1010回目のYES!

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令和元年8月8日

 

赤い建物の前で白いスーツを着たおじいさんの人形を、駅前などで見かけます。皆様もご存知と思いますが、ケンタッキー・フライドチキンの創業者であるこのおじいさんをカーネル・サンダースといいます。私はフライドチキンを食べることはほとんどありませんが、彼について知っていることをお伝えします。

彼は1890年、アメリカのインディアナ州に生まれました。幼くして父を失い、工場で働く母を助けるために、6歳で料理を始めました。そして、7歳の時に焼いたパンを母から絶賛され、「おいしいもので人を幸せにしたい」と願うようになりました。

10歳の折、貧しい家計を補うために働きに出で以来、実に40種以上の職業を転々としました。ひと時は軍隊にも入りましたが、1年で除隊となり、波乱な青春を送りました。30代後半にガソリンスタンドを起業し、その一角に小さなレストランを開きました。料理の評判も良くまずまず繁昌しましたが、近くに新しいバイパスが出来たために車の通行が途絶え、倒産しました。すでに65歳でした。

多額の借金をかかえて途方に暮れていた彼は、秘伝のスパイスを使ったフライドチキンのレシピを売るため、たった一台の車で全米を走り回りました。ホテル代を節約して、車内で寝起きもしました。しかし、どれほどに各地を回っても、70歳近いおじいさんのレシピになど、誰も耳を貸しません。「NO!」と断れた数、1009回といわれています。しかし、彼の不屈の精神は、ついに1010回目にして「YES!」の契約を得たのでした。

そのフライドチキンはまたたく間に評判を呼び、73歳にして600店舗のフランチャイズビジネスを成功させました。その後は〈味の親善大姉〉として世界中を回り、90歳で他界しました。

このお話で私が忘れられないのは、1009回断られても、なお次の1010回目のドアに立ち向かうその勇気と情熱なのです。また、それくらいでなければ、あのような富豪にはなれないことも知りました。私などにはとても及ばぬ偉業ですが、脳裏の片隅でいつも輝いているエピソードです。

彼のモットーは、「できることはやれ!」「やるなら最善をつくせ!」でした。

山路天酬密教私塾

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