2019/08の記事

ウワサ話から離れる

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仏教

令和元年8月21日

 

かなり以前のことですが、忘れがたいほど賢い女性がおりました。

彼女はさほどには目立ちませんでしたが、ウワサ話が始まると、いつの間にかその場を離れるのです。それも、さり気なくです。その場の人には用事を思い出したようにさえ見えるのです。とても賢い女性だと思いました。ウワサ話について考える時、私は今でも彼女のことを回想するほどです。

およそ、ウワサ話ほど厄介やっかいなものはありません。同じような話があちこちに広がり、尾ひれがついて次第に誇張こちょうされるからです。まるで〈レベル1〉から〈レベル5〉へと段階を踏むかのように、その内容は誇張されて行きます。よく「ここだけの話」と言いますが、ここだけの話がここだけに終わることは絶対にありません。ここだけの話は、大いに広めてもらいたいと、ダメ押しをしていることと同じなのです。

「みんなが言っている」と言いますが、実はたった一人が言っているに過ぎません。しかし、そのたった一人のウワサ話はまたたく間に広がります。そして、そのウワサ話の当人の心を傷つけるばかりではなく、時には社会問題に発展し、時には命をうばうことさえあるのです。

これを「舌刀ぜっとう」といい、人のした(言葉)は刃物になることを示しています。その刃物が人を傷つけ、命を奪うのです。また、仏教のいましめで最も多いのも言葉のことです。不妄語ふもうご(ウソを言わない)、不綺語ふきご(尾ひれをつけて言わない)、不悪口ふあっく(悪口を言わない)、不両舌ふりょうぜつそむいたことを言わない)がこれです。ウワサ話が始まったら、ソッとその場を離れることです。

夫婦に最も大切なこと

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夫婦

令和元年8月20日

 

今日は夫婦の問題で、ご相談がありました。

いつも思うのですが、夫婦はもともと〝アカの他人〟です。アカの他人がある時から共に暮らし始めて、何の問題も起こらぬはずがありません。だから、私は「夫婦は長い修行です」とお話をしています。長い時間をかけて、その間のさまざまな問題を乗り越えて、やっと〝本当の夫婦〟になれるのです。

イギリスの詩人で劇作家のオスカー・ワイルドに、こんな言葉があります。

「結婚して三日間は男も女も夢中である。三ヶ月間は互いに相手を観察する。そして三年間はやさしく愛し合う。しかし、後の三十年間はともどもに我慢がまんし合って生活するものである」

身に覚えのある方は、ハッと胸をつかれるはずです。ところが、彼は続いてこうも言っています。

「しかし、この後の三十年間、お互いにすっかり鼻についてから夫婦の本当の愛情が湧き出して来るものである」

つまり、本当に夫婦らしい夫婦になるには三十年かかるのです。ではその長い修行の中で、何が最も大切なのかといえば、私は挨拶あいさつを交わすことだと思っています。夫婦だから必要がないのではなく、夫婦だからこそ大切なのが挨拶であるからです。

よく、他人を評して「ろくに挨拶もしない」と批判する方がいますが、ではその方は奥様と挨拶を交わしているでしょうか。奥様のことを、「オイ!」と呼んではいないでしょうか。挨拶の〈挨〉は心を開くことです。〈拶〉は近づくことです。相手が先に挨拶をしたなら、では挨拶にはなりません。心を開いて、自分から相手に近づかねば挨拶にはなりません。朝の挨拶、帰りの挨拶、就寝の挨拶、と、これだけでも夫婦は変わります。そして、挨拶を交わしている夫婦は、まず大丈夫です。

皆様も、夫婦の間で挨拶を交わしてください。わかっていることだからといって挨拶をしないのは、お客様やお得意様に挨拶をしないのと同じなのです。挨拶は夫婦に最も大切なことです。

日本第一の偉人

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人物

令和元年8月19日

 

日本の歴史上、最も偉大な人物を一人あげるとすれば、私は弘法大師空海(以下、単に大師とします)であるとお話しています。自分の宗祖でもありますが、どのような角度から考えても、大師の右に出る人物はおりません。レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロと並ぶ、世界史上の巨星でもあります。

