖供養は正しい法流のお導師と共に、その祈りを融合させることが大切です。また、法外な供養料を要求する僧侶や霊能者に依頼してはなりません。ご希望の方はホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。

続・すべての教えが行き着くもの

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先祖供養

令和7年7月9日

 

仏教では「六度ろくど六波羅蜜ろくはらみつ)」の教えを大切にしています。六度とは布施・持戒じかい忍辱にんにく・精進・禅定・智慧の六つの修行をいいます。布施とは与えること。持戒とは戒律を守ること。忍辱とは耐え忍ぶこと。精進とは一途いちずに励むこと。禅定とは心を統一すること。智慧とは仏の教えを体得することです。

最初の教えが布施です。つまり、布施の心がないかぎり、以下の五つの教えを守ることはできないという意味です。私たちは何かを得るために生きていますが、得るためには、まず与えねばなりません。そして、やがては与えることそのものに喜びを感じるようになります。

与えること、布施の喜びを得るならば、以下の教えは自ずから身につきましょう。諸願成就のご祈願も、先祖供養も施餓鬼も、すべては布施に行き着くからです。自分が持つ何かを与えねば、自分を変え、人生を変えることはできません。

あさか大師では、お導師と僧侶とご信徒が一体となって読経します。これはお大師様と一体になって布施に励むということです(写真)。

そして、お大師様に向かって読経をするうちに、お大師様が私たちのために布施をしてくださっているような境地になります。人生を変える境地です。

この「人生を変える先祖供養」をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。遠方の方でも、郵送で参加できます。お大師様の正しい法流で、ともに励みましょう。

すべての教えが行き着くもの

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先祖供養

令和7年7月6日

 

あさか大師では昨日と今日、月初めの総回向(先祖供養)を兼ねて、盂蘭盆施餓鬼会うらぼんせがきえの法要を勤修ごんしゅうしました。大勢の皆様が参集し、僧侶と共に読経をしました(写真)。

盂蘭盆会と施餓鬼会は本来は別のものですが、日本では夏の寺院行事として定着しています。なぜなら、いずれも布施の功徳を讃え、布施の大切さを教えるものだからです。布施はもちろん、僧侶への「お布施」にかぎりません。先祖供養も盂蘭盆も施餓鬼も、結局は布施であるということです。

人生に大切な教えはたくさんありますが、最も大切なことは与えることです。与えなければ得られませんし、与えることで大きな喜びを得ることを、私たちの魂は知っているからです。すべての教えとは、布施に行き着くことを知らねばなりません。

法要の最後には全員で、施餓鬼のご真言をお唱えしました。ご真言が遍満するや、浄飯じょうぼんも水も天上のかてとなり、乳水にゅうすいとなって甘露かんろの妙味に変じたのであります。

盂蘭盆会の荘厳

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未分類

令和7年7月4日

 

あさか大師では7月5日(土)・6日(日)午後1時より月例の総回向(先祖供養)を兼ねて、盂蘭盆施餓鬼会うらぼんせがきえ法要を勤修します。私はすでに前行でご回向を重ねてまいりましたが、いよいよ荘厳しょうごんも整いました(写真)。

中央の浄飯じょうぼんに立てられた五色のへいを「施餓鬼真幡せがきまばた」といいます。五色は五如来(施餓鬼をつかさどる五仏)を表し、形は宝楼閣ほうろうかくを表しています。餓鬼道に堕ちて苦しむ霊や無縁の霊は、ご真言の力とこの真幡に導かれ、仏に結縁けちえんするのです。

当日は参詣の皆様と共に「施餓鬼作法」を実修します。本来は深夜の静かな場所で修しますが、日中でもその功徳は同じです。施餓鬼の真言が遍満する中、救済の旋食せじきが天上浄土に導くことを願ってやみません。

