アンテナを張る

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法話

令和元年8月25日

 

私はかつて、毎日のお護摩の後に法話をしていました。

いわゆる三分間法話といった程度の短いものでしたが、それでも、これを毎日続けるということは、容易なことではありません。そんな私を評して、「よくネタが続きますね」と言われたものです。もちろん、どんな法話でも、泉のように湧くはずがありません。日頃から読書や思索を重ね、これはと思えばノートに書き留め、さらに寝かせて熟慮を重ねていくうちに、一つの法話が見えて来るものなのです。またテレビやラジオの番組、新聞や雑誌、看板やポスターからも、思わぬヒントが浮かぶこともありました。だから、いいネタを探すためのアンテナを、常に張っておく必要がありました。それでも、すべて全部が使えるものではないのです。

もちろん、いつも理想どおりにはいきません。「名言集」といった本を引用して、急場をしのいだことも度々たびたびでした。いわゆる「法話集」と題する書籍もかなり購入しましたが、あまり役立った記憶はありません。要は自分で考え、書き、また考えるという地道な作業をを、コツコツと続ける以外に方法はないのです。

当然のことですが、一生分の栄養を一度の食事で摂ることはできません。一日一日の食事に配慮をしてこそ、健康な体が作れるはずです。スポーツを志しても、すぐにオリンピック選手になれるわけではありません。来る日も来る日も、練習を重ねねばなりません。ラーメン屋さんは毎日毎日ラーメンのことばかりを考え、考えてはまた作り、試行錯誤しこうさくごり返さねばなりません。それでも行列ができるお店は、ほんのひとにぎりです。私なども「今日はまずまずだったかな」と思える日は、週に一度もあればよい方でした。

今は法話のつもりで、このブログを書いています。パソコンやスマホをあつかえない皆様には申し訳ないのですが、多くの方にお伝えしたいと思っています。

山路天酬密教私塾

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