日の吉凶判断
令和元年11月14日
真言密教では日の吉凶を決める場合、『宿曜経』という経典に説かれる「二十七宿」、あるいは「二十八宿」によって判断します。
私も入籍の日、結婚式の日、開店日、移転日などを問われた場合、これに基づいてお答えしています。つまり、ここでは世間でよく言われる「大安」や「仏滅」は、本来はまったく無視してもよいのです。しかし、おめでたい日が「仏滅」で喜ぶ人はおりませんので、そこは兼ね合わせて判断する必要があります。
問題は、その「二十七宿」と「二十八宿」のどちらの説を用いるかです。皆様がお持ちの暦でもこの両説があって、どちらが正しいのかとよく質問を受けます。むずかしいお話はともかく、結論を申し上げれば、『宿曜経』を請来されたお大師さま(弘法大師空海)は「二十七宿」を用いられました。あさか大師でお渡ししている「開運暦」も、これに従っています。
日本に現存する最古の『宿曜経』は高野山の霊宝館にあり、平安時代の写本ですが、これはもちろん入手することはできません。ところが、2011年の東京古書会館大入札会で京都の同志社大学が、これに次ぐ時代の写本を落札しました。これは高野山のものと比較しても、決して劣るものではありません。写真は私が所蔵する、そのコピー製本です。
皆様が「二十七宿」か「二十八宿」か迷うことがありましたら、必ず「二十七宿」に従ってください。お大師さまが用いられたのですから間違いはありませんが、『宿曜経』で実際に占いをしている先生方も、みな「二十七宿」を用いています。
平安時代の貴族が用いた暦には、「二十七宿」の下に予定を書き入れるの欄があります。つまり、当時は暦が予定表だったのです。「二十七宿」がそれほどに、生活の中に溶け込んでいた事実も申し上げておきましょう。
「前略」はやめましょう
令和元年11月12日
私はかなり手紙をいただきますし、自分でもマメに書くほうです。何もかもメールで済ませる方がいますが、重要な要件はやはり手紙でこそ誠意が伝わるものです。
手紙は慣れれば苦もなく書けますが、現代人の多くは不得手なようです。しかし、手紙には差出人の教養が赤裸々に出ることは覚悟せねばなりません。特に公用文に誤りがあれば、役所や会社の信用まで落としてしまいます。
手紙の関して、気になることを一つだけお話しましょう。
それは、受取人が誰であれ、「前略」で書き出す方があまりにも多いということです。時候や冒頭の挨拶が面倒なのはわかりますが、目上や未知の人に対して「前略」は失礼です。つまり、社長室にノックもしないで入るようなもので、常識を知らないと判断されてしまします。「前略」はあくまで、親しい者どうしと自戒し、一般的な「拝啓」と「敬具」を礼儀と心得ましょう。
『手紙の書き方』等の本がなくとも、今はネットで検索すれば、月ごとの時候の挨拶が出ています。それすら面倒な方は、「拝啓 時下ご清栄のこととお慶び申し上げます」などと書き出せば充分です。
お大師さまは手紙の達人でいらっしゃいました。常に相手の健康や生活を気づかい、細かい配慮をなさっておられました。いや、偉人とされる方は、みな同じです。たとえ豪放磊落に見えても、細心誠意を重ねるものです。
ちなみに私は、手紙はほとんどパソコンで書き、相手の名前はポイントを上げて大きく入れます。ただし、文末の署名と封筒の宛名は毛筆で揮毫しています。すべてパソコンというのも、味気なさは否めません。
メールの時代だからこそ、手紙はうれしいものです。万年筆なども、人気が高まっていると聞きました。ぜひ、手紙の書き方に慣れていただきたいものです。お人柄が伝わりますよ。
納豆バンザイ!
