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あさか大師
平成31年3月25日
当山の〝カンバン〟ともいうべき板額が、玄間の上に飾られております。
右から左に向かって「遍照殿」と読み、私が揮毫いたしました。
〝遍照〟はもちろん、お大師さまの灌頂名(灌頂の儀式で授かった名)である「遍照金剛」からいただき、その正殿という意味でございます。用材はミズメザクラで、川越の銘木店で見つけました。長さ162センチ、巾51センチでございます。木曽の漆職人にて十数回磨き上げ、やっと完成いたししました。
私が木曽漆に魅せられた機縁は、同年生まれの親友・本多秀実師(観音寺住職)に誘われ、本場の漆器に接したことに始まりました。また、地元の伝統工芸館には長野冬季オリンピックのメダルが展示され、文字どおり「ジャパン(欧米では漆器や蒔絵を意味します)」を代表する技術に驚嘆したのでございます。
しかし、それ以上に私が感動したのは、地元の小学校で使われている給食用の漆器でございました。まさにお盆はもちろんのこと、飯椀・汁椀・惣菜皿・小鉢・箸など、すべてが総朱塗りの漆器でございました。
このような漆器で給食をいただく子供たちは、「食育」などという言葉さえ不要でございましょう。そして、世界に誇る木曽漆に誇りをいだき、生涯の思い出と精神的な財産になるはずでございます。
人は何ごとでも、〝用をなせば〟よいというものではございません。暮らしがあり、文化があり、教養があるならば、少しでも豊かさを求めるのが常でありましょう。100円ショップは便利でございますし、また利用するのは当然でございます。しかし、本当の豊かさとは何かを考えることも、また必要な〝智恵〟なのでございます。