もちろん、歴史ファンなら織田信長・豊臣秀吉・徳川家康といった戦国武将や、西郷隆盛・坂本龍馬・勝海舟といった明治維新の立役者をあげるでしょう。そのほか時代を問わず、考えられる人物は何人もいます。しかし、その人間的品格・生涯の業績・後世への影響などを照合すると、大師をおいてほかに求めようはありません。

大師は仏教的な業績にとどまらず、天皇の顧問でもあり、教育者でもあり、文学者でもあり、書道の大家でもあり、土木事業の指導者でもありました。このことは、たとえば聖徳太子や二宮尊徳などと比較しても、そのスケールの大きさははかり知れません。単に真言宗の宗祖とするには、あまりにも偉大であり過ぎます。

今日、大師の人気は欧米にもおよび、高野山は外国人であふれるばかりです。特に紀伊山地のひとつとして世界遺産に登録されて以来、この様相はますます増大しました。高野山を訪れた外国人は本国に帰るや、「日本へ行ってクウカイに会って来た」と自慢することでしょう。

大師のお姿を描いた絵を〈御影みえ〉といいます。平成23年、私は大師の御影に関する考証をまとめて『弘法大師御影の秘密』(青山社)を刊行しました。そのおり、私の考証に基づいて真鍋俊照画伯に描いていただいた御影が「あさか大師」のご本尊です。いつでも、誰でも拝見できますので、皆様もぜひお越しください。

日本の英知

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宗教

令和元年8月18日

 

今日も炎暑の一日でした。それでも毎月第三日曜日の恒例行事に、皆様がお集りくださいました。小さなお孫様までもご参加いただき、いっしょに回向の読経をしました(写真)。

お子様やお孫様がこのような行事に参加すれば、教えずともご先祖を大事にするようになります。そして、両親がその両親を大事にする姿を見れば、ご自分が大人になった時、必ず両親を大事にします。お寺の行事はここがすばらしいのです。楽しく参加し、読経や太鼓の響きを記憶し、法話を聞いたりお菓子をいただいて過ごすうちに、自然に身につくものがあるからです。道徳は言葉で教育をしますが、宗教はその儀礼によって無理なく教育ができるのです。だから、人間社会には宗教が必要なのです。

日本人はよく〈無神論〉であるとか〈無宗教〉であるとか言いますが、外国人からすればおかしな人種です。また、それはとても恥ずかしいことです。この国は遠い先祖を神棚かみだなに、近い先祖を仏壇ぶつだんにおまつりして来ました。これは世界に誇れる日本の英知なのです。

お盆は過ぎましたが、どうかご先祖を大事にする姿を、お子様やお孫様に見せてください。そのためにも、ぜひお寺にお越しください。

稲の〈妻〉とは?

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自然

令和元年8月17日

 

稲が実りつつ、たわわながもたれ始めました。この時期は稲が実ると共に、かみなりとどろきを聞くことも多いはずです。

ところで、皆様は雷が多い年は稲がよく実り、豊作であるという説をご存知でしょうか。これは昔から言われていることで、藤沢周平の『三屋清左衛門みつやせいざえもん残日録ざんにちろく』にも主人公が幼い頃、母からそのことを言い聞かされる場面があったことを記憶しています。しかし、その理由は科学者でさえ容易には解明できませんでした。

松江市の高校生・池田圭介君はこのことに興味を持ち、学校にあった放電装置で稲妻と同様の状況を作り出し、カイワレダイコンの成長を調べました。そして、50秒間を放電して育てた種子は、放電しなかった種子に比べると約2倍も成長が早いことを確認したのです。さらに、用いる水に対しても同じ実験をしたところ、結果には何の違いもありませんでした。つまり、放電によって水の窒素ちっそ量が1.5倍になることを発見したのです。彼はこのことを〈科学シンポジュウム〉で発表し、最優秀賞に輝きました。雷によって稲妻が放電する時は、田の水の窒素量が増えて稲の生長が早まり、豊作となるのはこのような理由からなのです。

ところで、〝稲妻〟を稲の〈妻〉と書くのも、奇妙なお話です。実は、古代にあっては夫婦や恋人どうしが互いを呼び合う場合、男女に関わりなく〈妻〉も〈夫〉も共に「つま」と言ったからなのです。稲妻の放電は〈妻〉より〈夫〉でしょう。だから、稲妻は稲に活力を与えるつまであり、その「稲夫いなつま」が「稲妻いなづま」と書かれるようになったのです。