令和元年11月11日
私は栃木県の農村で育ったせいか、食卓に納豆を欠かすことはありません。年齢のわりには若く見られますが、その秘密は毎日、納豆を食べているからです。
健康によいといわれる食品の中で、どれか一つを選ぶとすれば、「それは納豆です」と多くの医師や管理栄養士が語っています。同じ大豆発酵の食品でも、味噌の塩分を気にする方は多いはずです。完璧な栄養源といわれる卵も、コレステロールに賛否があります。DHAやEPAを多く含んだ青魚も、海の汚染物質を心配する方がいます。ヨーグルトの乳酸菌が腸内環境を整えるといっても、体質に合わない方がいます。トマトのリコピンには抜群の抗酸化力がありますが、体を冷やす欠点があります。つまり、世界中の食品を見渡しても、ただ一つ文句をいわれないのが納豆なのです。
納豆には若返りの成分であるポリアミンが多く、免疫細胞がよみがえり、動脈硬化を予防し、長寿をもたらします。そのほか、ビタミンB₂が多いにもかかわらず、脂肪やコレステロールを気にする必要がありません。また、粘り成分のナットウキナーゼは血栓さえ溶かします。血栓は就寝中に発生しやすいので、納豆は夕食に食べるとよいでしょう。
かつて、関西の方はほとんど納豆を食べませんでした。私が二十代で京都の醍醐寺に入った頃、食事作法で『般若心経』を唱えていると、関東僧侶のもとに納豆が回って来たものです。作法が終ると、私の前には四つも五つも納豆が並んでいました(笑)。でも今は、関西でも若い方は納豆を食べますし、ホテルのバイキングにも納豆が置かれています。
皆様、ぜひ納豆を見直してください。あらゆる食品の中で、最も理想的な逸品が納豆なのです。「納豆バンザイ!」です。
「政」とは「祭りごと」
令和元年11月10日
今日は「祝賀御列の儀」のパレードで、日本中がわきました。
午前中より来客があり、午後は弟子の一人に伝授もしましたが、午後2時半に体が空きました。テレビでその祝賀パレードを拝見しましたが、まさに両陛下と国民が一体になった感じです。人間どうしが一体になるには、祭典や儀式が必要なのだと思いました。つまり、「政」とは「祭りごと」だということです。お祭りをすることが、政治の根本なのです。
全国各地にいろいろなお祭りがありますが、人はこれに参加するから一体になれるのです。秋に稲の収穫があれば、それを地元の神社にお供えしてお祭りをします。その後で、みんなで直会(食事)をします。だから仲よくなれるのです。言葉で「みんな仲よくしましょう」などといっても、たかが知れています。つまり、人間社会には祭典や儀式が、つまり宗教が必要だということなのです。
もちろん、「祝賀御列の儀」に宗教色はありません。しかし、行例を組んで進み、集まった人々と共に喜び合う祭典や儀式は宗教の真骨頂といえましょう。そして、それによって一体感が生まれ、よい政治ができるのです。両陛下も総理も官房長官も、今日は最もよい政治ができたのです。
それにしても、両陛下は沿道の国民に笑顔を絶やさず、4・6キロ、30分間の距離を、休むことなく手を振り続けられました。私たちには理解し得ないご苦労があったはずです。日本人のほとんどは皇室を大切に思っています。絶えることなく存続していってほしいものです。
久しぶりの上棟式
令和元年11月9日
このところ忙しさに拍車がかかり、なかなかブログが書けません。今夜も書いている内に、たぶん日付が変わってしまうでしょう。
今日は久しぶりの上棟式がありました(写真)。上棟式は棟や梁の組み立てが終って神さまに感謝し、建て主が棟梁や職人さんをねぎらう儀式です。
