人は臨終で何を思い出すのか

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人間

令和5年3月2日

 

人はターミナルステージ(末期)を迎えた時、子や孫の名をさかんに呼ぶことがあります。これはこの世で過ごした家族への想いがこみ上げて来るからでしょう。また、現実には誰もいないのに、子や孫がそこにいるといった幻覚を伴うことも特徴のひとつです。私も思い当たる例を、何人か知っています。

また、例外なく「水が飲みたい」と訴えます。すでに体は衰弱し、呼吸や発声もむずかしく、水を飲み込むのも困難なはずなのに、もうろうとした意識の中で水を欲するのはなぜなのでしょうか。特に私の祖父がそうであったことをの当たりにして以来、私は長い間このことが気になっていました。

私論をお話するなら、これは母親の胎内で羊水ようすいに浸っていた記憶がよみがえっているからではないでしょうか(写真提供・竹内正人医師)。血液の主成分は水です。その血液の流れる肉体が終ろうとする時、この世に誕生する前の、胎内での〝ふわふわした思い出〟が浮上するのだと推察されるのです。それだけに、水と生命が密接に関わっていることは言うまでもありません。水こそは生命が欲する最初の、そして最後の物質なのです。

また、さらにお話をするなら、いわゆる〈末期まつごの水〉もまた、この羊水への回帰を意味するのではないかと私は思っています。意識が肉体を離れるその時、末期の水は最高の贈り物です。そして、人の想いを伝える最高の媒体ばいたいも水です。真言密教では修法の始めに、水を用いた〈洒浄しゃじょう〉という作法で道場を清めます。仏壇にも必ず水を供えます。お墓参りにも、まずは水桶が必要です。人は水がなければ、この世もあの世も生きられません。

単に、乾いた唇を湿らすだけではないのです。あの世に旅立つ大切な儀式です。末期の水を差し上げるだけでも、旅立つ人はその人に感謝を捧げるはずです。決して、おろそかにはなさいませぬよう。

山路天酬密教私塾

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