あの怖い雷にも、こんな働きがあることを知りましょう。そして、自然にはムダなものがないことを知りましょう。

ライバルの効用

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仏教

令和元年8月16日

 

2020年の東京オリンピック・パラリンピックの話題が増えてまいりました。八月の炎天下で、はたして選手の体力はいかがなものか、まず心配なのはそのことでしょう。特にマラソンランナーは大丈夫なのかと、皆様も気になるかと思います。

そのマラソン競技のことですが、先頭ランナーが独走態勢となった場合、新記録は生まれにくいといわれています。その理由は、ライバルが隣りを走って、順位を競うことがないからです。先頭5人から3人へ、3人から2人となり、ついに2人の勝敗となった時、人間には不思議な力が湧き出て来るそうで、新記録が生まれやすいということなのです。

だから、私たちにもライバルがいて、「あの人には負けたくない」と思うぐらいの気持ちを持った方がいいのでしょう。ライバルがいないと、人はとかく怠けるはずです。そのライバルが何を始めた、何を成し遂げたといった情報が耳に入れば、一意奮闘いちいふんとうするのが人の常なのです。それが単なる嫉妬心しっとしんであれば、煩悩ぼんのうに過ぎません。しかし、その嫉妬心を努力の原動力とするなら、煩悩が転じて菩提ぼだいとなりましょう。これ、仏教が教えるところです。

人は本来、怠けものなのかも知れません。しかし、その怠けものが熱心な努力家になれるのは、まさにライバルの効用なのです。私もそのことをきもめいじて、ライバルはありがたいと思っています。

リーダーになる人物

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人物

令和元年8月15日

 

社会に出てリーダーになるのはどんな人物かと問われれば、私は迷うことなく「部活でリーダーであった人物」と答えています。それが文化クラブであれスポーツクラブであれ、部活のリーダーであった人物は、社会に出ても必ずリーダーになります。そして、この持論に私はかなりの自信があります。

学校時代の学問秀才は社会に出てもあまり目立ちませんが、スポーツ大会や文化祭で活躍したリーダーが社会に出ると、たちまちに実力を発揮します。社会は学問だけでは決して花開きません。その理由は、人間的なはばがないからです。また、仕事以外の幅がないからです。幅がなくては、並みの考え方や発想しか生まれません。それでは変化に対応できず、業績を伸ばすことができません。

その点、部活でリーダーであった人物は一味ひとあじ違った個性を持ち、創意工夫に満ちています。そして、人のあつかいにも慣れています。これは学問からは得られない、人間的な幅と仕事以外の幅を持ち合わせた別の才能といえましょう。このことは、学問そのものの世界においてさえ同じはずです。何を研究するにせよ、並みの意識からは並みの成果しか得られません。このかべを破れるのは、研究以外の〝何か〟であるからです。

小学・中学・高校・大学を問わず、皆様、ぜひ部活に励んでください。また、ご両親もこのことを念頭に、部活を勧めてください。学校時代の、その貴重な時間と体験は、社会に出て必ず役立ちます。

納棺師の仕事

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仕事

令和元年8月14日

 

久しぶりに葬儀が入り、納棺師のうかんしを依頼したというので、初めて立ち会いました。

私はお護摩ばかりは毎日修していますが、まれには葬儀の導師も務めています。二十代で僧侶になった頃は、「葬式坊主にはならんぞ!」などと意気込んでいましたが、今ではその非を深く恥じています。生死しょうじを説くのが仏教であるなら、葬儀こそは僧侶の大切な責務でありましょう。

当然ながら納棺師もまた、死者を大切に見送るための重要な仕事です。私が子供の頃は寺の住職が納棺作法のかんさほうをなし、今どきの葬儀社の仕事をすべて取り引きっていました。しかし、葬儀社の進行が主体の現代セレモニーにおいては、住職が納棺作法をすることはほとんどありません。それだけに、たとえ葬儀社の下請けであったとしても、納棺師の仕事は需要が高まることでしょう。