最近は地鎮祭も上棟式も依頼が少なく、とても残念です。皆様は苦労をして、やっとの思いで土地や家を〝買った〟と思うでしょうが、実は違うのです。確かに不動産会社や工務店に大金を支払います。人生で最も高価な買い物です。
でも、正確に申し上げるなら、土地や家は買うのではなく、その土地の神さまから〝借りる〟ということなのです。「しばらくここをお借りして居住させていただきます」という意味なのです。そして、借りる以上は挨拶をせねばなりません。だから、工事の前には地鎮祭を、工事途中には上棟式をするのは、当りまえのことなのです。古い棟梁なら、それがわかっています。建て主がやらなければ、自分たちだけで酒や塩を用いて、地鎮祭や上棟式をします。
しかし、特に建て売り住宅などは、売ることばかりが優先して、地鎮祭も上棟式も眼中にありません。注文住宅であっても、工務店が勧めなければ、建て主もわからいないまま着工し、やがて完成したその家に入居します。
その結果、どのようなことが起こるかは、ここで詳しくはお話しません。ただ、入居して以来、何となく体の不調を訴える方が多いことだけを申し上げておきましょう。そして、そのような方が、私のもとに相談にいらっしゃるという事実だけを申し上げておきましょう。
人生で最も高価な買い物といえでも、借り物なのです。いや、仏教はこの世の一切の所有が、借り物であることを説いています。自分の体も借り物、財産も借り物、地位も借り物です。借りた以上は、いつかは〝返す〟のが当たり前です。また、借りる前と借りた後には、挨拶をするのがこの世のルールです。
もう、おわかりでしょう。やはり、日付が変わってしまいました。このブログは、昨日のものです。
世界三大美人
令和元年11月6日
一昨日は現代女性のダイエット志向に、苦言を呈しました。その続きをお話します。
世界三大美人とされる、クレオパトラ・楊貴妃・小野小町を比較してみましょう。もちろん、古い歴史上の方ばかりですから、伝承される画像を絶対的に信用することはできません。しかし、まったくの根拠もなく伝えられたとも思えません。
クレオパトラは多くはかなり細身で描かれています。ナイルの泥で体を洗って、ダイエット効果があったのでしょうか。しかし、伝えられる楊貴妃と小野小町は、どうやら小太りです。私が若い頃に師事した書道の先生は、中国の歴史にかなり精通していましたが、「楊貴妃は小太りな女性だった」と、よく語っていました。
また、私は小野小町の歌仙(肖像画と詠んだ歌を書いた色紙)を三点ほど所持していますが、みな下ぶくれで小太りです。昔の男性が好んだ理想の女性は、少なくとも現代とはかなり違っていたように思います。現代女性は極端に痩せたモデルさんあたりを、理想の体形としているような気がします。
ついでにお話しますが、この世で最も美しいとされるミロのビーナスも、やや太めです。また、ビーナスによく似ているとされて話題になったイスクラ・ローレンスさんというモデルも、一般モデルの概念を破って、やや太めです。ウエストの幅を1とすると、肩幅は1・6、バストトップの距離が0・8、ヒップは1・4だそうで、女性下着メーカーはこぞってこの比率を研究しました。
自分は太っているとお思いの女性は、多いに自信をもってください。太めで健康な女性を好む男性は必ずいます。またビーナスも、楊貴妃も小野小町も小太りであったと覚えておきましょう。今日は仏教とは何の関係もなく終ります(笑)。
何でそんなに痩せたいんですか!
