山路天酬法話ブログ
秋彼岸会法要
令和8年9月22日
台風25号は、関東にも多大な風害水害をもたらしました。被害地の皆様には謹んでお見舞いを申しげます。
あさか大師では明日の午後1時より、秋彼岸会法要を勤修いたします。私は9月に入ってより毎日、お申込みの塔婆(特別供養)をお供えして前行を修してまいりましたが、いよいよ明日の法要を迎えることになりました(下写真)。

台風は過ぎ去り、雨風の心配はなさそうです。桜並木の曼殊沙華(彼岸花)も満開となり(下写真)、絶好の日和となりました。日本は春彼岸には木蓮が、夏の盂蘭盆には蓮が、そして秋彼岸会は曼殊沙華が咲き、本当に「仏の国」だと思います。

明日、お参りができない皆様、遠方の皆様は同時祈念をして、読経や真言の響きに感応道交していただきたいと思います。そして、生きていること、生かされていることを喜び、神棚の遠い先祖、仏壇の近い先祖に感謝を捧げていただきたいと思います。お大師様と共に、この国が平和で私たちが幸せであることを祈りましょう。
続・お金はお客さまです
令和8年9月21日
あさか大師では昨日の午前11時半より金運宝珠護摩を奉修し、雨天の中、たくさんの方々が参詣されました(写真)。

私はお金はお客さまのようなもので、神さまからのお預かりものだと思っています。お預かりものである以上、自分が所有するものではありません。大切に扱わねばなりませんし、失礼があってもなりません。
このことは、この世のものすべてについても、同じことが言えるのです。自分の体も、両親からの、そして先祖からの預かりものです。一杯の水も、水天さまや龍神さまからの預かりものです。スイッチ一つで発火するガスやIHの熱も、火天さまや荒神さまからの預かりものです。もちろん、毎日のご飯は天照皇大神さまからのお預かりものです。
私たちは「家を手に入れた」と思っていますが、これもその土地の地天さまからお借りし、一時的にお預かりしているということなのです。だから、その土地に家を建てる時は地天さまにご挨拶をして、了解を得ねばなりません。これが地鎮祭の本当の意味です。単にお祓いをするのではありません。昔の人は、こういうことが常識だったのです。
金運を望む方は、お金に対して謙虚に礼を尽くすことが大切です。〝自分のもの〟と思わず、お金の神さまからお預かりした大切なお客さまと、どう接するかを考えることです。その接し方しだいで、自分のところに留まるか、次のところに移るかを、お金の神さまが判断するはずです。
お金は「天下のまわりもの」です。それをお預かりするにふさわしい人だけがお預かりするのです。皆さまも、そのふさわしい人になり、金運を高めていただきたいと思います。
お金はお客さまです
令和8年9月18日
あさか大師では9月20日(日)午前11時半より、金運宝珠護摩を奉修いたします。ご参詣の皆様は如意宝珠の功徳を直接にいただき、金運銭(写真)を持ち帰って、そのパワーを持続させましょう。遠方の皆様は同時件念によって、感応道交を目ざしましょう。当日は雨天の予報ですので、十分なご用意をなさってお越しください。

金運を望む方は、お金に対して謙虚に礼を尽くすことが大切です。なぜなら、お金は自分が所有するものではなく、お金の神様からお預かりするものであるからです。お預かりする以上は、いわば大事なお客さまです。お客さまに対して失礼があってはなりませんし、気持ちよく過ごしていただかねばなりません。
お金は自分の能力と徳に応じて与えられる、いわば自分自身の分身でありますが、またその分身は同時にお客様でもあるということです。真言密教では自分の心の仏様(法身)と共に、絵木の仏様(応身)と法界の仏様(報身)をお客さまとしてお迎えし、供養し、祈願を込めます。自分自身の分身がお客さまであるという意味がお分かりいただけますでしょうか。
そのお客様に対して悪口を言ったり、乱暴に扱ったり、偏見を持てば、お客さまは必ず離れていきます。そして、お金の本質を十分に理解し、社会に対する能力と徳のある人を求めて移動します。お金を称して「天下のまわりもの」とは、なるほど名言なのです。この道理を理解しなければ、金運を望むことはできません。
金運宝珠護摩に祈願を寄せる皆様は、この道理を理解し、謙虚な気持ちで臨んでいただきたいと思います。ただ「お金がほしい」という欲だけでは、決して達成することはすることはできません。お金の神様に好かれ、お金に好かれる生き方をしていただきたいと思います。
健康の大前提
令和8年9月17日
現代人は平均的に体温が低く、常温の36、5度に達しない人が多いようです。そこで、体温を上げる食品として注目されたのがショウガ(生姜)でした。今やブームを巻きおこすほどによく知られています。ショウガは安いし、どこででも買えます。また、シロップやパウダー(写真)もあるので、そのノウハウは限りなく広いといえましょう。

