山路天酬法話ブログ
あさか大師の土製護摩壇
令和7年4月13日
あさか大師の土製護摩壇は、私が長年の実修経験から創案したもので、本邦唯一のものです。しかも、その開創には不思議なご縁がありました。
まず、平成30年7月31日に地鎮祭を挙行し、翌日にはネパール密教・最高阿闍梨により日本で初めて如法のお護摩が修されました(下写真)。当時、寺も持たない私に、このような勝縁はあり得ないことです。この奇しき出会いは、お大師様が法によって引入されたものと信じてやみません。
そして、この壇の土や供物をすべて埋め尽くし、その上に現在の土製護摩壇が築かれました。炉の直径80センチで日本最大です。したがって、皆様の願いごとを書いた護摩木がどれほど多くても、悠々と修法することができます(下写真)。
私は毎日午前11時半に、この土製護摩壇で浄炎を上げて修法に専念しています。しかも、参詣者は私のすぐそばに座って、熱祷に浴することができます。私の一挙一動がすべてさらされ、共に祈ります。すべてイス席で、段差もありません。
心ある方は、北海道や東北から、四国や九州から、沖縄からもお越しになります。皆様もぜひお参りください。
毎日のお護摩
令和7年4月12日
あさか大師では先祖供養を大切にしますが、この世の願いも、もちろん大切にしています。この世の願いを代表するのは〈厄除〉〈災難除〉です。毎年、元旦から節分までの間、厄除・災難除をなさる方がいかに多いかは驚くばかりです。
そのほか、病気の悩み、お金の悩み、人間関係の悩みをはじめ、開運・事業・結婚・出産・受験など、毎日お護摩でご祈願しています。毎日のお護摩は午前11時半ですが、お願いごとは〈護摩木(下写真・一本200円)〉に書くことをおすすめしています。
この護摩木はお護摩の浄炎に投じられ、お大師(厄除大師)様に直接届けられます。どなたでも自由に参拝できますので、ぜひお越しになってください。
なお、護摩木祈願は前もって日にちを指定したり、5日間・10日間・30日間といったように連日祈願を希望される場合は、〈願いおき護摩木〉の棚に入れてください(下写真)。ご指定のとおり、ご希望のとおりにご祈願をいたします。
*住職の法務(出張・お祓い等)によって、まれにお護摩の時間がずれる日もございます。遠方よりお越しの方はお電話でご確認ください。
続々・この世はあの世の写しです
令和7年4月9日
先祖供養について、さらにお話を続けます。
私たちは両親から生まれましたので、当然その遺伝子を受け継ぎます。そして、両親は祖父母から、祖父母は曾祖父母からと受け継ぎます。これを直系の「先祖代々」といいます。
ところが、両親の兄弟、つまり叔父叔母とは何の関係もないのかといいますと、そうはいきません。小さい頃から縁のあった叔父叔母は、あの世に往っても何らかの関係が続きます。これを傍系といい、私は「先亡」と呼んでいます。よく「有縁無縁」という呼び方をしますが、いささか意味が曖昧です。
さらに、どの家にも水子が必ずいます。水子はいわゆる〝祟る〟ことは少ないのですが、この世に生まれ得なかった無念さと、生まれ得た兄弟へのうらやましさを持っています。そこに問題があります。
そこで、あさか大師の先祖供養では先祖代々・先亡・水子の三本立てで修法します(写真)。
この三本立てが肝心で、「人生を変える先祖供養」には、どうしても必要です。この世とあの世をつなぎ、あの世の幸せをこの世の幸せにするためには、どうしても必要です。同じ理念の寺院はありますが、私にも絶対の自信があります。
この理念に共鳴する方は、いっしょに歩みましょう。供養料は月に2000円で、入退も自由です。ホームページの「お問い合せ」からご連絡ください。この勝縁によって、皆様の人生が変わります。
続・この世はあの世の写しです
令和7年4月8日
先祖供養で大切な心得のひとつは、僧俗が一体となること、つまりお導師と共に祈りを融合させることです。供養料を払って、お願いすればよいというものではないからです。かといって、むずかしいことは何もありません。
あさか大師では月ごとに〈供養紙〉をお渡しして、私が毎日、その祈りを融合させています。そして、その功徳をお大師様にお供えし、あの世とこの世の幸せを共に念じています。(写真)。
この世はあの世の写しです。あの世のフィルムが、この世というスクリーンに写し出されます。私たちの人生が、両親の祖父母や曾祖父母に似るのはそのためです。生き方ばかりでなく、顔やしぐさや後ろ姿が似ます。
菩提寺のない方、墓じまいをした方でも、先祖供養をしたいという方は、ぜひご連絡ください。ご負担のない供養料で、気軽に続けることができます。ホームページの「お問い合せ」からご送信ください。
この世はあの世の写しです
令和7年4月6日
昨日と本日、あさか大師では総回向(先祖供養)の法要を挙行しました(写真)。
私たちがなぜ、先祖供養を大切にするのかと申しますと、この世とあの世は一体であるからです。あの世の写しがこの世で、これを「現世」といいます。つまり、あの世の幸せがこの世の幸せであるからです。