特に事故死によって遺体が破損している場合、遺族のショックをやわらげ、対面しやすいよう修復や化粧を施すことには重要な意味があります。すなわち、悲しみに寄り添いながら、おだやかな雰囲気を作るりだせるのも納棺師ならではの技術であるからです。

また病死や老衰死であったとしても、現代人は死者を〝明るく〟見送りたいという意向があります。昔は通夜や葬儀の席で、歯を向いて笑うなどという行為はタブー中のタブーでしたが、現代人は平気で笑います。遺影もタレントなみの仕上げができますし、骨壺も自分の好みで選ぶ時代です。このことは、死を明るい視点でとらえ、往生おうじょうへの心得こころえを理解するうえでも、よい傾向であると私は思います。

修復や化粧によって美しく施された死者は、親類や会葬者に対しても礼を尽くせましょう。特定の資格はなく、社会的にも特殊な分野ですが、納棺師の仕事は大きな〈功徳〉を生むはずです。

毎日100枚のハガキを出した人

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人物

令和元年8月13日

 

私が上京した昭和40年代、官製ハガキは一枚10円でした。つまり、一ヶ月間にハガキを毎日一枚ずつ出しても300円です。

一人で東京に移り住んだ私は、右も左もわからず、どうしたものかと悩んだものでした。そこで毎日、日記のつもりで父にハガキを出すことから始めました。つまり、300円の最も有効な使い道はコレだと考えたからです。

たかがハガキ一枚とはいえ、父が保管をするだろうと思えば、うかつには書けません。それでも、見ず知らずの東京の様子を、少しずつ報告していきました。一ヶ月もするとだんだんに慣れ、わずかな時間で書き上げられるようになりました。

毎日のハガキは、出し始めて一年後のその日、「今日で最後にします」と記して終了しました。後年、私がまずまず筆まめになれたのは、この時の経験が役立ったように思います。そして、たった一枚のハガキの重みまでも知り得たように思います。電話の方が楽だとわかっていても、やはりハガキ一枚の意義は大きいはずです。貴重な経験をしたと今でも思ってます。

ところが、先年亡くなった作家でタレントの永六輔さんは、毎日100枚のハガキを出していたという事実を最近になって知りました。上には上があるものです。取材した方はもちろん、番組仲間、先輩、後輩、友人など、車内で喫茶店でホテルでと、 毎日、トータル2時間はかけていたというのです。もちろん、その文面は、「先ほどはありがとう」「お疲れさまでした」「またいつか、どこかで」といった簡単なものです。でも、これを毎日100枚を出し続けるということは、並みたいていの努力ではありません。

私は永六輔さんの著書は二冊ほどは読みましたが、格別なファンであったわけではありません。でも、この事実を知ってから、急に親しみがわきました。楽しそうに出演している影で、こんな努力があったというお話です。

馬子にもミスト

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あさか大師

令和元年8月12日

 

猛暑をしのぐ工夫として、あちこちでミストが使われるようになりました。このようなアイデアは、現場の炎天下にさらされねば思いつかないことです。「何とかならんのか!」という状況の中でこそ、今までにない発想が生まれるのでしょう。

あさか大師の隣りに特別養護老人ホーム〈花水木はなみずきの里〉があり、イングランド・ポニーの「はなちゃん」がいます。ホーム入居者のいやしを目的に飼育していますが、散歩の途中で境内へも入って来ることがあります。久しぶりに馬屋を訪ねましたら、軒下にミストが付けられていました(写真)。わかりにくいと思いますが、右上に細いホースが設置され、ここからミストシャワーが降りかかっています(写真には写りませんでした)。

はなちゃんは、これだけでもかなり涼しくなるのでしょう。思ったより元気で、私が持参したニンジンもアッという間に食べました。

いつもの講釈ですが、〝涼しさ〟とは暑さと寒さの中間ではありません。連日の猛暑の中、このミストにありついてこそ涼しさを感じるはずです。つまり、この猛暑がなければ、涼しさは感じ得ないのです。これすなわち、苦しみがなければ楽しみは味わい得ず、煩悩がなければ菩提には転じ得ぬという道理にほかなりません。馬子にもミスト、馬子にも説教。はなちゃん、わかりましたか?

山路天酬密教私塾

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