人間の体は車のエンジンのように、常に温まった状態が理想です。冷えが万病のもととされるのは、その意味です。だから、冷えた場所に病気やがんが発生します。「心臓がん」という病名がないのは、心臓が常に鼓動して一定の温度を保っているからです。「体を温めると病気は治る!」は本当なのです。健康のためには、体重よりも体温を測りましょう。
現代人の体温が低い理由はいろいろありますが、体を冷やす夏野菜や南方の果物を一年中食していること、冷房で体を冷やす機会が多いこと、運動不足や代謝低下の人が多いこと、冷たい飲み物が多すぎることなどが考えられます。体温が低いと、血流も臓器も十分に機能しません。薄着や寒い所にいるから冷えるのではなく、冷えるような生活をするから低体温になるのです。
ショウガは漢方では「ショウキョウ」といい、多くの処方に用いられます。よく知られた葛根湯もその一つで、体温を上げて免疫を高めるので、寒気や風邪の初期症状によく効きます。また、ショウガ紅茶も体温を上げる効果抜群なので、普段から愛飲するとよいでしょう。
私はショウガをすり下ろして冷蔵庫に常備し、いろいろな料理に薬膳として用いています。いま、青汁が流行っていますが、大麦若葉やケールは野菜不足を補いますが体を冷やします。豆乳や牛乳に混ぜてショウガパウダーを加えるとよいでしょう。とにかく、体温を上げることは、健康の大前提です。いろいろな工夫をして、ショウガを食用しましょう。ショウガがなければ「しょうがない!」のです。
風邪と咳の妙薬があります
令和8年9月13日
和歌山のご信徒よりナシが届き、お大師様にお供えしました。今が旬で、スーパーにもよく並んでいます。ずいぶん高価になりましたが、やはりこの時期、一度は口にしたいものです(写真)。

漢方の古典『東医宝鑑』にはナシの薬効として、①肺を潤し、咳や痰を鎮める。②体内の熱を冷ます。 ③お酒の毒を解毒する、などとあります。急に冷えてきたせいか、風邪を引いたり、ノドに痛みを感じる人が増えています。ナシは肺を守り、熱を取り、咳や痰を止めるので、風邪を引いた時には絶好の果物なのです。薬膳では白キクラゲとのデザートが、よく知られています。
韓国ドラマ『ホ・ジュン』は、不良青年だった主人公が刻苦勉励して、朝鮮一の名医になるという物語(日本では豊臣秀吉の頃)です。その天下の名医が、過労から咳が止まらなくなった時、心配した母親がナシ汁を持参したところ、ホ・ジュンが素直にこれを受け取るシーンがありました。名医は民間療法にも通じているのでしょう。普段から食品としている野菜や果物が、実は立派な薬であるという「医食同源」の教えは肝に銘じねばなりません。
実は、先の『東医宝鑑』はホ・ジュンが編成した、朝鮮で最初の漢方医書だったのです。韓国では今でも『東医宝鑑』に基づいたナシとショウガとハチミツで作った「ペスク」という飲み物が、風邪やノドの炎症に適した民間薬になっています。ちなみに、ナシをお送りくださった和歌山のご信徒もまた、勤勉な女医さんでした。
秋の果物は夏の熱を除きつつ、寒さへの予防となるのです。自然の恵みは、私たちの体を守るように働いているのです。何んという神業でしょうか。
続々・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月11日
私は今、秋彼岸会の前行に入っています。毎朝の光明真言法の折、秋彼岸会にお迎えするご先祖のため、特に塔婆建立(特別供養)をした諸精霊のため、念入りな実修をしています(写真)。

