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あさか大師
平成31年3月26日
当山隣接の桜並木が、昨年の今日は満開でございました。今年はどうやら明日あたりが開花のようでございます。
私がこの地に「あさか大師香林寺」を建立しようとした理由はいくつかございますが、そのひとつがこの桜並木にほかなりません。そして、花のかおりをそのままに、「香林寺」の寺号を選んだのでございます。また寺紋も当然、桜に決したことは申すまでもございません。
ところで、この桜の蕾を見ておりますと、どことなく梅に似ているような気がいたします。梅と桜と、皆さまはどちらをお取りになりますでしょうか。実は平安時代までの花見といえば、それは梅だったのございます。『枕草子』に「木の花は濃きも薄きも紅梅」とあるのを見れば、納得なさいますでしょうか。
昔、ある僧が「梅の僧正」と呼ばれておりました。生活は何ごとも梅と共にあり、その手入れに怠りはありませんでした。育てあげた梅を自らも褒め、多くの人々もまた褒め讃えたのでございました。
ところがある日、気づいたのでございました。「熱心であるとは、執着ではないのか」と。あの世に持ち込めるはずもない梅に執着するとは、悟りの妨げではなかろうかと、そのように考えたのでございました。
僧はついに決心いたしました。そして、心血を注いだ梅を、すべて伐採してしまったのでございます。その庭にはたくさんの切り跡だけが残りました。
ところが、僧は自分の決心になお疑問が残ったのでございました。執着は断じた。しかし、断じたそのこともまた新たな執着ではなかったのか、と。
このお話、どうぞ皆さまご自身でお考えになってみてください。