『鬼平犯科帳』の舞台・新河岸川

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あさか大師

平成31年3月27日

 

私が埼玉県朝霞市の新河岸しんがしがわ付近に「あさか大師香林寺」を建立しようとした理由は、実はほかにもございます。

当山付近の新河岸川の流れ

 

私は池波正太郎著『鬼平犯科帳』の大ファンでありまして、毎晩床に入るや、ふとんの中でその文庫本を愛読するのが日課なのでございます。その中で「大川の隠居」や「流星」には、浜崎の友五郎という川越船頭が登場いたします。川越船頭とは、原作には「武州の川越(埼玉県川越市)と江戸をむすぶ新河岸川の舟運にはたらく船頭のことであった」とあり、私はまさに『鬼平犯科帳』の現場で毎日暮らしていることになるのでございます。

三代将軍・徳川家光の重鎮・松平まつだいら伊豆いずかみ信綱のぶつな公が川越城主となるや、江戸と川越の流通の便をはかるため、川越街道の陸路に加え、正保四年にこの水路が開かれました。「新河岸川は荒川の西方を六、七町ないし一里ほどの間隔をもってながれている。(中略)だから川越の船便は、ここから荒川に入り、江戸の千住へ着き、さらに終点の浅草・花川戸まで通うことになったのである」と。「智恵の伊豆」と称された信綱公の面目が躍如いたします。

川越から江戸に積み出す荷物は、醤油しょうゆ・綿・穀物・麺類・炭などが多く、逆に江戸からの帰りの荷物には呉服・油・砂糖・酒類・荒物・小間物などと多彩を極めたそうでございます。新河岸川には各地に河岸場があり、それぞれに船問屋が繁盛をしておりました。

私の寺は「川越の南、四里半ほどのところ」とあり、なめるように原作に溺れつつ、今夜も眠りに就くのでございます。

山路天酬密教私塾

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