塔婆建立のお申し込みはかなり増えておりますので、私は旅館の主人にでもなったような気持ちで応対しています。お客様が多くれば、もちろん忙しくなります。特にこのところ、熟睡していないような気がするのです。
就寝しても、何かざわめきを感じます。ドアをノックされたり、「住職さん!」と呼ばれたような気がして眼が覚めるのです。そんな時は真夜中でも本堂に行き、回向殿に灯明をともし、お香をたいて「23日(秋彼岸会の当日)まで、もう少しですよ」などと、お話をしています。いずれは私も、あの世に往くのです。睡眠妨害と思わず、今から慣れておくのも楽しいものです。
私は休日もなく、旅行に出ることもなく、三ツ星レストランに行くこともありませんが、あの世の人たちと異次元の楽しみがあります。そして、私を信頼してくださる弟子僧やご信徒の皆様、宗派を超えて遠来する僧侶の方々のお役に立てることが無上の楽しみとなりました。決して過言ではありません。ささやかな一生を、縁ある方々のために捧げたいと思っています。
*あさか大師では、光明真言による先祖供養に心血を注いでいます。住職も全国の弟子僧も、それぞれの地域で毎日の念誦に励んでいます。念誦の統合なくして、不思議な霊験は現れません。この先祖供養に参加をご希望の方は、ホームページの「お問合わせ」からご連絡ください。人生のルーツである父母両家を、一日も欠かさず実修します。遠方の皆様には郵送します。
続・先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月8日
私たちは初めてなのに、以前に出会った、あるいは体験したように思うことがあります。心理学ではこれを既視感(フランス語「デジャヴ」の和訳で、すでに見たという意味)といい、脳の錯覚や情報処理のズレとされています。
しかし、私は大胆な仮説として、睡眠中にあの世と交流した記憶の片鱗なのだと考えています。この世はあの世の写しです。この世でおこることはあの世で先におこっています。20代の頃、私が師僧の寺(坂東第十七番)に初めてうかがった時、そのことを実感しました。これは睡眠中に、自分の幽体が肉体をぬけ出した中での体験だったのです。
よく、「〇〇さんの生き写し」などといいます。「〇〇さんの身代わり」などともいいます。これもあの世にいる「〇〇さん」の意志が強く働いていると思います。他界した人の夢を見た場合、たとえ記憶から薄れていても、気づかぬところで人生の一部をなしていることは間違いありません。遠いはずの人が急に接近するのも、この世とあの世の不思議さであり、おもしろさでもあります。
先祖供養をしていると、ドアをノックされたり、足音を聞くことがあります。以前は真夜中にインターホンを押され、あわてて玄関を開けたものでした。もちろん、この世の現実には誰もいません(睡眠妨害になると思うのか、最近はなくなりました)。迷惑になることもありますが、これもこの世とあの世のおもしろさです。
また修法中に、お灯明の炎が二倍以上も高く燃え上がったり(写真)、風もないのにゆらいだりすることがあります。

通常のお灯明なら、この半分も行きません。常識では考えられないことです。これはお護摩と同じで、〈火〉が異次元と感応しやすいためです。特に私は、仏様やご先祖様が喜んでいらっしゃると感じています。歓喜のリズムに似ているからです。視覚で体験する、あの世との楽しい接点です。
真言密教の修法は苦しいこともありますが、お大師様を信じ、そのお力を信じれば、楽しいことがたくさんあります。この世の楽しみは、まずあの世の楽しみから、と思っています。
*あさか大師の先祖供養に参加をご希望の方は、筆者のブログやホームページの「先祖供養」をご覧になり、「お問合わせ」からご連絡ください。一ヶ月2千円で、父母両家の供養を毎日受けることができます。遠方の皆様には郵送します。
先祖供養は何が楽しみか
令和8年9月7日
あさか大師では9月5日(土)・6日(日)の午後1時より、総回向法要(先祖供養)を勤修しました。雨天にもかかわらずご信徒の皆様が参集し、霊前にむかって読経の功徳を捧げました(写真)。

