愛欲という煩悩

カテゴリー
真言密教

令和2年2月25日

 

今日は真言宗僧侶お二人の方が見え、〈愛染明王法あいぜんみょうおう〉という行法の伝授をしました。愛染明王あいぜんみょうおうは不動明王(お不動さま)とならんで、真言密教を代表する明王(仏が煩悩ぼんのうを怒る姿)です。すなわち、人がもつ煩悩ぼんのうの一つである愛欲あいよくをも、そのまま悟りへと導く誓願せいがんをもった仏さまが愛染明王なのです。

当然ながら、人には煩悩があり、その煩悩を絶つことはできません。特に男女の愛欲に関しては、今さら私がお話するまでもなく、きわめてやっかいな煩悩といえましょう。財欲や名誉欲と共に、生きているかぎり消え失せぬ煩悩が愛欲なのです。

しかし、お話を日常的な次元で述べるなら、男性なら女性にモテたい、女性なら男性にモテたいという欲望なくして、人は何の努力もしません。その結果、進歩もありません。たとえば、高齢になっても元気で生き生きとしている方は、常に異性を意識しています。そして、何らかの〝努力〟をしているはずです。明るい配色の洋服を着こなし、若いトレーナーを選んでスポーツクラブに通い、おっかけをしてステージを巡り、カルチャーセンターで知性をみがき、旅行を楽しんで景観にふれ、ウォーキングやカラオケを日課のようにしています。そして、食事や睡眠に配慮して健康を維持し、男女を問わず明るく美しく、生きることの意味を考えています。これらは、まったく愛欲という煩悩なくして果たせるはずがないのです。

煩悩はその使い方で、善にも悪にもなるのです。真言密教の教えを申し上げるなら、煩悩に使われれば煩悩のままですが、上手じょうずに使えば悟りになるのです。煩悩に使われれば凡夫でも、上手に使えば仏なのです。だから「煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい」というのです。煩悩なくして人生はありません。生きがいもありません。やっかいな愛欲も、その煩悩なのです。

愛染明王のお話のはずが、とんでもなく脱線してしまいした。でも、「そのとおり!」と思いませんか。そうでしょう。

山路天酬密教私塾

詳しくはここをクリックタップ