ちなみに、施餓鬼を熱心に修す僧侶は食べられない胃腸の病気をわずらわず、お檀家やご信徒が少なくとも、何とか食べていけると伝えられています。また真言密教の僧侶は、毎日これを修さねばならないとされています。二十代の若い頃、師僧から訓示されたことです。

この世とあの世の冥合(伝道法語)

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人生

令和7年7月3日

 

7月の伝道法語です。お盆にちなんで掲示しました。

私たちは自分の人生は自分で考え、自分で判断し、自分で歩んでいると思っています。しかし、本当にそうでしょうか。

私たちの人生には、思うようには行かないことがたくさんあります。また、思ってもみないことがたくさんおこります。たとえば、気をつけていても事故を起こすことがあります。また反対に、事故に巻き込まれることもあります。

それは自分の考えや判断を超えた何かがあるからです。それは眼には見えず、耳には聞こえず、理解を超えて私たちの人生に深く関わっているからです。

この世のことを「現世うつしよ」といいます。あの世の「うつし」です。なぜなら、この世とあの世は表裏一体だからです。私たちはこの世に生きていますが、実はあの世にも生きているのです。この世とあの世を共に生きているからです。

あさか大師では7月5日(土)・6日(日)午後1時より、盂蘭盆施餓鬼会うらぼんせがきえ法要を勤修します。この世とあの世の冥合みょうごうです。あの世へのアプローチは、この世の人生へのアプローチです。

7月の強運者

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九星気学

令和7年7月2日

 

7月7日から8月6日までが、暦法での7月です。六白金星が中宮して、東南が五黄殺、西北が暗剣殺、東北が月破となり注意を要します(写真・下が北となり、一般の地図とは逆になります)。

7月の強運者は一位が五黄土星、二位が四緑木星、三位が一白金星です。

五黄の人は東南(たつみ)にあって、大きな進展を遂げることができます。持ち前の本領を発揮して、実力を伸ばしましょう。身辺の問題解決にも好機となります。ついでながら、五黄の人はいつも五黄殺なのかという質問をよく受けるのですが、もちろん、そんなことはありません。五黄は帝王の星なので、外の星にとっては「おそれ多い」というほどの意味です。

四緑の人は東にあって、開運のスタート台に立ちました。計画の心願成就に向かって、行動を開始しましょう。ただし、口論や性急な自己主張はケガのもととなります。短気は損気そんき、急がば回れと自戒しましょう。

一白の人は南にあって、太陽が最も盛んであり、旺盛な運気となります。目標に向かって、前進しましょう。慢心まんしんを慎み、身辺の人との和合を大切にしてください。違背すると分裂や離別を招きます。

そのほかの人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。暦は上手に生かしてこそ、役立ちます。使われるのではなく、使いこなすことが大切です。

偉大なる植物のドラマ

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自然

令和7年6月29日

 

10年ほど前、塚谷裕一著の『スキマの植物図鑑』(中公新書)という本が話題になりました(写真)。

同書は街角のコンクリートやアスファルトの割れ目、石垣や電柱の根元といったわずかなスキマから、植物たちがいかにたくましく成長しているかを紹介した異色の刊行でした。しかも、植物たちがいかにも窮屈きゅうくつで息苦しく生きているのではなく、何とも居心地いごこちよく幸福に過ごしている様相を発見することに、同書の主張がありました。

人間はあくせくと働き、動物はえさを求めてさ迷っているというのに、こうした植物は一ヶ所に根を下ろしたまま、光と水と肥料を十分に吸い、実に豊穣ほうじょうな時間を過ごしているのです。都会の片隅、国道わきの騒がしい環境にあっても、それは同じです。何と偉大なるドラマでありましょうか。

こうした植物の様相は、通勤中の通り道、買い物や散歩の道端、公園や工事現場、いたるところに見い出せましょう。その飄々ひょうひょうたる楽園を讃嘆さんたんするならば、私たちは何も見えていなかった自分に驚くのではないでしょうか。自分の足元に、かくも偉大なドラマがあるというのに、いったい何を見て生きていたのでありましょうか。