この法要は単なる回向ではなく、私たちのルーツである父母両家にアプローチする「人生を変える先祖供養」を目ざしています。そしてお経を読誦するにとどまらず、真言密教の行法によって仏を呼び、先祖に対しても直接にパワーを送ることができます。
先祖供養による霊験は数知れませんが、私たちが思いを寄せる人たちと、あの世でどんな再会をするか、それも楽しみの一つでありましょう。あの世は時間と空間の制限がありませんので、会いたい人との想念が通じれば、必ず会うことができます。
睡眠中に他界した人と出会うのは、この世とあの世を交流するからです。いわば、どなたでも幽体離脱を体験しているということです。そんなバカなと思うかも知れませんが、それは睡眠から覚めて「夢もみなかった」と思うに等しいことです。夢はどなたでも、睡眠中に体験します。ただ、目覚めてからの記憶にないだけなのです。霊媒師が自分が話したことを、何も覚えていないのも同じ理由です。
私は毎朝の行法で、ご信徒の皆様はもちろん、自分の先祖も読み上げしています。それは私があの世へ往った時の楽しみでもあるからです。四十九日(中陰)の幽界で会えるか、三途の川の向こう岸で会えるか、あの世で過ごす霊界で会えるか、もしかして天上界で会えるか、考えるとわくわくします。先祖供養の楽しみであり、また醍醐味でもありましょう。
*あさか大師の先祖供養に関心のある方は、筆者のこれまでのブログやホームページの「先祖供養」をご覧いただき、「お問合わせ」からご連絡ください。
9月の伝道法語
令和8年9月5日
9月の伝道法語です(写真)。秋彼岸にちなんで境内に掲示し、ご参詣の皆様にご披露しています。

この世とあの世は共にありますが、川の両岸に喩えることもできます。すなわち、この世を此岸とするなら、あの世が彼岸です。迷いの多いこちら側が此岸なら、悟りを意味するあちら側が彼岸です。そして、その間に流れるのが「三途の川」です。だから、これをどう渡るかが、人生の一大事といえましょう。
仏教は地獄絵図によって、善事によって功徳を積まねばならぬことを教えてきました。三途の川には奪衣婆がいて、亡者の衣類をはぎ取り、その重さを測るという象徴的な姿でこれを説いています。衣類の重さを測るとは、生前の地位や財産への執着、業の深さを意味します。
つまり、すべてを捨てた裸の自分がさらされ、あの世に持ち越せるものは功徳だけであることを教えているのです。三途の川をどう渡るかは、この世でどれだけの善事をなし、どれだけの功徳を積んだかで決まります。
水上を飛ぶように渡る人は業が軽く、生前の功徳が豊かな人です。逆に石を背負ったような足取りで渡る人は、残念ながら生前の功徳が足らない人です。いずれの姿で三途の川を渡るか、それはこの世の生き方しだいです。
9月の強運者
令和8年9月4日
9月7日~10月7日までが、暦法での9月となります。一白水星が中宮するので、南が暗剣殺、北が五黄殺、東が月破となり、注意する方位です(写真・北が下となり、一般の地図とは逆になります)。

9月の強運者は、一位が九紫火星、二位が二黒土星、三位が五黄土星です。
九紫の人は巽宮(木星)にあって自分(火星)が生じられるため、きわめて強運です。パワーがあふれ、目標を達成するに必要な人や情報が集まってきます。かかえている問題を解決する好機にもなりましょう。熱意をもって前進し、最後までやり抜くことが大切です。
二黒の人は乾宮(金星)にあって、自分(土星)が影ながら尽くすことで、成果を得ます。特に目上や上司への配慮を怠ってはなりません。誠実に勤めることで信用が高まり、必ず認められます。決して結果を急がず、あせらずに海路の日和を待ちましょう。
五黄の人は離宮(火星)にあって自分(土星)が生じられるため、強い運勢に恵まれます。過ごしやすい季節と共に、やる気が出ることでしょう。ただ、分離作用がはたらくので、口論や仲間割れには注意しましょう。〈和〉の大切さを忘れぬことです。
その他の人は、ホームページの「今月の運勢」をご覧ください。〈運〉は人の生き方と心がけが作るのです。暦はそのための指針となります。。