小さな子供さんが、誰もいないのにお話をしていることがあります。それは無心な子供さんには、あの世の人(たとえば、おじいちゃんやおばあちゃん)が見えるからです。
人はその臨終によって、すべてが無くなると考えるのは自由です。しかし、知らないはずのおじいちゃんやおばあちゃんのことを、どうして知っているのでしょうか。
私たちは自分のルーツである父母の両家を密教の秘法で供養し、その功徳をお大師様にお届けしています。しかも、お導師と一体になって修します。だから「人生を変える先祖供養」となるのです。
近在の方は直接お越しになり、遠い方は郵便で全国からこれに参加しています。供養料は1ケ月2000円で、どなたでも気軽に続けることができます。入退は自由で、檀家制度はありません。
関心のある方はホームページの「お問い合せ」から送信してください。すばらしい出会いになりますことを念じています。
桜まつりを開催
令和7年4月5日
あさか大師では今日、総回向の後に「桜まつり」を開催しました。お大師様やご先祖様への供養を重ねた功徳をいただいて、楽しい法宴となりました。あさか大師の僧侶が加わる歌謡バンドの「バブリーズ(写真)」、おなじみの「八丈太鼓まごめ会」と共に、イングランドポニーの「ハナちゃん」も出演しました。
お隣りの老人ホームの皆様、お子様やお孫様を連れての皆様も集まり、八丈太鼓の回し打ちに参加したり、ハナちゃんと写真を撮ったりして楽しいひとときを過ごしました。
お寺は皆様が寄り添うところです。きびしい修行もあれば、楽しいひとときによって、心を癒すところでもあります。さらに多くの皆様が、あさか大師に親しんでいただきたいと願っています。
4月の伝道法語
令和7年4月4日
4月の伝道法語(掲示伝道)です。
現代は〈努力〉という言葉が歓迎されません。何かと便利で、楽をしながら成功する方法が求められるからです。
しかし、この世に努力をせずして成功する方法など、あるはずがありません。どんなに便利で楽な方法でも、便利は便利なりに、楽は楽なりに努力が必要です。その努力によって、運もまた開けます。運は自ら努力をする人に味方をするからです。
そして、その運が続くためには、お世話になったすべての人に対する感謝がなくてはなりません。努力は自分一人の努力ではないからです。自分の運を分かち合う、報恩の気持ちがなければ、運は続きません。仏教ではこれを「報恩謝徳」といいます。
4月の強運者
令和7年4月1日
4月4日から5月4日までが、暦法での4月です。九紫火星が中宮して、北が五黄殺、南が暗剣殺、西北が月破となります(写真・下が北となり一般の地図とは逆になります)。
4月の強運者は一位が八白土星、二位が七赤金星、三位が一白水星です。
八白の東南にあって信用が高まり、難題を解決する強運の月となります。知性をもって正しく判断し、チャンスを生かして、さらに前進しましょう。他人の意見に耳を傾けることも大切です。
七赤の人は開運への新しいスタート台に立ちました。身辺に気配り、誠実に対応して努力を重ねましょう。家族や仲間との口論は慎まねばなりません。散財や衝動買いにも注意しましょう。
一白の人はこれまでの努力や工夫が生きて、成果が得られます。目上や上司への配慮が、大切なカギとなります。意見や忠告は謙虚に聞き、礼儀をわきまえましょう。
そのほかの人はホームページの「今月の運勢」をご覧ください。暦を上手に使って、「よい時はよいなりによく、悪い時は悪いなりによく」と考えることです。衰運だからといって悲観せず、開運に向かう根回しの時と思いましょう。
「霊鳥」の飛来
令和7年3月31日
あさか大師には毎年、桜開花の頃になるとキジが飛来します(写真)。
キジは日本の国鳥です。つまり、太古よりこの国の人々に親しまれた、日本を代表する鳥なのです。野生のキジを見ることはめったにありませんが、その美しい色彩とエキゾチックな鳴き声は、神様の伝令のような印象を受けます。キジを「霊鳥」と呼ぶゆえんでしょう。
菜の花の黄色がビタミンカラーとなり、桜の花が爛漫と咲き誇り、霊鳥の鳴き声をともなって、日本は春の吉祥に包まれました。今日も元気に一日を過ごしましょう。
水子供養の大切さ
令和7年3月29日
あさか大師では水子供養にも力を注いでいます。そして私は毎朝、お大師様にご挨拶をした後、水子観音堂(写真)の扉を開いて回向を捧げています。
どんなに不幸な人でも、両親から授かった名前があります。また、両親と共に暮らした思い出があります。そして、死亡すればお骨があり、位牌があり、お墓があるのです。しかし、水子には何ひとつありません。皆様はこの事実を、どのように思うでしょうか。
現代の子供たちや青少年のすさんだ心が、この水子の事実と関連がないとは、とうてい思えません。あの世の写しがこの世の姿です。だから、この世を「現世」というのです。水子供養は大切な責務といっても過言ではありません。
あさか大師の水子観音堂には、お線香を供える方やお菓子を持参する方がたくさんいらっしゃいます。心ある方のお参りをお待ちいたします。また水子供養については、ホームページをご覧ください。