あさか大師の境内でも、ドラマは常に見い出せます(写真はエノコログサ)。ああ、植物は偉大なり。偉大なるドラマに幸あれ。

 

特大五鈷杵を奉安

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真言密教

令和7年6月26日

 

このたび、あさか大師ご宝前に、弟子僧から寄進された特大五鈷杵ごこしょが奉安されました(写真)。

五鈷杵とは代表的な密教法具のひとつです。本来はインドの武器でありましたが、煩悩を智慧ちえに転ずる法具として用いられるようになりました。左右の中央に一本の独鈷杵とっこしょ(いっぽんどっこ!)があり、四方に四つの(鈷)があります。つまり五つの鈷が仏の五智ごちを示します。

お大師様も立派な五鈷杵を唐より請来しょうらいされましたが、その現物は東寺(京都)の宝物館に収蔵されています。私も拝観したことがありますが、お大師様が実際にお使いになられたというだけで緊張し、立ちすくんでしまいました。

真言密教の法具は単なるお飾りではありません。それらはすべて、仏の悟りを象徴するものです。残念ながら今日では、密教法具を製作する職人さんが少なくなり、その値段が大変に高価になりました。弟子僧が購入を希望するたびに、私も悩みます。伝統工芸の技術を維持することの難しさなのでしょう。

偶然と必然の観音像

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護摩

令和7年6月22日

 

お護摩を修していますと、その炎の中にいろいろな姿を観じることがあります。今年3月、あさか大師の本堂に観音像の化現けげんを公開しました(写真)。

お護摩の写真は長年にわたって拝見してきましたが、これほどリアルな観音像に出会ったことはありません。まさに、お大師さまが示された観音さまの化現でありましょう。

もちろん、これは一瞬の偶然です。お護摩の炎が刻々と燃え続く中で、一瞬の偶然から生まれたものです。しかし、偶然にしてもでき過ぎた感は否めません。二度と写すことはできませんし、写そうと思って写せるものではありません。むしろ、写そうという意図をもって構えると、かえって何も写らないことは経験上、わかっています。

つまり、無心の中で、必然的なご縁がなければ写らないということです。この偶然と必然の狭間はざまにあって、お大師様が刹那せつなに示されたお姿が、この観音像なのです。毎日、お大師様のお護摩を修して来た、私へのご褒美ほうびだったのかも知れません。

立派なご縁をいただいたあさか大師のお護摩に、ぜひお参りください。毎日11時半より修しています。また、この写真は本堂内に展示しています。

続・人相も手相も変わります

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先祖供養

令和7年6月19日

 

私は毎日、光明真言の秘法をもって先祖供養を実修し、その加持力が皆様のもとに届くよう念じています。そして、毎月3回の総回向法要を勤修しています。6月15日(日)は午前11時半の金運宝珠護摩に続き、午後1時より3回目の総回向を勤修しました(写真)。

参加するの皆様は、あさか大師で一心に先祖供養に励んでいらっしゃいます。参加した動機はさまざまですが、自分の人生がご先祖と関係していることを何気なく感じているからでしょう。

前回にもお話をしましたが、初めてお会いした折には、ひどく落ち込んでいた方、暗い表情であった方が、一変して明るくなります。つまり、人相が変わるのです。また、弟子僧は先祖供養に加えて印(前回写真)を結び、仏の浄土を観想します。すると手相も変わります。

これは魂が浄化されるからで、別に不思議ではありません。この世とあの世は一体だからです。お大師様がおっしゃるように、仏の浄土もこの世にあるからです。

私は住職としての義務で毎日の実修をしているのではなく、皆様の変化を楽しみ、共に喜び、生きがいになっているからなのです。さらに、多くの皆様の参加を念じてやみません。遠方の方は郵送で参加できます。詳しくはホームページの「先祖供養」をご覧ください。「お問合わせ」からのご連絡をお待ちしております。

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