令和元年11月4日
綾小路きみまろさんが〈爆笑ライブ〉で言っています。「何でそんなに痩せたいんですか!」と、ね。
現代人の、特に女性のダイエット志向はあまりにも異常です。男性の私が見ても美しいスタイルの女性が、みな「痩せたい!」と言います。結婚している女性なら、なおさらです。妊娠中に無理なダイエットをしたために、出産した赤ちゃんの体重が足りない傾向にあります。2500g以下が多いようでは、困ったものです。
朝食をぬき、昼食はサラダだけと続ければ、ストレスのたまった夕食でドカ食いするのは当りまえです。体は何とかしてカロリーを維持しますから、太るのも、また当りまえです。それに、現代はカロリーばかりが多く、栄養失調をもたらす食事があまりに多過ぎます。
糖質制限にも問題があります。糖尿病患者さんのために考案された食事が、ダイエットに適応するはずがありません。また、縄文時代の狩猟生活で、肉や魚ばかりを食べていたとも思えません。特に日本人は、ご飯を食べてこそおいしいと思い、健康を維持してきたはずです。
私は以前、糖質制限をしたらどうなるかを、自分の体で実験したことがあります。たしかに脂肪が落ちて痩せました。同時に、筋肉まで落ちて力が入りませんでした。それは、ご祈祷で太鼓を打った時に感じました。いつものような、迫力ある轟音が出ないのです。自分にはご飯が必要なのだと、その時に気づきました。糖質制限をしていても、ほどほどのご飯は食べるべきです。
太っていても、魅力ある女性はたくさんいます。健康で生き生きと生活できる体形を維持してください。そして、丈夫な赤ちゃんが産める食事を心がけてください。
標準体重で健康度がわかるのか
令和元年11月3日
私は標準体重を信用しません。
なぜなら、筋トレをしたスポーツ選手などは、確実に肥満になってしまうからです。特に猛稽古とちゃんこ料理で作り上げたお相撲さんの筋肉まで、すべて肥満になってしまいます。また標準体重で肥満の人は、糖尿病や動脈硬化が発病するという説も、あまりに飛躍しています。人にはそれぞれの体質があるのですから、痩せている人もいれば太っている人もいるのは当然のことです。
一般に聞かされる【身長-100×0・9】、あるいはBMIの【体重×身長の2乗】では、内臓脂肪や皮下脂肪は検出できません。また脳の萎縮度や骨密度、また血管の弾力性も検出できません。
アメリカの医師・オスラ―博士の「人は血管とともに老いる」は名言中の名言です。健康度は内臓脂肪や皮下脂肪を含め、脳年齢・骨年齢・血管年齢等を総合的に判断すべきだと思います。健康診断での血液検査や内臓検査に加えて、こうした健康度が気軽に測定できることを望んでいます。
ところで、仏像や仏画を見ればわかりますが、ほとんどの仏さまが〝肥満〟です。インドの神さまも同じです。私の従兄弟に仏像を彫っているいわゆる仏師がいますが、彼はよく「仏さまは肉体労働者だ」と語っていました。
つまり、それほどに筋肉が発達しているということなのでしょう。これは痩せることばかりが力説される現代とは違った、何かがあるはずです。ダイエット流行の真っただ中にあっても、考えるべきことです。
暦と九星気学
令和元年11月2日
本日は月始めの〈総回向〉で、大勢の皆様がお参りされました。また、沖縄から僧侶の方がわざわざお見えになり、いっしょに読経をしてくださいました。
皆様には来年の暦をお配りし、簡単な説明をいたしました(写真)。わかりにくいかも知れませんが、中央でパネルを持ってお話しているのが私です。
私は『九星気学と加持祈祷』(青山社)という著作を刊行しましたが、その目的は特にお寺のご住職に、暦のこと(特に九星気学)を勉強してほしいからでした。
なぜなら、今日では一般の方でも、暗剣殺・五黄殺・表鬼門・裏鬼門・歳徳神といった言葉をよく知っています。また、厄年への関心から、自分の九星がどんな運勢にあるかもよく知っています。ところが、檀家の方がそのお話をしても、肝心のご住職が何のことだかわからないという現実ががよくあるのです。かといって、檀家の方に質問するわけにもいきません。
また、真言宗のお寺で〈星祭り〉の行事をしていても、その年の〈当年星〉がどうしてその配当になるのか、まったくわかっていません。せっかくの年中行事が、これでは片手落ちというものです。
僧侶は占い師ではありませんから、専門の易占学校に通わずとも、私の著作に書かれているほどの知識があれば充分です。ぜひ暦に関心を持ち、初歩的な九星気学を勉強していただきたいと思います。
私はこれまで、京都の仁和寺をはじめ、いくつかのお寺で九星気学の講習会をしました。ほとんど一日の日程でしたが、お聞きいただいた僧侶の方々が熱心に受講され、星祭りについても納得してしただけたことは、とてもうれしいことでした。今、九星気学の続編を執筆していますが、さらに幅広く学んでいただけることを望んでやみません。