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社会
令和元年9月13日
今や、スマホはなくてはならない生活の必需品です。私はきわめて基本的な操作しかできませんが、もちろん愛用しています。車を運転中でも、電話に出ねばならないことが多いからです。しかし、常に心がけていることは、スマホを使っても使われないということでしょうか。
電車に乗れば、ほとんどの乗客がスマホを操作しています。混雑で人にぶつかっても、歩きながらスマホを操作しています。自転車に乗った高校生が、平気でスマホの操作をしています。喫茶店やレストランでは、入りながらスマホ、料理が運ばれてもスマホ、トイレに立ってもスマホです。ラーメンを食べながら、牛丼を食べながら、回転ずしを食べながら、ここでもスマホです。
先日、待ち合わせで近くの駅に行きましたら、ある女子大生の方たちがスクールバスを待つ列を作っていました。30人近くでしたが、教科書や文庫本など読む姿など一人としてありません。全員が全員、すべてスマホです。おそらく、家族との食事中でもスマホなのでしょう。かつては、テレビが家族の会話を奪いましたが、現代はさらにスマホが拍車をかけています。
眼科の医院に行けばわかりますが、大人も子供も視力障害で大にぎわいです。それでも、待合室ではスマホを手放しませんん。親が注意すればいいのにと思えば、その親もまたスマホに夢中です。
笑われるかもしれませんが、これはどれほど寛大に見ても、明らかに異常です。依存症としかいいようがありません。私はこれを「スマホの狂宴」と名づけ、こういう〝宴会〟ばかりは遠慮しようと心がけています。スマホを上手に使って使われぬための、そういう名案はないのでしょうか。